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子ども臨床と戦争のトラウマ

77年目の夏。
戦争のトラウマは、わたしたちの意識にも残されている。

子どもカウンセリングの臨床をしていると、戦争の影響が世代間連鎖で引き継がれていると感じることが多くあります。虐待や発達性トラウマは、親一人の影響ではなく、それは社会的なトラウマの影響なのだと私は言い切ってしまいたいのです。

加害者も被害者で、誰も悪くない、時代がそうだったという結論になり、あとは粛々と、後の時代に向けてできることをやっていくしかない、という心境です。

大元は、戦争にあった。
私たちは77年経った今も、まだその残された処理をしている。

と、トラウマを扱う立場としては、そんなふうに感じることがあります。

ここからは、私個人の話・・・

京都・祇園の街並み

昔、「戦争」をテーマに自分のトラウマを扱った経験がありました。
その時、出てきたのは、私の祖父が戦場で兄を亡くして、戦争から帰ってきてからの夫婦関係のことでした。

トラウマというのは、思考や感情よりも、身体としての記憶として残ることは、ソマティック心理学というものをベースにしているために知識や事例では知っていました。

けれど、やはり自分の身体感覚として落とし込むこと、それ以上の学びはないと感じた出来事でした。

実際、私は自分の身体に戦争のカケラが残されているのを感じたのです。

それは私の身体に「言ってはいけない」こととして喉に残っていたし、次々と、「私はこんなことが言いたかったんだ!」と止まらない饒舌な自分が出てきて涙が出て、笑いが起きて・・・大きなものが癒しとして解放されていく体験になったのです。その後、とてもスッキリした身体感覚と、腹の底から安心する感覚があって、これがトラウマからの解放だと身体で理解できました。

それまでは、私は戦争からあまり影響を受けていない、戦争を知らない子どもたちの一人だと思っていたので、こうして戦争のカケラを自分の中から発掘したことは驚きでした。それから「戦争は、まだ続いている」という確信と、トラウマのセラピーというものは「先祖供養だ」「平和への祈りだ」という実感が残りました。

その後も、自分の表現について踊りや音楽、アートセラピー、ボディワークや、舞や祈りという活動によって少しずつ解放していっているわけです。
それから、子ども臨床という現場で、子どもや親の中にある傷つきをカウンセリングすることで、少しずつ過去の癒し、もとい先祖供養をしている気持ちでおります。

奈良の大神大社・久すり道

今回のC-19禍も、トラウマの一つだと考えられます。

この長すぎる異常事態がトラウマだと捉えている人はどれだけいるでしょうか。トラウマは、大きすぎる多すぎる急すぎるだけでなく「長すぎる」ことでもトラウマになるのです。

私は、この後の子どもたちの心がどう変わっていくかを心配しています。同時に、平和を祈っています。

ニュースで流れてくることや
周りの多勢の意見、考えと
自分の本当の気持ちとのギャップに苦しんで

「言いたくても言えない」

「これは不謹慎だから言ってはいけない」

という空気になっている子どもたち。

マスク外していい場面でも、外せない子もたくさんいます。

「外すとなんか言われそう。
 顔を見られるの恥ずかしい。
 マスクないと落ち着かない。
 マスク詐欺とか言われる」

子どもたちの本音が、誰かを意識したもので隠れています。

本当は何を言ったっていいんだよという
守られた場所で、自分の思いを叫ぶそんなことが許される場を作りたい、そんな思いでカウンセリングをしています。

マスクなんてしたくなーい!
○○はんたーーい!
それ、違うんじゃないの?
私はそうは、思わない!

そう、そういうことが言いたかったんだ!!
(と、まふまふさんの歌みたいに)

それが、今まさに私たちが受けているトラウマの軽減にもなるし
爪痕を身体に残さない秘訣なんじゃないかなと。

地面に大きな穴を掘って、私たちは叫んでもいいんです。
言いたいことを。
「もうやだーーー」と、叫ぶのはもしかしたら武器を持つよりも自分を強くするんじゃないかとそう思うのです。

どうか、77年の終戦記念日に静かに手を合わせる時間が、一人ひとりにありますように。

貴船の旧暦・七夕まつり

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