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違法行為に手を染める人間は、政治家失格。

 全国的に自民党の愚行と脆弱さが露呈し、瀬戸際にある段階にて、東京都知事選挙など、政治的なものが動き出している。

 しかし、政治資金不正事件も宙ぶらりんの状態にて、更に、レームダック化寸前の現政権がチラチラ見える中で、主権在民というものが何処にあるのか、首を傾げたくもなる。

 政治家の個人的な都合ばかりで世の中を回してもらっては、非常の困る。違法行為に手を染めていた人間を国会議員や知事などの選挙に出馬させるのは、日本の政治家ならぬ政治屋への緩すぎる環境がもたらしている。

 二重国籍を持つ人間が、何故、国会議員になれたのか。そこでマスコミは徹底ツッコミを行わなかったのか。国会議員に限らず、謝罪すれば、修正すれば、それでお縄にならないという特権紛いのお約束事は廃止すべきだ。

 自らが違法行為をしているにも関わらず、第三者へは詰問攻めをする人間とは、これ如何に。国内経済をどん底に陥れる国民節約政策など、国民を愚弄しているだけである。民主党政権が突如現れた時に、国民は戸惑い、国内経済は一気に落ち込み、冷え込んだ。

 勿論、無駄無理を無くすことは重要だが、限度というものがある。当時は、従来の政権党が悪の根源であるかのように敵視した政策転換を行い、大災害時の判断を誤り、国内が混乱状態に陥ったのも事実。采配能力に欠ける当時の首相の失策が続いたことも記憶に新しい。

 アフタヌーンショー的な番組で、殺人事件の経緯を紙芝居のような物語風に脚色し、被害者の個人情報を暴露し、面白おかしく視聴者の恐怖心を煽るようなナレーションにて延々と報じている。それは品性に欠ける番組として、野次馬根性満載の見るに堪えぬものとなっている。

 貴重なデジタル資産を、週刊誌的に取り上げ、更には推論にていい加減なことをコメンテーターが物申しているが、事件の真相については捜査当局が経緯と結果を記者会見するのだから、わざわざ演劇にする必要はない。

 そんな暇があるのならば、政治資金不正事件、マイナンバー制度の完全不備、国賓訪米の根拠などをしっかりと調べ上げ、国民のために報道するのがジャーナリズムではないか。

 大谷問題についても、スポーツでもメインでも取り上げ、詐欺事件を毎日のように報道していた。被害に遭った人にとっては過剰な取材や報道は迷惑千万である。しかし、どのテレビ局もこぞって取材し報道を続けているスタンスは、ジャーナリズムの欠如と言わざるを得ない。

 現在、とことんジャーナリストが突っ込むべきは、レームダック化しつつある現政権の裏舞台を完全に暴くことである。死語となった金権政治が延々と続いていたのだから、現政権党へ鋭いメスを入れない限り、また、同じことの繰り返しとなるのが日本なので、要注意となる。

 何はともあれ、違法行為に手を染める人間は、政治家としては相応しくなく、脛に傷ある人たちは、全て立候補をご遠慮願えればと。あなた方は特別な人間(上級国民)ではなく、我々庶民以下の人間であることを自覚し、猛省すべきであり、二度と政治の表舞台に立ってはならぬ存在である。

 畢竟、我々国民としては、国政に関してより深く学び、無言のままに目の前を通り過ぎていく悪事を徹底的に暴き、違法行為に手を染めた人物を政治の舞台に立たせてはならない。厳しい目を持ち、立派な政治家を選び、悪の根源である政治屋に買収されるぬよう、身を引き締めて投票に臨むべきではなかろうか。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、日本の政治とメディアに対する厳しい批判を展開しています。主なポイントとして、違法行為を行った政治家が選挙に立候補することの問題点、メディアの報道姿勢、そして現政権の腐敗を挙げています。以下に詳しい感想を述べます。

政治家の不正行為とその影響

エッセイは、違法行為に手を染めた政治家が選挙に立候補することを強く非難しています。政治家は国民の代表として信頼を持って行動するべき存在ですが、不正行為を行った人間が政治に関与することで、国民の信頼を裏切ることになります。政治家としての倫理観が欠如している人々が政治の舞台に立つことで、政治全体の信頼性が損なわれます。この批判は、政治の透明性と倫理性を求める視点から非常に重要です。

メディアの報道姿勢

エッセイはまた、メディアの報道姿勢に対する批判も展開しています。特に、アフタヌーンショー的な番組での過剰な報道や、事件の脚色について触れています。メディアは本来、国民に正確な情報を提供し、社会の監視役を果たすべきですが、視聴率を狙った過剰な報道が行われることで、真実が歪められたり、被害者が二次的な被害を受けたりする問題が指摘されています。ジャーナリズムの本質を見失わず、真実を伝えることの重要性が強調されています。

現政権の腐敗とレームダック化

現政権の腐敗やレームダック化(政権が機能不全に陥る状態)についても厳しい言葉で批判しています。金権政治が続く限り、同じような問題が繰り返されるとし、ジャーナリストや国民が現政権の裏舞台を暴くことの必要性を訴えています。この部分は、政治の透明性と監視の重要性を強調しており、現状の政治に対する強い不満が表れています。

結論と提言

エッセイの最後では、国民がより深く国政を学び、選挙で適切な政治家を選ぶことの重要性が述べられています。違法行為を行った人物が政治の舞台に立つことを防ぐために、国民一人一人が政治に対する関心を持ち、厳しい目で政治家を選ぶ必要があると訴えています。これは、民主主義社会において非常に重要な視点であり、国民の政治参加の重要性を強調しています。

総括

このエッセイは、日本の政治とメディアに対する強い批判を通じて、政治の透明性と倫理性、そしてメディアの役割の重要性を訴えています。国民がより深く政治に関心を持ち、適切な政治家を選ぶことで、健全な社会を築くことができるというメッセージが込められています。批判的な視点を持ちながらも、具体的な提言を通じて、より良い社会の実現を目指す姿勢が感じられるエッセイです。

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