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「人生を変えた師」との出会い #人生を変える学び 舞台プロデューサー 中澤恭子 vol.3

――NBSでの10年を経て、独立した中澤さん。バレエダンサーのキャリアトランジションのサポートなど、今描いている未来について伺います。連載最終回です。

一流の傍にいることが学び

武井:NBSを退社してから事務所を立ち上げ、現在は首藤康之さん(文部科学大臣賞受賞)、中村恩恵さん(紫綬褒章受章)という素晴らしい舞踊家とともにお仕事されています。

中澤:首藤は、NBSで出会ったバレエダンサーです。退団したのは彼が先ですが、私が退職したのを知って「一緒に仕事をしませんか?」と誘ってくれたんです。それも転機ですね。首藤は佐々木さんが育てた日本の舞踊界を牽引している舞踊家です。師匠の佐々木さんに許可をいただかないと一緒に仕事はできませんから、それぞれで挨拶にいきました。

その後、佐々木さんは体調を崩して療養生活に入るんですが、首藤の協力を得て、新しい職場での仕事と並行してしばらくお世話をさせてもらっていました。

そのさなかにも、アーティストとの関わり方、人格者の実力についてなど、さまざまなことを態度と口伝で教えてもらいました。退職した後も本当に様々なことを教えていただきました。

武井:言葉に尽くせないほど、篤い師弟関係ですね。

中澤:見えないものを学びました。見えないキャッチボールというか、ニュアンスというか……その空気をつかめる人が生き残れる世界ですから。でもそれは、特別な世界の話ではなくて、アーティストでも、私たちみたいな一般人でも、感度の高さは重要なんじゃないでしょうか。

武井:すごく近くて密接なんだけれども、必要十分な距離をパチッと取っている。

中澤:それを瞬間瞬間にできるかどうかが、チャンスをものにできる人とできない人の違いだなというのを、肌で感じてきたんですね。今も引き続き、そういう人たちと仕事をしているから、常にそうでなきゃと思える緊張感を楽しみたいと思っています。

武井:お二人とも一流のアーティストですから、ストイックですよね。

中澤:見習うことしかないです。見えない部分が多いですが、舞台1日のために、365日訓練をする。舞台に対する真摯な姿に、頭が下がる思いです。


弊社サヤテイは創業から10年以上経ちましたが、実は今、社団法人として「コレオグラフィック・センター」という団体を立ち上げ、動き始めているんです。

中澤さん7

ダンサーのキャリアトランジションをサポート

武井:どんな団体ですか?

中澤:アーティスティック・ディレクターである中村恩恵を中心に、舞台公演を軸に、次世代育成事業、舞台に対する啓蒙活動、ダンサーのフィジカルサポートなどを考えています。そこにプラスして、バレエダンサーのキャリアトランジションをサポートする事業も進めています。

中村が帰国してから感じた課題は、「ヨーロッパと違い、日本はダンサーのキャリアに関するサポートがない」ということ。今の日本のバレエ人口は、約40万人と言われており、世界的にも数が多いんですが、首藤や中村たちのようなトップダンサー以外は、自分の身の振り方を考えられる環境にいないんです。

バレエの世界で生きていくことを決心した時点から、365日厳しい訓練を続けており、ほとんどの時間を稽古場で過ごすため、外の世界を見る機会も少ないように感じます。そして、ある時、迷うんです。バレリーナになれる人なんて本当に一握り。途中でケガなんかしたらアウト。だからこそ、キャリアトランジションのサポートが必要なんです。

武井:ダンサーさんの年齢的リミットはどれくらいですか?

中澤:例えばパリのオペラ座ですと、42歳で引退となります。

武井:幾つぐらいからバレエを始めて?

中澤:国や個人によってもかなりの違いがありますが、3〜4歳から始める人も多くいます。そして18歳を過ぎてバレエ団に入り、40歳ぐらいでダンサーとしてのキャリアを終える。

ただし、キャリアトランジションの世界のNGOのリサーチによると、実際にバレエ団を辞めるのは、多くが30歳くらいということです。私たち一般の人も、30代頭くらいに転職を考えるタイミングが来ますよね。多分人生のバランスが揺らぐときなんでしょうね。30歳そこそこで辞めてしまったら、人生100年と言われる中で、50年以上残っていることになります。

武井:しかも「踊りメインの生活で30年」っていう人が、世の中にポンと出ちゃうということですね。

中澤:そうですね。みなさん基本的に非常に真面目で努力家ですが、辞めたその時に「行き場所がない」ことに初めて気付く。それを何度も見てきました。

トップダンサーたちを見てきて思うのは、日々、明日がないかもしれないという気持ちを常に持ち続けているということ。自分がケガをしたら次からのチャンスも無くなるかもしれませんし、公演自体をキャンセルしなければならないかもしれません、その責任を背負っているということです。だからいつでも緊張感の中にいるし、いつでも「これが一生続くわけない」と思っている。

「明日はない」という精神力で踊っているから、意外とパンと切り替えたり、次のキャリアを想定しながら動いている人も多く見てきました。でも、だからといってみんなに「明日はない」と思ってやりなさいなんて、そんな根性論を言われても、多くの方が困るでしょう?

そもそも日本にはプロフェッショナルという定義が曖昧です。ですので、プロの定義を考えながら、キャリアトランジションのサポートの二本柱で活動していきたいとと思っています。海外では、たとえば英国ロイヤルバレエ団(世界3大バレエ団の1つ)の元プリンシパルがインテリアデザイナーになっていたり、他では弁護士や医者になったりという事例があります。一方日本ではバレエ教室を開くことがほとんどです。そして今、日本のバレエ人口は40万人で約4500教室と言われています。

武井:1億の人口に、40万ものバレエ学習者、そして4500教室!多いですね。

中澤:中村とは、コレオグラフィック・センターはそんなダンサーたちの「『港』のような役割を果たせるように」と話しています。英気を養い、自分の行く方向を見極め、確認し、エネルギーや水を蓄え、食料を補充して、また航海に出る……「ダンサーたちの港になろう」と。

プロがプロとして活躍できる場をつくる

武井:素晴らしい!他にどんな活動を予定していますか?

中澤:一般向けのコンシェルジュのような役もできると思っています。芸術文化を我々が謙虚に、いいものをおススメする目利きになっていければと思います。

舞台って、非日常じゃないですか。非日常の中で遊ぶ体験をしていただきたい。舞台を観て寝てしまってもいいと思っています。だって、眠ってしまうぐらい心地いいということですものね(笑)

武井:日本だと舞台が妙にお勉強的になってしまって、観るときにも「学んで観ている」みたいになってしまう。そうではなくて、楽しんで笑ったり、心から拍手したりする、遊びの場をつくりたい、ということでしょうか。

中澤:そうです。その感性の浮遊した状態って、本当は心地いいはずですから。他にも、舞踊のアーカイブをきちんと整理しリサーチして発信したり、専門家によるダンサーへのフィジカルサポートといった、プロがプロをサポートする体制をつくっていきたいと思います。

武井:例えば私が勤めている大学というのを考えたときに、大学の先生が突然広報担当になったり、突然コピー機の担当をしたりするのは非常に効率が悪い。「オーケストレーション」と最近よく言われますけど、それぞれの人がそれぞれの持ち場でプロフェッションに徹していくという考え方ですね。

中澤:おっしゃる通りです。アーティストが発起人になって何かをしたいんじゃなくて、アーティスティックチームとファイナンシャルチームが同じ立場でスタートするというのを目標にしています。アーティスティックチームは中村を中心に、人間国宝や世界的な建築家の方などにご賛同いただきご協力いただくことになりました。ファイナンシャルチームも地固めをするようなプロデューサーなどに入ってもらってという。今あえて、「チーム」という言葉を使いたいなと思っています。

【武井涼子インタビュー後記】

武井さん 1

中澤さんのキーワードは「人との出会い」。それにより転機が訪れ、そこでもらった大事な言葉や経験をもとにして次の道を歩んでいます。もしかすると他の人だったら流してしまうかもしれないことに敏感に気が付いて、そういった気づきを丁寧に扱い、しっかり記憶に残して、キャリアとして積み重ねてきた方だということです。

大学の専攻、J-POPの事務所、バレエ団の運営、アーティストのマネジメント……と、キャリアとしては、一見バラバラに見えるようでいて、バックボーンを掘り下げると一貫した筋が通っている。きっと、新しく立ち上げる社団法人も、その延長線上に拡大した志として表れたのではないでしょうか。興味深い歩み、これからも楽しみです。