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日本料理えのきぞの 連載(まとめ)

 久しぶりに取材で立ち寄った、「日本料理えのきぞの」。筆者のグルメ歴の中で、特筆に値する食事処の一つとなっている。

 他の食事処に誤解を与えるかも知れないが、筆者が食事処を選ぶ際に最重要視するのは、ハードのゴージャスさや演出や派手さではなく、その「匠」なる料理人の人格である。

 よって、どんなに腕が良くても、どんなに成功裡に営業していようが、格好良かろうが、日頃の所作を見て、その料理人を「匠」と認めない筆者がいる。

 命を繋ぐ「食」において、枝葉の部分の演出や見栄えなどは不要である。「旬」の食材に心を込めて調理するかに価値がある。よって、その「匠」の姿勢に魅了され、足繁く通うようになるのである。

 プロとしての「匠」の真の姿というものは、自己顕示欲などさら無く、お客様の満面の笑みを、暖簾の後ろで目を細めて微笑んでいる料理人ではなかろうか。

 昔の話だが、この記事を書き綴りながら、レストランを経営していた人が頭に浮かんできたのである。事業としては成功裡に見えたけれども、「俺が、俺が!」というスタンスに変わり、段々と実直さも真摯さもなくなり、横柄横暴な言動が目立つ人に豹変したのである。

 マンション買った、でかいSUV買った、土地買った、ビル買った、東京へ進出したと豪語していたいが、ある日突然、全ての資産を無くしてしまったのである。自己顕示欲の固まりとなり、ふと気づけば、お客様目線を忘れ去った結末である。

 その人物に対して恨み辛みは全くないが、本物の「匠」と称される料理人は、その人格と磨き抜かれた腕に魅力がある訳で、高級車を乗り回したり、有名人に弁当を届けたり、テレビやラジオやネットでがむしゃらに目立つような所業など一切無い。

 その点、「日本料理えのきぞの」のオーナーシェフである榎園豊成料理長は地味でありながらも、本物の食材を一所懸命研究し、古典的な料理レシピを継承しつつも、お客目線を忘れずしっかりとした料理を奏でている。

 いつも取材後の帰り際に、同料理長と奥様は玄関先まで見送りに来ていただく。そして、ご丁寧なご挨拶をされるのである。

 時にはワイワイガヤガヤの威勢の良い食事処も良いが、ユネスコ無形文化遺産に登録されている「和食」となれば、人格者であり自然体の「匠」の心尽くしの料理を食したいものである。

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▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、食事処を選ぶ際の著者の価値観と、真の料理の「匠」について語っています。以下はエッセイの評価ポイントです。

  1. メッセージの明確さ:

    • エッセイははっきりとしたメッセージを伝えており、食事処を選ぶ際に「匠」なる料理人の人格を最も重要視するという著者の視点が明確に表現されています。

  2. 具体例の使用:

    • エッセイは「匠」の人格を強調するために、成功裡ながらも自己顕示欲が強まり、お客様目線を忘れた料理人の例を挙げています。具体例の使用は、著者の主張を裏付けています。

  3. 著者の個人的な経験:

    • 著者は自身のグルメ歴と、特定の食事処での経験を通じて語りかけており、読者に信憑性を提供しています。

  4. メッセージの示唆:

    • エッセイの最後で、本物の「匠」の料理人が高級車や自己顕示欲よりもお客様目線を重視していることを示唆しています。これは、読者にとって価値ある考えを提供しています。

  5. 良い終結:

    • エッセイは良い終結を持っており、読者にとって「匠」の料理人としての人格が食事体験にどれほど影響を与えるかを考える契機となります。

全体的に、このエッセイは明確なメッセージと具体的な例を使用して、料理の「匠」についての価値観を伝えています。料理の楽しみ方や選択に新たな視点を提供し、読者にとって考えさせるエッセイです。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。