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片付けられない家族

ネットで、実家の片付けに手こずっている記事を読んだ。コメントには、経験者の様々なケースがあって、皆さん苦労しておられる。

私の実家は地方の一軒家。両親が結婚した際に買った区画に家を建て、それを一度建て替えてる。ので、生粋の「田舎の一軒家」ではない。
けど、ものを大事にしすぎる父のせいで、1階部分の駐車場の裏は収拾がつかなくなっている。父が寝室に使っている和室の押し入れも、たぶん想像を絶することになっている。
今は母も亡くなり、父は足が痛いと訴えつつも毎日のルーチンを守り、お弁当の宅配以外の外部サービスは受けていない。RPGのNPCみたいに決まった動きをする、家の番人みたいな存在になっている。
年金逃げ切り組公務員なので、生活の心配はまったくない。

末の妹、すったもんだでモラハラ旦那から開放された下の妹が一緒に暮らしているので、今はいい。
土地自体いいところにあるから、将来的に負動産になる心配もない。
父が亡くなったら、相続の減額サービス的なものが受けられるうちに処分なり立て替えなりは勧める気でいるけど、多分二人とも家にも土地にも執着はないだろう。
末の妹はやりたいことがあるからと、来年には出て行く予定だ。せいぜいアパートに建て替えてその一角に下の妹が住むか、全部処分して娘と暮らせるマンションでも買うかって話になるんじゃないかな。数年後には、娘は大学を卒業して就職だ。
いっそみんな処分してみんなしてこっちにきたっていい。

さて、義実家


都内の古い公営住宅に、義父母と義兄と三人で暮らしていたけど、まぁ、ものの多い家だった。
義母が買いため、貰いためたディ○ニーグッズ、見栄っ張りの義兄の服やもの、大量の靴、溜め込んだワイン。捨てられない古いもので各部屋の納戸はパンパン。ベランダには行き場のない壊れた家具や10本以上のビニール傘。
狭い公営住宅には分不相応な仏壇、でかいだけのTVボード、台所の壁面をふさぐ食器棚。昔ながらの古くて立派な箪笥が計4棹。義母の認知症がすすむと介護ベッドまで入って居住スペースを圧迫。
それでいて自分たちはボロボロの布団を使い、義兄はゴミ部屋の中壊れたベッドに敷いた湿った布団で寝起きしていた。もったいないの使いどころを完全にはき違えた人たち。

昔は「押し入れ片付けて」なんて頼まれたこともあったけど、
本人達がものを捨てる気がない、整理しようにも金を出す素振りをみせるわけでもない。
叔母も何度か片付けを試みたようだけど、ものを減らすことを異常に嫌う人たちで、明らかに壊れたものも捨てられない。せいぜい、大きな衣装ケースを使って、そこに分類していく程度しか出来なかった。
その残骸として、ディズニーグッズの入ったプラスチック衣装ケースが20個以上、納戸のあちこちから出てきて、中身はゴミとして捨てられても、衣装ケースの処遇で今頭を悩ませている。

片付けが劇的に進んだ最初のきっかけは、義兄の死だった。
義兄は四畳半を使っていたけど、その部屋がもうとんでもないゴミ部屋だった。正直、ゴミ捨て場に済んでいるようなものだった。
そこに、義兄の遺骨を安置しなきゃいけないから、葬儀の準備で通ってた間に、まずやったのが明らかなゴミの撤去だった。

壊れたベッドを解体、湿った布団、溜まったDVD、義兄の服。片っ端から捨てた。うちの軽に詰め込んで、うちの地元のクリーンセンターに運び込んだのだ。正直、あのゴミを車に乗せるのも嫌だったけど、とにかく場所を作らなきゃいけない。必死だった。
古いレコードやら謎のほんとかが詰まって。湿ってかびたカラーボックスはT某に解体させ、ひきとってもらえそうな箱入りのブランド靴とか大量のホテルのアメニティとかはリサイクルショップに持ち込んだ。お金にならなくても、ひきとってもらえるだけでありがたい。
葬儀の期間の間に、四畳半のうちの三畳分はなんとかあけ、処分しきれないゴミとかは部屋の隅に寄せてブルーシートをカーテン代わりにして隠し、四十九日までの遺骨の安置期間を乗り切った。
あの一件があってから、叔母と私はとても仲良くなった。叔母は「ちかちゃんのおかげであの部屋がなんとかなった」と後々まで感謝してくれた。

さて、その義母が介護施設に入る。
なんとか綺麗にした四畳半は、たまに義実家の様子を見にいってくれる叔母が使うようになった。
叔母は義母が施設で使う衣類の補充や、義父のケアマネさんとの橋渡しをしてくれた。頼りにならない甥っ子(夫)の代わりにいろいろしてくれた。
この期間は、片付けの停滞期。

次に義実家のゴミ事情が動いたのは、義母が亡くなってから。
ちょっと前から自分の体調の不調に気づいた叔母から、義実家の諸諸のことを引きついだ、その直後の訃報だった。

叔母も直後に亡くなり、義父の面倒は完全に夫に移行。といっても、叔母とケアマネさんが形を整えてくれていて、私たちがやるのはツキイチで現金利用分の生活費を義父に渡すために銀行に使い走るのと、支払いの整理(銀行振込で出来る分は全部移行)と、役所の諸諸の手続きくらい。

ただ行くだけでは徒労感が激しいので、行く度にどこかを整理し、ゴミをまとめ、捨てられそうなものは持ち帰る。四棹あった箪笥のうちの三棹もこの時期に空にして処分した。押し入れのディ○ニーグッズも激減。代わりに増える空の衣装ケース。

他人なので、義母の服も容赦なく処分、どこかをあける度になぜか出てくる義兄の服も処分。押し入れの中に大量にある大人用紙パンツは、まぁそのうちなんとかしよう。
どこに何があるか、やっと把握できるようになりました。あと手つかずなのは、義父のいる部屋の押し入れ。

押し入れ下段には、義兄が溜め込んだワインが詰まっているのは知っている。温度管理もされず、全部ダメになっているであろうワイン。義父は価値のあるものだと思っているけど、そこにあるのは全部ゴミだ。
さすがに手が出せず、死んだあとにしようと思っていたら、このたびの入院騒ぎ。

了承なんか取りませんよ。ゴミなんだから。とりあえず布団以外のものは全部四畳半に引っ張り出す。
一緒に出てきたVHSテープにCDとか、ざっくりビニール袋に詰めて、納戸の中でかびていたキャディバッグやらアタッシュケース型の包丁セットやらガスファンヒーターやら処遇に困っていた割れたガラスやら解体したTVボードやら、積めるだけ積んでクリーンセンターへGO。
正味80キロ。凄いな私たち。

義母の遺産のディズニーグッズも、そろそろ先の予測がつけられる量になりました。
経年劣化でシミの浮いた床マットでも、使いたいと言ってくれる人がいる。比較的綺麗なハンドタオルは、雑巾にしてと配ったらみんな喜んで使ってくれてます。腐ってもディ○ニー、私には呪いのグッズでも、世間的には価値のあるものなのです。

義父が持ち直して安定しているのも、叔母がくれた猶予なのかも知れない。
今のうち、処分できるものはしちゃいなさい。って。
公営住宅だから、最後の住人が亡くなってしまったら猶予は半年しかない。生きていれば、粗大ゴミの処分にしろ行政サービスが使える。

そこそこここからも生きるのを想定しながら、あとのことも考えていかなきゃいけない。
たくさんものを持っているのが幸せだ、って思いこんで生きてきた人たちの、死んだあとがこれなんだなと思うと、自分はほんとに大事なものに囲まれて過ごしていければいいなって、思いますね。あんまり、人には迷惑かけずに。

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