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音楽と公益の関係性

公益とは何かについて、少しずつ、考え、書き続けていきたいと思います。最近諸々の業務もあり、大学院での研究が全く進んでいませんが(しかも休学中)、公益について考えるのは、私にとっての一つのテーマでもあるので、日々のnoteでも少しだけ、書いてみたいと思っています。

公益とは何か。

以前、政治哲学を専門にしている副査の先生とその話をしたところ、そもそも哲学の世界でも、定義も確定していないような状況だよ。という話になりました。そもそも、Public goodとCommon good、公益と共通善と、使い分けているよ、と。

公益とは、AとBとCの人が「Good」といっているものの共通部分、という人もいれば、その最大公約数を抽出したものだ、という人もいれば、またそうではない、という人もいる、と。

単純に、公益とは公に良いこと、社会全般の利益、社会全体が良くなることとも言えますが、それ自体非常に曖昧なことであり、また、加えて、そうではない捉え方もあるのです。

大雑把に言って、私の研究内容は地域社会における音楽活動の重要性ということになるのですが、先生は、その話を正当化するためには、Charles Taylorの説いた話を見てみるとよいんじゃないか、という話をしてくれました。

それは、Charles Taylorの”Philosophical Arguments”の中にある一説で、

憧れのオーケストラの演奏を初めて聴きにいった男性が、そこでは生とレコードの演奏の違いをはっきり知るとともに、「オーケストラと聴衆の間の対話」という”Common good”に触れたと感じる。

というものです。つまりこれは、AとBとCが共通に思う”Good”でもなければ、その最大公約数でもなく、新たにAとBとCで生み出す「共有する感覚」というようようなものだとも思うのです。AもBもCもいて、初めて生み出される”Good”。

まさに音楽を聴くという感覚は最もわかりやすく、コンサートホール、クラブやライブで起きる妙な恍惚感というか、グルーブなどは、まさにその事例なのだと思います。

不特定多数の人がいて初めて得られるその時の感覚。それをCommon goodと呼ぶのであれば、音楽というのは非常に強い力を持っているのではないかと考えられます。

次回以降にまた、続きます。


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