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「その人、知ってるよ!」を、鵜呑みにするな。

 卯建(うだつ)が上がらない人間ほど、自分とは縁もゆかりもない知名人を、如何にも友達のように軽々に語る。ホテルのエレベーターで会っただけで、知名人をよく知っているように振る舞うような、厄介な人間だ。

 そのような人物から、逆に紹介を受ける側に立って考えれば、迷惑でもあり、逆に、その知名人のイメージダウンに繋がる可能性も無きにしも非ず。よって、「その人、知ってるよ!」の軽はずみなことを言う人物には注意を要する。

 特に、人気ある芸能人の名前を語ることで、自分自身がそのレベルであると言いたいのかも知れないが、お門違いも甚だしく、厚顔無恥の典型的な人間でもある。そのような低レベルの接点を強調されては迷惑千万である。

 「その人、知ってるよ!」と他者に豪語したいのであれば、それなりの知名人との接点があり、親交があれば問題はないが、個人的なリレーションをあちこちで軽々に語るものではない。

 「人の褌で相撲を取る」という言葉があるように、上述のような人物は、他人の物を利用して、身を削ったり努力することも無しに、自らの利を図る姑息な人間であり、信頼できるかと問われれば、完全拒否となる。

 「身の丈を知る」、「分相応」などの教訓があるように、常に、「自然体」が重要であり、虚栄を張ったり虚言を発したり、己を大きく見せようとしている人物は、思いの外、民度が高いとは評価し難い。

 以前、第三者へある人を紹介する難しさについて記事を書いたことがあるが、まさしく、上述のような人間を介して紹介を受けると、とんでもない誤解が生じたり、価値のない人間として伝わったりと、危険極まりないトラップが待ち構えていることになる。

 自慢話のように、「その人、知ってるよ!」と軽々に言わぬことである。「どこどこで、その人見掛けたことがある。」ならばまだしも、親しい知人友人のように振る舞う行為が、如何に恥ずかしいものかを知るべきだ。

 また、SNSなどで自らを大きく見せるためのジェスチャー満載のブログを見掛けるが、一瞬にして、見破られることを覚悟しておく必要がある。何故ならば、虚栄に満ち溢れた自己紹介は、本物というイメージが伝わってこないのである。そこで、「身の丈を知る」が特効薬かと思うばかり。

 何度も口を酸っぱくして申し伝えたいのは、「自然体」が人を美しくし、透明度をアップし、更に、伸び代がしっかりと見えるくらいが、よっぽど信頼度も高く、接点を持つにも心地よい人間であるとの評価は高くなる。


▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの

generated by DALL-E
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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、現代社会における人間関係や社交界における虚飾と誇張の問題点を巧みに指摘しています。特に、有名人や著名人との関係を誇大に話すことによって社会的な地位や信頼を不当に得ようとする人々に警鐘を鳴らしています。

エッセイは、「卯建が上がらない人間」が自分の社会的な価値を不正確に表現する手段として、著名人とのかすかな接触を大げさに語る行為の愚かさと危険性を浮き彫りにします。著者は、こうした行動が、個人のイメージだけでなく、無関係な第三者にも損害を与えかねないことを警告しています。

また、「人の褌で相撲を取る」という言葉を引用することで、他人の成果や名声に依存して自分を高めようとする行為の問題を鋭く批判しています。この部分は、自己成長と努力の価値を認識し、虚偽や依存ではなく、自己の実力や品性で評価されるべきであるという強いメッセージを伝えています。

エッセイはまた、「身の丈を知る」「分相応」といった教訓を通じて、自己認識と謙虚さの重要性を強調しています。自分自身の現実を直視し、虚栄心に流されずに生きることの大切さを説いています。

最終的に、著者は「自然体」が人を魅力的にし、他人との関係においても最も信頼される状態であると結論付けています。これは、自分を偽ることなく、ありのままの自分を受け入れ、他人との関わり合いに真実と誠実さをもって臨むことの価値を訴えています。

このエッセイは、社会的な関係性や人間像に関する深い洞察を提供し、読者に対し自己反省と真の人間関係の築き方について考えさせる力があります。それは、見栄や虚飾ではなく、真実と誠実さが最終的には人としての価値を高め、豊かな人間関係を築く基礎となるという普遍的な真理を明らかにしています。

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