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哲学から考える、評価。

評価とは、多様な市民で行うもの

九州大学ソーシャルアートラボで、「評価からみる“社会包摂×文化芸術”ハンドブック」が発行されました。

この中で、私のかかわった事例も紹介していただいています(しかもかわいい似顔絵付きで・・・ ありがとうございます。)。評価について、本当にわかりやすくまとめた本なので、ぜひ、みなさんも読んでいただければ嬉しいです。

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さて、本書を編集された、共同研究チーム代表の中村美亜先生(九州大学大学院芸術工学研究院 准教授)の最初の言葉。

公的な補助金や助成金、委託事業などを評価するのは、特定の個人ではなく、公を構成する多様な市民です。本ハンドブックでは、民主主義の社会で公的事業を評価するのは多様な市民自身であることに立ち返って、社会包摂を意識した文化事業の評価について考えることにしました。(一部抜粋)

本当に、その通りだと思います。誰かが勝手に評価して、それが良いとか悪いというのは、民主主義に反する。そもそも評価とは「価値発見」を行うものであり、社会包摂を意識した文化事業であればなおさら、その評価をすべきは、社会を構成する多様な市民なのだと私も考えます。

哲学から考える、評価における姿勢について

私は評価に取り組むとき、参加型評価(各関係者とともに評価のフレームワークをつくるやり方)と呼ばれる手法に近い方法を用います。誰かが価値を勝手に見つける、決めることは公正ではないと思うからです。できるだけ幅広い関係者が共に、何を目指しているのか、何に重きを置くのかを議論する場を設けることが重要だと思っています。

私が評価にかかわるときに持つ姿勢として、影響を受けている本や思想がいくつかあります。ユルゲン・ハーバーマスや、アマルティア・センなどもそうですが、ジョナサン・ウルフというイギリスの政治哲学者がいます。彼の書いた、『「正しい政策」がないならどうすべきか』という本から、ちょっと長いのですが、いくつか引用します。

少なくとも応用的な道徳政治哲学に関する限り、重要な問いと言うのは、「最善の社会の姿とはどのようなものか」ではなく、むしろ「今現在から出発して、我々がたどり着ける最善の社会の姿とはどのようなものか」
一貫性は確かに美徳なのだが、一貫した政策のセットが、矛盾している設定より常に好ましいものであるかどうかは確かではない。イギリス国民のほとんどは、アルコールを合法化しながらもエクスタシーはそうしない政策に、一貫していないと思われるが、それらを同等に扱う一環した政策よりも、より満足しているようだ。
道徳的に最善の世界を目指すことではなく、コンセンサスが得られない具体的な政策課題において、見逃されたり無視されたりしている価値や、逆に重視されすぎている価値ー例えば、福祉国家においての社会的連帯の価値と自己責任の価値ーに注意を払い、それによって生じる不正義に対処することなのである。社会問題において、価値と価値の対立が見られる際に、ある種の「価値のバランスの回復」を行うことが政治哲学者の重要な役割とみなされているといえよう。(解説より)

つまり、正しさや一貫性を常に人々が求めるものだとは限らないということ。それから、価値の対立は起こるもので、道徳的に最善を目指すのではなく、バランスが重要だ、ということを言っています。

ウルフはさらに、「問題の中に含まれている多様な社会的利益にはどのようなものがあるかを知り、それらの対立を調停するべく、あらゆる人が自らの望む社会的利益をあまり失うことがないような解決策を探る(解説より引用)」とも言っています。

社会的価値を明らかにしようとするとき、社会にとってそれが本当に良いことなのか、何を本当に目指しているのかを、考えることになります。当然、各人の価値の対立にも直面することがあります。

「社会的に良いこと」と聞いたときにパッと思い描けるような一つの答えではなく、いかにも最善と思えるような一つの方向性でもなく、複雑に利害が絡みあう価値の中で何を導き出していけるかを、考えることが重要になります。SDGsを使えばよい、というわけではないのです。

地方における学習支援で、子どもたちの成績が上がって、選択肢が広がって、地方からどんどん子どもたちが大学進学したけれど、地方から巣立って少子化が加速してしまった。それは地方自治体にとって目指すべきことだったのだろうか?

ロボット化が進んで、多くの人の生活が豊かになる一方で、一部の人の職が失われてしまう。新たな社会保障が必要となる場合もある。全体として何が得られて、何が失われているのだろうか?

正解を導き出すのは難しい、どちらかの立場に立てば、どちらも大切にしたいものがあるのがわかります。だから、評価において、何を目指しているのか、何が社会にとって良いのかについて、多様な人で議論するプロセスを持つこと、各人が大切に思うことを引き出すことがとても大切だと思っています。

社会包摂を主な目的としている事業については、事業設計も評価も、多様な市民で行いたい。それは社会を構成する人々が多様であり、利害が対立することもあり、誰かが「良い」というものを勝手に決めることはできないからです。ただ、難しいからといって、思考停止に陥るのも違う。

評価は、道徳的な討議の場になる

私は、評価というプロセスをとおして、道徳的な討議に、より多くの人々が参加し、それによって、他者への理解や発見が起こり、人々がそれぞれを敬うことができるようになると考えています。こういった評価は、道徳的な討議の場と言い換えてもよいと思います。

評価は、もちろん多くの人の共感を呼ぶために使うこともあるし、事業改善に用いることもあるけれど。そのプロセスに実はとても意味があり、意味を持たせられます。道徳的に、話す。そうすることで、本当に「良い社会」になっていくと考えています。

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