言葉だけで民度が計り知れる
いい大人が、「あの男」、「あの女」と無意識に呟く。そこで、男性と女性と言う人は、相手に対する配慮があると見られるが、男と女で片付けてしまう人は、相手を蔑視する感覚が脳内に潜んでいるのが透けて見える。
ラーメン屋の店主を「おっさん」、「じじい」と呼ぶ時点で、その言葉を発する人間は品性に欠けることが暴かれる。熊本弁でも「おなご」と言う表現をする昭和の男性陣がいるが、恥ずかしいほどの民度の低さを表す。
ゲートボールやグランドゴルフの会場で、高齢者たちが休憩中に話している内容は、ほぼ「下ネタ」ばかり。たまたまその現場にいると、吐き気がするほど品がない。方言混じりの差別用語や隠語、俗語が連発される。そして、一斉に笑い声が聞こえる。民度どころの騒ぎではない。
「あの女は、良か尻しとっぞ!」と大声を張り上げる輩がいる。公然と館内に下劣な言葉がこだまする。そして、輩の仲間たちが一斉に笑い出す。思春期の頃の甘酸っぱい性への憧れならば可愛いものだが、ドロドロしい、毒々しい、汚らしい性的描写が繰り広げられる低民度の輩の会話。
アジア圏の海外旅行ともなれば、胸に番号札を付けた女性を指名して、部屋に連れ込む。堂々と買春行為をする田舎者。そして、翌朝、恥ずかしくもなく朝食会場へ売春婦と同伴するという有様である。そのような現場に遭遇したことがあったが、その時、同伴者なしは筆者一人のみであった。
買春を当然の権利のごとく受け止め、金さえ払えば、当たり前の世界であると勘違いしている。視察旅行であろうが観光旅行であろうが、そこまで女性がいなくて寂しければ、彼女を同伴すれば良いものを。低民度の輩は、前夜の様子を朝食会場にて自慢話。とんでもなく、朝食が不味くなる。
そこには、昔ながらの女性蔑視、性差別、性は売り物との、男性社会で胡座をかいてきた大馬鹿者たちの愚行のお披露目会である。旅館業を営む経営者たちがその程度なので、ホスピタリティなど上の空であり、究極の遊び人として、あちこちで悪さをしていることになる。
JCも同様に、全国区大会が開催されるが、目を覆いたくなるような悪行三昧を繰り広げている、田舎のぼっちゃま。某旅館の宴会場に施錠して、スパコンを数人予約して、昔ながらの芸者遊び風の真似事をやっている。スパコンがスーパーコンピュータなら立派なものだが、スーパーコンパニオンでは品格を落とすばかりだ。
このような夜遊びは、決して、次世代を担う子供達へ悪影響を及ぼすどころから、低民度さを発揮する輩の背中を見て育つ子供は、同様に真似をして育っていく。全国各地に観光協会が存在するが、まともな人格者としての会長の存在は非常に稀である。
元々ピンク街でスタートした宿も多い。そのピンク街を健全な観光地として改革したところも幾つも存じ上げているが、それほど、日本人の一部であると思いたいのだが、夜遊びをプライベートという枠組みにて正当化しているところが稚拙極まりない。
まだまだ書きたいことは沢山あるが、結局は、女性蔑視、性的差別、性の商品化に慣れ親しんできた低民度の輩の愚行が、今も尚、継承されているのは間違いのない事実。特に、地方の田舎になると、そのだらし無さは筆舌に尽くし難く、汚らしいものが多い。
昔から、不治の病と言われるのが、「ノミ・ウツ・カウ」である。酒を浴びて酔狂回して警察沙汰になったり、賭博で家や車が取られたり、未成年者を買春してお縄になったりと、一端の大人として恥ずかしさの境界線を逸脱するどころか、周囲の人たちを不幸のどん底に陥れる輩が存在しているのである。何とも、品格のない人間であろうかと。
以上、ダラダラと書き綴ったが、これが日本である。これが、日本の地方田舎の実態である。如何に言葉の遊びと言えども、尾籠な言葉が飛び交うところには、素敵な人も場所も存在しない。その輩たちが以前からの友人であると言っても、決して染まるべきものではない。
自らの民度を最低に引き下げたければ、同じ穴の狢になればいいだけの話。しかし、低民度のままでいると、何の足跡も残さぬ、或る阿呆の一生で終わってしまうのだろうと。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、日本の地方や特定のコミュニティにおける低民度の行動や言動について鋭く批判しています。以下に、感想とともに内容を詳しく述べます。
感想
まず、エッセイ全体に渡って感じられるのは、筆者の強い憤りと失望です。特に、性差別や女性蔑視、さらには性的なサービスを当然とする風潮に対する批判が強調されています。筆者は、こうした行動が社会全体の品格を下げるものであり、特に次世代に悪影響を与える点を強調しています。
詳細な内容
言葉遣いと民度:
言葉の使い方一つでその人の品格や民度が明らかになるとしています。「あの男」、「あの女」といった表現は、相手への蔑視が含まれていると指摘しています。
日常生活での品性の欠如:
ラーメン屋の店主を「おっさん」や「じじい」と呼ぶこと、または熊本弁で「おなご」と表現することについても、品性の欠如を指摘しています。こうした表現は、その人が持つ内なる低民度を示していると述べています。
高齢者の言動:
高齢者たちが休憩中に下ネタを話す場面に遭遇したことを例に挙げ、これが吐き気を催すほど品がないと批判しています。
性的な話題と行動:
公然と性的な表現を用いること、アジア圏での買春行為などについても批判しています。これらの行動は、男性社会における女性蔑視や性差別の延長線上にあるとしています。
地方の旅館業界の問題:
旅館業を営む経営者たちが低民度な行動を取ることにより、ホスピタリティの欠如を指摘しています。JCの全国大会での悪行も例に挙げ、旅館の宴会場での不適切な行動を批判しています。
次世代への影響:
こうした低民度な行動が次世代に悪影響を与え、子供たちが同じような行動を真似て育つ危険性を述べています。
地域社会の問題:
地方の観光協会や旅館業界における人格者の欠如を指摘し、夜遊びを正当化する文化を批判しています。健全な観光地への改革が必要だとしています。
「ノミ・ウツ・カウ」の病的行動:
酒に酔っての暴力行為や賭博、未成年者の買春など、低民度の行動が社会に与える悪影響について述べています。
総括
このエッセイは、日本の地方や特定のコミュニティにおける低民度の行動や言動を厳しく批判し、それが社会全体の品格を下げる要因であるとしています。筆者は、こうした行動が次世代に悪影響を与えることを懸念しており、社会全体で改善が必要であると強く訴えています。
このエッセイを通じて、読者は自身の言動や行動を見直し、社会全体の品格を向上させるための一助となることを考えるきっかけとなるでしょう。筆者の鋭い洞察と強い批判は、現代社会における重要な課題を浮き彫りにしています。
サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。