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如水(起業編)其の七・・・インターネット黎明期

如水(起業編)は、起業20周年の2010年11月9日に発刊した小冊子(非売品)です。現在、5巻まで発刊していますが、今回、「note」に掲載することで、起業を目指す若い方々や、会社管理職で頑張っている方々に、少しでもヒントになればと思い、恥を偲んで掲載することにしました。山あり谷あり、紆余曲折の人生を、ご覧頂ければ幸甚です。


◇インターネット黎明期◇

 1994年に衝撃的なものが日本に上陸した。それが、皆さんご存知のインターネットだ。地球を蜘蛛の巣で包み込むように、オフィスや家庭にある全てのコンピュータがデジタル回線(又はアナログ回線)で繋がり、世界中で無数に点在するサーバー(ホームページ等を格納するコンピュータ)から情報(文字、静止画、動画、音声など)を垣間見れるという不思議な世界であった。

 米国のペンタゴン(国防総省)からスタートしたインターネット。自分のパソコンから地球の裏側へ簡単にメールを送受信したり、米国ホワイトハウスの情報も手に取るように閲覧出来るという世界に、日本全体がにわかに活気づいた。

 当時、日頃の情報源は新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、チラシ、ポスターだった私たちの世界が一瞬にして塗り替えられ、個人がメディア(媒体)を掌に転ばす事が出来るという画期的な世界が眼前に広がり始めたのである。

 私はこれがビジネスになるのか否か・・・相当悩んだ挙げ句、米国で薬理学のドクターを取得する為に留学していた親友を介して、米国IBM関連企業に勤務していた友人(米国人)を熊本に呼び寄せ、2週間レクチャーを重ねて行った。・・・それは、1994年の冬に差し掛かる頃だった。

 1995年の3月にインターネット事業を本格化する為に、毎日15時間以上もネットサーフィンをしていた私が居た。当時、熊本にはアクセスポイントは皆無の状態。福岡へダイレクトに電話回線を通して、鈍足なモデム(14400ボーレート)でMacintoshを接続し、月額の電話料金が20万円を超えてしまった。

 私は毎月の高額な電話料金に耐えられなくなり、IIJ(インターネット・イニシアティブ・ジャパン)に連絡を入れ、専用線(デジタル回線)を敷設する事にした。自社ホームページを熊本県初として1995年8月22日に開設。更に、IIJの専用線を同年12月に開通させた。しかしながら、専用回線使用料として月額60万円が飛んでしまうという地獄絵巻をたっぷりと味わう事になる。

 1991年に導入したCG専用マシンのリース料がまだ9回(9ヶ月)残っている。毎月の150万円に加え、更に60万円が追加され、1996年に入ってからの数ヶ月間は、今思い起こせば、凍り付くような毎日であった。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。