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田舎の中小企業は、社会人教育を徹底しているのか!?

 最近思うことは、田舎の年配の人間について、首を傾げることばかりとなっている。年齢に関係なく、彼らが若かりし頃、社会人となった時に、その企業は徹底した社会人教育を行っていたのかという疑問が生じるのである。

 筆者の場合は、新聞社の筆記試験、面接試験などを通して採用され、すぐさま現地での拡販体験などの野外活動やディスカションを通じて学びが始まり、後は諸先輩の苦言により躾けられ、各部署で厳しく教育を受けた記憶がある。

 しかし、社会人としての教育システムは特別に存在せず、各自が各部署で社会人として恥じることがなきよう、自主的に積極的に学べというのが新聞社の方針であったように思える。

 よって、筆者は、過去10年分の企画書やその他書類をアフターファイブ(飲み会がある時は、午前0時から午前2時)にオフィスに戻り、片っ端に読み込んで行き、約1年間で自分なりの「形(カタ)」を作った。

 勿論、会釈・敬礼・最敬礼などのお辞儀や名刺の受け渡し、尊敬語・丁寧語・謙譲語の使い分け、スーツやシャツ・ネクタイ・靴などの着こなし、所作などは、各自が入社前に当然の如く学んでいるというスタンスである。

 冒頭に戻るが、田舎の年配の人間が、若き頃に上述のような社会人としての常識や価値観などを学ぶ機会がなかったのであれば、恥ずかしながらの状態にて現在に至っている訳だ。

 一つ一つの言動に違和感がある。論理展開があやふやで、虚言を挟み込み、言い訳ばかりを準備している。他者と会う場合も、整髪もいい加減にて、営業をかけているようにしか見えないのだが、営業の心得も理解していないことが最近になって判明した。

 営業は物品を売るものではない。営業は心を売るものである。よって、見掛け倒しの人間は、その入り口にて挫折している。外見だけは気にするようだが、清楚で抜けの良い写真のような風貌ではないのが、全てを物語っている。これまで積み重ねてきた社会人として非常識なるものが悪影響を及ぼしており、身勝手スタンダードが罷り通ると思い込んでいるのかも知れない。

 どんなに高学歴という人物でさえも、所作を見るだけで、育ちの悪さや躾のなさが見え隠れすることも多々ある。しかし、学習能力に長けた人間であれば、1をサジェストするだけで10を知り、即座に改善に着手し、見事なまでに変身を遂げるのである。

 ところが、何年経っても、段々と悪い方向へ雪崩のように落ちていく人物もいるようで、歯止めが効かず、本人も迷走を続けているのだろうと。しかし、高尚なるものへの関心がなかったり、価値観が歪だったりすれば、その迷走は棺桶にまで持っていくのだろうと危惧するばかり。

 いやはや、学習能力については個人差はあるものの、社会人となった段階にて、確たる教育を受けねば、自主性のない人間は何も理解することなく歳を重ね、自らの醜態さえも自覚のない、情けない人間に成り下がる可能性は高い。

 現在、田舎の年配の人間に対して、日々、レクチャーを行なっているのだが、時既に遅いのか、自らの進化への大変身への熱意もないのか、歯切れの悪いナメクジのような鈍足さを見せ付けられている。よって、そろそろ粗塩でも投げ込もうかと考えているところである。

 「鉄は熱いうちに打て」とは良く言ったもので、錆びくれた年配の人間への教育は、片手間ではできぬほど難儀する。特に、グローバルスタンダードを熱く語っても、リアクションが皆無の状態なので、NHKの朝ドラのように、毎日、「はて?」、「はて?」、そして「はて?」の連続となっている。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、田舎の年配の人々に対する筆者の批判と失望が色濃く表れている文章です。以下に、エッセイの詳細な感想を述べます。

感想

1. 社会人教育の重要性とその欠如

筆者は自身が若い頃に受けた厳しい社会人教育を振り返り、現在の田舎の中小企業における教育の欠如を嘆いています。特に、基本的なマナーや言動、営業における心得といった「社会人としての常識」が徹底されていないと感じています。この部分は、現代の多くの企業にとっても重要な課題であり、社会人としての基礎教育がいかに重要かを再認識させられます。

2. 個人の自主性と学習能力

筆者は、自主的に学ぶ姿勢がないことが、現在の年配者の問題の一因であると指摘しています。筆者自身の経験を通じて、自主的な学習と自己啓発が重要であることを強調していますが、これはどの世代においても当てはまる普遍的な真理です。しかし、田舎の年配者に対しては、これが欠如していると感じています。この点については、筆者の視点から見ると、彼らが自己改善の機会を逃していることへの苛立ちが感じられます。

3. 外見と内面の一致

筆者は、「営業は物を売るのではなく、心を売るものである」と述べています。これに関連して、外見の整え方や所作が社会人としての品位を示すものであり、これを軽視することは大きな問題であるとしています。これは、ビジネスの現場において非常に重要な視点であり、外見と内面の一致が信頼を築く基盤となるという主張は非常に共感できます。

4. 教育のタイミングとその難しさ

「鉄は熱いうちに打て」という諺を引用し、若いうちに教育を施す重要性を強調しています。一方で、年配者に対する教育の難しさも述べており、長年の習慣や価値観の変化がいかに困難かを嘆いています。この点に関しては、教育や自己改善のタイミングの重要性と、年齢を重ねた後の柔軟性の低下が大きな課題であることを示唆しています。

総評

筆者のエッセイは、田舎の年配者に対する批判を通じて、社会人教育の重要性、自主的な学習の必要性、外見と内面の一致の重要性、教育のタイミングの重要性を強調しています。一部厳しい表現もありますが、それは筆者の強い失望感と改善への願いから来ていると感じます。社会人としての基本的なマナーや価値観を再確認し、自己啓発の重要性を再認識するきっかけとなるエッセイであり、ビジネスにおける人材教育の大切さを改めて考えさせられます。

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