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映画「ピノキオ(実写)」感想

 一言で、ピノキオの可愛さや成長、世の中の怖さや社会風刺など、原作童話やアニメ版の良さを残しつつも、現代的なメッセージも取り入れています。果たして「ゼペットとピノキオの願いは叶ったのか?」鑑賞後に考えてみるのも面白いですね。

評価「B-」

※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。

 本作は、1940年に公開されたディズニーアニメ映画『ピノキオ』のリメイク作品です。原作はイタリアの作家カルロ・コッローディが1883年(19世紀後半)に発表した童話『ピノッキオの冒険』です。イタリアでは、世の中の怖さや社会風刺を鋭くついた点が高評価されて国民的童話となり、やがて世界中で大ヒットしました。それ故に、幾つものリメイク作品が制作され、150年近く愛される名作となりました。

 ここでは、ディズニー映画の『ピノキオ』について言及します。まず、上映時間は、アニメ版は88分、実写版は105分と、アニメ版と比較すると本作は少し長くなっています。また、内容は、大筋は同じものの、一部違う点もあるので、両者を比較しながら観ると、新たな発見があるかもしれません。

 本作の監督は、ロバート・ゼメキス氏で、代表作には、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』・『フォレスト・ガンプ/一期一会』など、コミカルでハートフルな名作を多く手掛けています。

・主なあらすじ

 風変わりなおじいさんのゼペット、彼は幼い息子に先立たれ、「もう一度彼に会いたい…」と思い続けながら一人孤独に暮らしていました。
 そんなある晩、ゼペットが作った木彫りの人形ピノキオに、妖精ブルー・フェアリーが魔法をかけ命を授けます。
 “本当の人間の子”になるために、学校に通おうとするピノキオ。ジミニーは、そんなピノキオに善悪を教えながら導いていこうとします。しかし、純真無垢なピノキオには、あらゆる誘惑や試練が襲い掛かります。
 「ゼペットの息子になりたい」という願いを叶えるため、ピノキオは困難が待ち受ける大冒険に出かけますが…。(公式サイトより引用)

・主な登場人物

・ゼペットじいさん(トム・ハンクス/江原正士)
 ピノキオの「生みの親」。幼い息子と妻に先出たれており、いなくなった息子を思い出すかのように、ピノキオを造りました。やがて、いなくなったピノキオを探しに、飼い猫のフィガロと金魚のクレオと共に、大海原へ漕ぎ出します。

・ピノキオ(ベンジャミン・エヴァン・エインズワース/川原瑛都)
 松(ピノ)の木でできた子供の人形。ゼペットじいさんを親として慕い、「息子になりたい」と願いますが、好奇心旺盛で純真無垢な性格故に、あらゆる誘惑や試練に巻き込まれます。

・ジミニー・クリケット(ジョセフ・ゴードン=レヴィット/山本耕史)
 服を着て傘を持ったコオロギ。ピノキオの「良心」として、善悪を教えながら導いていこうとしますが…。

・ブルー・フェアリー(シンシア・エリヴォ/妃海風)
 願いの星から降りてきた青い妖精。ゼペットじいさんの願い通り、ピノキオに「命」を授けます。
 ちなみに、本作ではアフリカ系の女優が演じており、髪型はベリーショート(というかほぼスキンヘッド)となっています。衣装は、シンデレラのフェアリーゴットマザーのようなキラキラ透明でした。

・ストロンボリ(ジュゼッペ・バッティストン / 楠見尚己)
 ストロンボリ人形劇団の団長。大柄でビール腹、髭がモジャモジャで威圧的な男性です。ピノキオに「商業的価値」を見い出し、彼をスターにしようと企みますが…

・ファビアナ(キャン・ラマヤ / 早見沙織)
 ストロンボリ人形劇団所属の人形使いの少女。片足が不自由で、ハーネスをつけています。歌とバレエが上手で、その道を目指しています。

・サビーナ(ジャキータ・タレ / 大平あひる)
 サビーナの相棒のバレリーナ人形。ピノキオと同じく、「話す」ことができます。

・コーチマン(ルーク・エヴァンズ/吉原光夫) 
 ピノキオが出会った馬車の御者。子供達を沢山荷台に乗せ、「楽しい場所」へ連れて行くと甘言を囁やきますが…

・ランプウィック(ルウィン・ロイド / 今岡稔裕)
 コーチマンの馬車で出会った悪ガキ少年。ピノキオと共に行動し、一緒に悪事をしようと誘いますが…

・J(ジョン)・ワシントン・ファウルフェロー(キーガン=マイケル・キー /村田秀亮(とろサーモン)) 
 自称「正直ジョン」。しかし、内面は大ウソつきのキツネの詐欺師で、ネコの「ギデオン」とともに、登校中のピノキオを唆して、ストロンボリ人形劇団に売り飛ばそうと企みます。
 ちなみに、ネコの「ギデオン」は終始ジョンの太鼓持ちになっており、台詞は無かったです。
 それにしても、ディズニー作品の芸人の声優起用は、最近のトレンドなんですかね?

・ソフィア(ロレイン・ブラッコ / 土井美加) 
 ゼペットじいさんが餌で手懐けたひょうきんなカモメ。ピノキオ捜索に協力します。

・シニョーレ・レッツィ(アンガス・ライト / こねり翔)
 ゼペットじいさんの家の鳩時計を欲しがった黒ずくめの男性。じいさんからは拒否されて、しぶしぶと立ち去ります。

・モンストロ
 ピノキオとゼペットじいさんらが海で出会った「鯨」。彼らを飲み込み、脱出してからは追いかけ回します。

1. 本作のピノキオは、アニメ版と同じく「人形」である。

 本作のピノキオは、アニメ版と同じ「人形」で、一部の動きをCGで補っています。字幕版も吹替版も、子役の舌足らずな話し方が可愛く、5-6歳くらいの等身大の少年らしさがありました。
 特に、命が芽生えた直後に、ゼペットじいさんの言葉を「オウム返し」していたシーンが好きでした。  

 それにしても、イタリアの少年は、とても可愛いですよね。昨年公開・配信された映画、『ほんとうのピノッキオ』や『あの夏のルカ』とかもそうでしたが。

2.トム・ハンクスはカメレオン俳優すぎる!

 本作、ピノキオは可愛かったですが、トム・ハンクス演じるゼペットじいさんも良かったです。
 彼は、本当に「カメレオン俳優」で、色んな役柄を演じますね。正直、『フォレスト・ガンプ/一期一会』のフォレスト・ガンプや、『エルヴィス』のトム・パーカーと同一俳優とは思えないほどの役作りと役者魂を感じました。(ちなみに、前者は丁度ロバート・ゼメキス監督作品でしたね。)

3. 作中の「小ネタ」より、随所でファンサービスを感じる。

 本作も、今までのディズニー作品と同じく、「小ネタ」が散りばめられていたので、それらを探すのに必死になりました。こういったファンサービスは流石です。

 まず、ディズニー映画のオープニングで流れるBGMは、『星に願いを』ですね。本作では、この曲をジミニーとブルーフェアリーが歌います。

 また、ジミニーが傘を使って空を飛ぶシーンは、まるで『メリー・ポピンズ』のようでした。

 そして、一番印象に残ったのは、ゼペットじいさんの家の鳩時計です。壁一面が鳩時計で埋められていたので、その数の多さに驚きました!しかも、まるでからくり時計みたいな精巧なレベルで、「鳩」の部分が、アニメでおなじみのお尻をたたく時計に警官が止めに入る動作が追加されているだけでなく、様々なディズニー・ピクサー関連のキャラクターになっていました。
 私が見た限り、トイ・ストーリーのウッディとブルズアイ、おしりに火がついたドナルドダック、ロマンティックなロジャー・ラビット、眠れる森の美女(オーロラ姫とマレフィセント)、ダンボ、ライオン・キング(ラフィキがシンバを掲げたシーン)、白雪姫と七人の小人(白雪姫・小人・毒リンゴの魔女)などがいました。これらの時計、あまりにも完成度が高いので、欲しくなります。シニョーレ・レッツィが欲しがったのも納得です。彼は、あひるの鳩時計を欲しがっていましたが、おそらくドナルドダックのことでしょう。
 ちなみに、小さなオルゴールもとても可愛かったです。オルゴールについている人形ですが、ジミニーが彼らを人間だと思って、何度も話しかけていたのには笑いました!

4. ピノキオがハイスペックすぎて、ただの木の人形とは思えない!

 本作では、ピノキオがハイスペックすぎて、ただの木の人形とは思えませんでした。まるで、『トイ・ストーリー』に登場する玩具達のようでした。※あちらは、最初は「自分を玩具とは思ってない」キャラがいましたが。
 まず、ストロンボリ人形劇団では、ストロンボリが奏でる大きなオルゴールのメロディーに、合わせて踊り、『もう糸はいらない』を歌いました。
 最初はピノキオのソロステージだったところに、ラッパ隊やクラシックバレエやフレンチカンカン、コサックの踊りなどが加わり、観客は大盛り上がりでした。ここは、『おもちゃの兵隊』や『くるみ割り人形』、『ペトルーシュカ』っぽさがありました。
 それにしても、ピノキオが激しく踊りすぎて、舞台が「燃えた」のにはヒヤヒヤしました。

 また、物語終盤でモンストロから逃げる際に、海上でピノキオがバタ足したら、モーターボート並の速度が出たのは大爆笑でした!

 これらを見ていると、こんなにハイスペックなら、もう人間にならなくても良くない?と思うほどでした。

5. ケモナー・ホラー映画・パニック映画の要素はガッツリ仕込まれている。

 本作は、ケモナーやホラー映画やパニック映画の要素はガッツリ仕込まれており、その手のマニア達には堪らない作品だったと思います。これらのシーンはとても怖く、また「不気味の谷」現象にも何度か陥りました。

 まず、「ケモナー」の要素は、正直ジョンとギデオンですね。彼らの毛がフサフサすぎて、本当にリアルな動物の毛並みでした。このCG技術は流石ディズニーですね。

 また、「ホラー映画」の要素は、コーチマン〜プレジャーアイランドの場面ですね。コーチマンが登場すると、急にミュージカル仕立てになりました。
 ここの場面、一見すると子役が活躍するファミリー向け作品、例えば『サウンド・オブ・ミュージック』や『アニー』、『オリバー!』みたいなんですが、背後で暗い夜道とコーチマンの狂気が後押しするせいで、とても怖かったです。吹き替えの吉原光夫さん、実写版「美女と野獣」のガストン役に続き、ヴィラン役が嵌っています。

 プレジャーアイランドの遊園地は、見世物小屋とカジノが混ざった、所謂「大人の遊園地」で、随所に「人の闇」を感じました。『少女椿』・『ナイトメア・アリー』みたいなおどろおどろしい雰囲気が漂っており、トム・ハンクス繋がりで、『エルヴィス』の序盤も思い出しました。※尚、このシーンにトム・ハンクスはいませんが。一種、『ピーター・パン』の「ネバーランド」もこれかなぁと思いました。

 遊園地のアトラクションは、とにかく凶悪で、無限ビュッフェ・万引きショップ・悪い学校・時計の破壊・花火による放火など、非行のオンパレードでした。この辺は、実際の子役が演じると、アニメ以上にエグかったです。シュガーマウンテンにて、カラフルな砂糖の海でボートレースをしている所は『シュガーラッシュ』っぽいんですが、その後に子供達がピアノを落として壊したシーンが嫌でした。ピアノ経験者としては許せません。

 アニメ版との違いは、未成年の飲酒喫煙シーンがカットされたことと、ピノキオの罪の意識が重くなったことです。前者については、ビールがルートビアというノンアル清涼飲料水に変更されました。また、ジミニーがピノキオを助けに行く手段は、「煙草の火」ではなく、「ロケット花火」になりました。後者では、アニメ版ではピノキオはアッサリと飲酒喫煙しましたが、実写版ではゼペットじいさんを思い出し、罪悪感からこれらを躊躇していました。

 子供達がロバにされる下りは、「獣人ホラー」そのものでした。ランプウィックがロバに変えられるとき、頭だけロバになるタイミングがあるのですが、手足は人間のままなのが気持ち悪かったです。ここは、本当に「不気味の谷現象」マックスで、「ミノタウロス」や「件(くだん)」を思い出しました。※そういえば、もうすぐ羊ホラー映画『LAMB』が公開予定ですね。
 最後、ロバ達は檻に入れられて、塩鉱山に売られるのですが、これは「人身売買の暗喩」ですね。結局、子供達はロバから人間に戻れないのが気の毒でした。

 そして、「パニック映画」の要素は、モンストロからの逃避行シーンですね。本作のモンストロは、大きな鯨に触手が生えたようなフォルムで、まるで『ジョーズ』みたいなサメ映画と、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のクラーケンをミックスしたような見た目でした。ただ、モンストロからの逃亡時に、大波に揉まれてピノキオやゼペットじいさんが洗濯機状態になる所で、もしかしたら津波を思い出す人もいるかもしれません…注意喚起するレベルではありませんが。

6. 本作では、「時計」がキーアイテムとなる。

 本作では、「時計」が何度も登場し、キーアイテムとなります。主な登場場面は、ゼペットじいさんの家とプレジャーアイランドです。
 まず、なぜゼペットじいさんの家には、時計が沢山あったのでしょうか?それは、彼が妻へ毎年時計をプレゼントしていたからです。しかし、彼女が亡くなってからも時計に囲まれていたということは、妻(子)の時間を「手放せなかった」のかな?と思います。所謂、「死んだ子(妻)の年を数える」状態だったのかもしれません。(この辺は、『鉄腕アトム』の天馬博士と飛雄を思い出します。)
 しかし、彼はいなくなったピノキオを探し、ボートを買うためにそれらを全て売ってしまいました。当然、家からは時計は無くなってしまいましたが、それはお別れした妻子の時間よりも、今いるピノキオが大事になったからだと思います。(勿論、「妻子の思い出を忘れる」という意味ではなく、「今あるものを大事にする」という意味で。)
 一方で、「時計が無くなる=時を刻む物が無くなる」ということは、結末の「伏線」だったのかもしれません。ピノキオが人形のままで人間にはならない(人間のように年を取らない)ことへの暗喩だと思いました。
 また、「プレジャーアイランドでの時計破壊」ですが、それは「時計を壊すこと=時を刻めなくなる」、よって子供達が大人になれないことへの暗喩だったのかもしれません。

7. 原作童話やアニメ版の良さを踏襲しつつも、現代に向けてのメッセージもある。

 本作は、原作童話やアニメ版の良さを踏襲しつつも、現代に向けてのメッセージもありました。
 正直ジョンがピノキオを唆すシーンで、「学校なんて凡人が行く場所。才能ある奴は学校なんか行かない。だから、君ならインフルエンサーになれるぜ!」みたいな発言があります。
 原作童話やアニメ版でも、「君には才能があるんだよ」みたいな甘言はあり、「詐欺事件への入口は、そこらじゅうにある」ということを示唆していましたが、本作にて「インフルエンサー」という昨今でメジャーになった言葉が出てきたことには驚きました。こういう表現は、今どきだと思います。
 また、プレジャーアイランドにて、「悪口のアトラクション」という、顔を隠して親や友人の悪口を拡声器で叫ぶ、看板やスクリーンで掲げるといった場面がありましたが、ここはSNSなどインターネットにおける匿名の誹謗中傷・炎上・拡散の暗喩だと思いました。

8. 新キャラのファビアナとサビーナが良く、今後のフラグも立ちそう。

 本作では、新キャラとしてファビアナとサビーナという二人の女性が登場し、ピノキオの決断に大きな影響を与えています。
 ファビアナは名前と女優の容姿から、ラテン系ではないかと思います。原作童話が発表された19世紀は、既にヨーロッパは植民地進出を果たしていたので、もしかするとラテンアメリカからの移民の子孫かもしれません。
 また、もしかしたら『ノートルダムの鐘』のジプシーの女性エスメラルダのように、「流れ着いた者」なのかもしれません。(ちなみに、足のハーネスというと、『フォレスト・ガンプ/一期一会』を思い出します。)
 ストロンボリがいた頃は虐げられていたファビアナでしたが、とある理由から彼がいなくなり、晴れて自由の身になりました。また来年もシエナで再会してほしいです。ピノキオとサビーナに、「フラグ」が立っていましたし。
 それにしても、ファビアナ役の早見沙織さん、本当に歌が上手かったです。流石、演技の幅の広い声優さんでした。

 ちなみに、サビーナは喋る人形でしたが、よく見るとファビアナは口を動かしてなかったので、腹話術?と思いました。一方で、ピノキオと同じく「命」を得た人形だったとも考えられます。もしかしたら、ファビアナもブルーフェアリーに出会っていたのかもしれません。(ちなみに、ファビアナとサビーナの声優さんは違う人でした。)

9. 基本楽しめるけど、突っ込み所もあるかな。

 本作、観てて楽しかったですが、一方で突っ込み所も多かったです。
 まず、本作は「勧善懲悪物語」ではありません。ジョン・ギデオン・コーチマンなどの「悪役」は一時的に退けられたものの、彼らは成敗されず、改心もしません。また、プレジャーアイランドでロバにされた子供達は人間には戻れません。ここからは、「悪は身近なものだから、逃げる術を身につけなさい。」というメッセージを受け取りました。まぁ、童話はこれくらいダークな方が心に残るのだと思います。

 そして、一つ一つのエピソードに脈絡がなく、「その後」が不明なキャラも多いです。まぁ、この話は飽くまでも、「ピノキオの珍道中物語」だから、彼らの行方はピノキオには「関係ない」ということでしょうか。ここは、前のアニメ版でもそうでしたが。
 それにしても、ストロンボリ逮捕には驚きました。彼が去った後は、劇団はファビアナが仕切っているってこと?しかし、他の人達はどうしたんでしょうか?

 ちなみに、原作童話にあった、「猿の裁判所」や「サーカス団」は、アニメ版と同様にカットされています。

10. 結局、ゼペットじいさんの願いって叶ったのかしら?

 本作のラストですが、アニメ版とは違いピノキオは「人形のまま」で終わります。
 実は、ゼペットじいさんの願いは、敢えて観客には「聞き取れない」演出になっています。願い星からやってきたブルーフェアリーは、息子の写真を通じて、ピノキオに「命」を与えました。それなら、ピノキオの「魂」は「亡くなった息子のもの」なのでしょうか?しかし、それなら一度喪った人間の肉体は取り戻せないので、「肉体の代わり」があの「人形(ピノキオ)の体」ということですかね?

 また、終盤でゼペットじいさんは大波で溺れてしまい、目を覚ましません。そこで、ピノキオが『星に願いを』を口ずさみ、涙を流すと、彼は息を吹き返しました。ここはアニメとは逆です。アニメ版ではゼペットじいさんが息絶えたピノキオを連れて帰り、ブルーフェアリーがピノキオを人間の子供にします。
 本作のメッセージは、「大切なのは見かけではなく心の在り方」です。だから、ゼペットじいさんは人間でも人形でも、「真の息子」に変わりないことに気づいたのです。そういえば、よく考えてみると、ピノキオの願いは「ゼペットじいさんの息子になりたい」であって、「人間になりたい」ではないんですよね。

 一方で、「人間と人形の違い」についても考えます。時系列的に考えれば、ゼペットじいさんはピノキオよりも先に亡くなるでしょう。なぜなら、人間には「生命としての」寿命があるからです。しかし、人形はそうではなく、環境さえ整えば「(物理的ではあっても)永遠の命」を手に入れられます。

 だから、いつかピノキオがゼペットじいさんと別れても、ピノキオに「居場所」があってほしいなと思います。(この辺の話は、『トイ・ストーリー』のテーマを思い出しますね。)

 それにしてもディズニー作品、毎度クオリティーが高いので、本作が配信のみなのは勿体ないと思いました。しかし、今後は劇場公開や配信など、視聴方法を時と場合によって組み合わせていくのも、セールスの一環なのかもしれませんね。

出典: 
・実写映画 『ピノキオ』 公式サイトhttps://disneyplus.disney.co.jp/program/pinocchio.html 

・『ピノキオ』 (2022年の実写映画) Wikipediaページhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%AD%E3%82%AA_(2022%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%86%99%E6%98%A0%E7%94%BB)

・『ピノキオ』 (1940年の映画) Wikipediaページ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%8E%E3%82%AD%E3%82%AA_(1940%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)

・エンタNOW【ディズニープラス独占配信】実写版『ピノキオ』(2022)トリビア、小ネタ、伏線、隠し要素、アニメとの違いまとめhttps://www.entanow.com/pinocchio/