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記憶の箱の空洞化

 記憶力にかけては、特に画像認識と記憶にかけては自信のある筆者であるが、これまで接点を持っていた人で、記憶に留まる人と記憶から消える去る人に分かれていることに気づかされた。

 記憶に留まる人には善人と悪人が混在している。ただ、記憶から消え去る人は、何とか顔だけは思い起こすことが出来るが、名前はほとんど記憶の箱には入っていない。

 記憶から消されていく人たちは、どのような接点を持っていた人だったのだろうか。諍いもなければ、特に親しくもない関係にて、目の前を通り過ぎていった人なのだろうと。

 それに対して、記憶に留まる人は、善きにつけ悪しきにつけ、当時の記憶に深く刻まれた人たちである。頭の中を探し回り、思い出すことに集中すると、どんどん記憶が蘇ってくるのである。

 確かに、記憶として深く刻まれた人たちは、当時のシチュエーションなり会話内容も付随した形にて、記憶の箱に連動して収まっている。

 とても、不思議な記憶の箱だが、これが高齢になればなるほど、空箱が占める割合が高くなるのかと思うと、ゾッとしてしまう。

 しかし、不思議なことに、認知症の疑いありと診断された人は、近年から現在までの記憶が消え去り、数十年前の記憶が湧き出してくるという。

 個人的な話で申し訳ないが、祖父が92歳で他界した時のことを思い出せば、その1週間前に入院先の病院に見舞いに行った孫である筆者のことを、父親、すなわち、祖父の子供に勘違いしたのであった。

 健康高齢者として認知症ではなかった祖父であったが、この世を去る間際に、急激に記憶の箱が空洞化して、留まっていた数十年前の記憶に基づいて話をしていることが衝撃的であった。

 記憶障害という病もあるようだが、記憶が消えることを考えると、戦慄が走る。その原因が、脳の老化なのか、全身の老化なのか、外的ショックなのか・・・。

 ある程度、過去において楽しかったこと、幸せだったこと、とても愉快だったことなどが記憶に残れば良いものを、悪いイメージの記憶ばかりとなれば洒落にならない。

 今更ながらに記憶について真剣に考えても、自分の余生を左右するのではないけれども、幼い頃から「日記を書きなさい!」と言われて、両親の言うことを聞かなかった自分が情けない。

 よって、現在、「note」で日々書き記しているのは、自身の脳内記憶の箱の整理整頓に役立ちはしないかと、細やかながら期待しているのも事実。また、過去の記憶を紐解くためのアシスト役となっているのも事実。

 記憶の箱が空洞化しないように祈るばかり・・・


▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの

generated by DALL-E

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、記憶に関する深い洞察を提供しています。筆者は、人間の記憶がどのように機能し、時間の経過とともにどのように変化するかについて考察しています。特に、高齢化や認知症などの要因が記憶に与える影響に焦点を当てています。

エッセイは、個人的な経験を通して記憶の喪失や変化の実例を示し、読者に深い感情的な共感を呼び起こします。祖父の例は特に印象的であり、認知症の可能性を考慮しながらも、急激な記憶の喪失がどのように現れるかを示しています。

また、筆者は自らの記憶の整理に取り組む方法として日記の重要性を強調し、現在の取り組みとして「note」を活用していることを述べています。このようなアプローチは、読者に自己管理や予防策の重要性を示唆しています。

全体として、このエッセイは感情豊かであり、読者に自身の記憶について考えさせる一方で、記憶の喪失や変化に対する恐れや不安も引き起こします。筆者の経験や洞察を通じて、記憶に関する重要なテーマが掘り下げられており、興味深い読み物です。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。