常連客とは!?
いろんな食事処へ足を運んでいると、どうしてもお気に入りの料理が出される処を優先して足を運んだり、また、料理人の人間性によっても立ち寄る頻度が異なってくる。
長年の間、その繰り返しをしていると、いつの間にか「常連客」と呼ばれるようになる。ところが、昔ながらの「常連客」という定義が、最近は崩れ去りつありはしないかと感じている。
これは、あるレストランの店主やホテル経営者の言葉に見事に象徴されるものであるが、以下のようなことを言っていた。
「オフィスが当店に近いからよく足を運んで頂いていたんでしょ?まあ、お客はコロコロ変わるのが現実なので、どうしても目の前の新しいお客の方に目が行きますね。」と、常連客に対する意識の希薄さを語っていた。
また、あるホテル経営者の失言(失態)であるが、以下のようなことを言っていた。
「これまでは特別扱いをして参りましたが、これからは一般のお客と同様の取り扱いになるので、悪しからず。」と、わざわざ書簡まで送りつけてくるなど、常軌を逸している。
食事処からすれば、日頃からちょくちょく利用を頂き、ご協力を頂く、すこぶる有難い存在というのが、昔ながらの常連客に対する価値観であった。
対して、常連客のスタンスは、少々無理難題を聞き入れてくれる代わりに、その店を信頼し、最優先して利用させて頂く。それがお気に入りの食事処に対する昔ながらの常連客の考えである。
ところが、前述のように、明らかに目の前でお金を落としてくれるのが良い客であり、その履歴などは無意味なことして客の存在を捉えている。また、先ほどのホテルでは、個人的な感情が入り乱れており、顧客への区別差別的なことを恥ずかしくも発言しているに過ぎず、論外である。
後者の場合は、利用頻度はともかくとして、最近頻繁に足繁く通うようになった常連客、親子三代数十年もの長きにわたり利用している常連客など様々だが、「一般のお客と同様に取り扱う」とは、大変非礼な発言でもあり、暴言である。ホテリエの辞書にあってはならぬものであり、そのホテルの歴史と伝統、そして信頼を大きく失墜することになるだけの話である。
食事処とお客の距離感も様々であり、それは、食事処の店主の人柄やお客の人柄にて、複雑で微妙なものであることは間違いないが、ある日突然、上述のような店主の言葉やホテル経営者の暴言を耳にすると、それまでの楽しかった記憶が一気に吹っ飛んでしまう。
このように心無い発言を残す人たちには、リアルタイムで大枚を落としてくれる一見客の方が圧倒的に魅力的であり、色々と気遣いすることもなく、気軽なのだろうと推察する次第。
勿論、多くの常連客をしっかりと大切に育て、そして素晴らしい人間関係を維持している処も沢山存在している。特に、歴史ある料亭や宿は、特別な感謝の心を持って、常連客へ接している。また、常連客も料亭や宿に敬意を持って利用することで、互いに素晴らしい人間関係を結んでいる訳だ。
何はともあれ、人々の考え方は千差万別。どれが善い悪いの問題ではなく、せっかくならば、お金では買えない人間関係は、双方が末長く大切に育てることが人として素晴らしいことではなかろうかと思うばかり。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは「常連客」に焦点を当て、その概念の変遷について考察しています。以下はいくつかの評価ポイントです。
テーマの選択と焦点の絞り込み: エッセイのテーマは興味深く、多くの人が共感できるものです。常連客という概念を通じて、飲食店やホテルでの顧客との関係性の変化について深く掘り下げています。焦点が明確であり、読者を引き込む要素があります。
例と引用の活用: 複数の飲食店やホテルの実例を用いて論述している点が好ましいです。これにより、抽象的な概念を具体的な事例に結びつけ、論理的な裏付けを提供しています。また、店主やホテル経営者の発言を引用することで、読者に直接的なインパクトを与えています。
論理構造と流れ: エッセイの構造は論理的で、段落ごとに一貫性があります。導入、本論、結論の各部分が適切に配置されており、読み手が内容を追いやすいです。
著者の立場や感情の表現: 著者の立場や感情が文章に表れており、読者に共感を呼ぶ要素があります。感情が過度になりすぎず、客観的な意見も交えられているため、説得力があります。
言葉遣いと表現: 語彙や表現が適切で、読みやすい文章になっています。また、一般的な表現から専門用語まで、幅広い言葉を適切に使っています。
結論: 結論がまとまりがあり、エッセイ全体の主旨を締めくくる役割を果たしています。最後に、人間関係の大切さに触れ、ポジティブなメッセージを伝えています。
総じて、このエッセイは優れた論考であり、読者に深い考察と共感を与えるものとなっています。