Charlie

こころのもじおこし。

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最近の記事

山にのぼる

9:30に高尾山口集合。 過去2回?のリスケを経ての再挑戦。 ただし今回も前日まで雨模様だった為、当日の朝6:30にどうするか決めるという連絡。 無くなるものと思って前夜は呑みに出掛けたので、朝6:30もただ起床確認だけのつもりだった、というのは内緒で。 なんやかんやで様子見し、集合は11:30に。(おかげで二度寝出来た) 15年近く関東に住んで、初めて府中よりも向こうに来た。山田って名前の駅、何だか面白い。 電車を降りると快晴の空が。 とりあえず駅出てすぐの処で

    • 渡し船

      初めて訪れた広島。 宮島、厳島神社。 こ、これが瀬戸内海か!なんて穏やかなんだ。北陸で生まれ育った自分にとって、海とは基本激しく、野生を感じさせてくれるものだった。 福山育ちの友人は、これでも荒れていると言う。 船上から徐々に離れていく街と、徐々に大きくなる宮島。 牡蠣イカダを横目に船は進んでいく。 (写真撮れず) 約10分?15分?の乗船がとても長いような短いような、なんだか不思議な感覚。これがあちらの世界と繋がる唯一の方法なのか。やはり不思議だ。 下船し船着場

      • 無言実行

        大学の頃だったか、新年の挨拶をFacebookに書いたとき その年の抱負として「無言実行」を掲げた。そんな言葉ないのだが、口に出して言うのでなく、言わずに実行するという。秘めた熱とでもいうか、しょうもない格好つけだ。 久々に自分の実力を正面からみて、「ああ、もっと頑張らないと。向き合わないと。時間をかけないと。」って思った。 そう思ったのは、こないだの本番の映像を見たから。 雰囲気や空気感だけで曲を片付けている自分がいて、その作品だけでなく、声そのものに向き合えていない事

        • シオンから見ると

          ノルウェー滞在中にステイしていた家族とあちこちの教会の礼拝や集会に行った。その時に何度も歌い、特別心にメロディーが残った曲があった。Dropboxに残した記録を久々に見ていると、その曲の楽譜の写真を見つけた。 あの時、自分はメロディーだけに惹かれただけで歌詞の意味は何も理解していなかったけど、改めて時間と心のゆとりができた今、翻訳サイトを頼りながら読んでみると、心に喜びと期待、休まりが湧いてきた。 (ノルウェー語) 1) Her fra mitt Sion jeg skue

        山にのぼる

          このままの姿で

          「このままの姿で」 作詞作曲:ノア ちいさな野の花でも 主の愛をうけて かがやく あふれる主の恵みは いついつまでも バラはバラのように すみれはすみれのように わたしもこのままのすがたで ついてゆきます 空をとぶ鳥たちは 主の愛をうたいつづける あふれる感謝 よろこびは いついつまでも わしはわしのように すずめはすずめのように わたしも主のほめうたを うたいつづける この詞にある「主」というのはクリスチャン的視点で言えば神でしかないんだけど、ただ単純に「自然」というも

          このままの姿で

          音にも相性ってあるのか、

          素晴らしい作曲家がいる。 その人の作品はヨーロッパを中心に広く、高く評価され、ここ日本でも演奏される機会が増えつつある。 自分もその人と会い、話を聞き、いくつも作品を生で聞かせてもらった。 本当に尊敬していて、その作られる「空間」にある音(音だけではなく色んな要素を感じるから、音とは書きたくなかったけど)の新鮮さと何となく感じる懐かしさ(これは本当にわずかに、大鍋に垂らした一滴の醤油程度とでもいうか)。 けど、なんだろう、その現場に立ち会うたびに感じる、不快感、、とま

          音にも相性ってあるのか、

          郷愁

          生まれた町、その土地での思い出。 記憶にある神社っていうのは、ぶらんこや滑り台、ジャングルジムなんかがあって、変な“におい”のしない自然な空間だった。 そこは神聖な場所なんかじゃなくて、大人や子供が集まる場所。 町内のお祭りなんかでカラオケしたり、酔っ払いのおじさんおばさんたちが楽しそうにワイワイする場所。 行くところのないカップルが甘酸っぱく時間を潰したりする場所。 その土地に生きる名前も知らない神様。 人とその信仰というものはそんなフランクな関係でいいと思うん

          コインランドリー

          いま、背中を当てている機械の中で、 1週間分の色んなものが回っている。 洗剤で無理やりきれいにして、 1時間後には、何もなかったかのような姿に変えてしまう。 そう考えると、 この「洗濯」という行為自体は、 実は一番汚い行為なのかもしれない。 パット見では分からないダメージが それをひっそりと伝えようとしている。 ここには夜中に来るから、大抵誰もいなくて 実は一番リラックスした時間が過ごせる。 テレワークで1Rの部屋に閉じこもっているから尚さら。 誰もいないのに

          コインランドリー

          ひとり

          久しぶりに悲しい気持ちになった。 相手の気持ちはわかっていたけど、ああやって文字になっているのを見ると 改めて突きつけられたようで なんだか 悲しかった。 心の幼さかな。。。 けど、こういう悲しい気持ちって年齢関係なく来るものなんだって 友達から慰められた。 寂しい気持ちに浸れる音楽聴きたいなって探したんだけど、 どれもこれも一人を歌ったものでなく、「誰か」という存在との関係を歌っていて、 本当の孤独は存在しない、 誰かと共有したいのではなく、真っ暗な部

          ひとり