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映画「エゴイスト」感想

 一言で、高山真氏の自伝的小説であり、ゲイカップルの交際と別れを通した、性別や血の繋がりなどのボーダーを問う「愛と赦し」の物語です。主人公の行動は賛否ありますが、だからこそこの題名なのだと思います。

評価「B」

※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。

「愛は、身勝手」

 本作は、数々の名コラムを世に送り出してきた高山真氏による同名の自伝的小説がベースとなっています。
 高山真氏は、東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後に出版社に勤務され、『こんなオトコの子の落としかた、アナタ知らなかったでしょ』(飛鳥新社)でデビューし、『羽生結弦は助走をしない』(集英社)で一躍有名になったエッセイストです。
 彼自身は「オネエ」を公表しており、本作に出演したドラァグクイーンのドリアン・ロロブリジーダさんとは、生前親交があったようです。

 あらゆるテーマを愛と毒のある切り口で、時に笑い、時に人生哲学に昇華させる彼の名コラムはOggi他様々な媒体で人気を集めました。2012年に小説家、浅田マコト名義で発売されたのが、この『エゴイスト』です。
 しかし、彼は2020年に御逝去されており、没後から1年後に高山真名義で復刊されました。ちなみに、高山氏は、生前は一切顔出しをされなかったようで、顔写真は見つかりませんでした。

 そして、その2年後の2023年に松永大司監督によって映画化されました。第35回東京国際映画祭では、 2022 コンペティション部門に選出され、話題になりました。
 松永監督の主な代表作には『トイレのピエタ』、『ハナレイ・ベイ』、『Pure Japanese』などがあり、「様々な境界線」を問う作品が特徴的です。
 松永監督は、約10年前にトランスジェンダーの友人を撮影したドキュメンタリー『ピュ~ぴる』を発表しており、日本での性的マイノリティーが置かれている状況への理解が深まらない中、次は同性愛者の主人公をしっかり描きたいという思いがあったそうです。
 


・主なあらすじ


 14歳で母を失い、田舎町でゲイであることを隠して鬱屈とした思春期を過ごしてきた浩輔。今は東京の出版社でファッション誌の編集者として働き、自由な日々を送っています。
 そんな彼が出会ったのは、シングルマザーの母と共に暮らす、パーソナルトレーナーの龍太。惹かれ合った2人は、時に龍太の母も交えながら満ち足りた時間を過ごしていました。亡き母への想いを抱えた浩輔にとっては、母に寄り添う龍太をサポートし、愛し合う時間は幸せなものでした。しかし、彼らの前に突然、思いも寄らない運命が押し寄せます…。

・主な登場人物

・斉藤浩輔/ 鈴木亮平(中学時代: 和田庵)
 本作の主人公でゲイの中年。普段はファッション誌の編集者として働き、自由な日々を送っています。14歳で母を亡くしており、18歳で上京します。少年期に酷いいじめを受けた故郷を憎んでいます。
 ある日、友人が紹介してくれたパーソナルトレーナーの中村龍太と出会い、次第に惹かれていきますが…。

・中村龍太/ 宮沢氷魚
 浩輔と出会ったゲイの青年。母と二人暮らしで、若い頃から病気がちな母を支えています。表向きはパーソナルトレーナーとして働いているものの…

・中村妙子/ 阿川佐和子
 龍太の母。病気がちですが明るい性格。やがて浩輔とも交流を持ち始めます。

・斉藤しず子/ 中村優子
 浩輔の母。浩輔が14歳の頃に病気により他界します。

・浩輔の友人/ ドリアン・ロロブリジーダ 浩輔の友人、居酒屋にてゲイ仲間と会話に花を咲かせます。 

・斉藤義夫/ 柄本明
 浩輔の父。妻と死別してからは独居生活。若い頃に出奔した息子を色々と案じます。

① 俳優さんの魅力が存分に引き出せている。

 本作、俳優の演技と会話のテンポはとても良かったので、しっかり物語に引き込まれました。理詰めな浩輔と、天真爛漫な龍太、病気がちだけど明るくて存在感のある妙子など、俳優さんの見た目も雰囲気もマッチしていて素晴らしかったです。
 改めて見ると、浩輔と龍太は本当に絵になる二人でした。ポスターの裸も、肉づきが良すぎてギリシャ彫刻かと思うほど綺麗です。だけど、如何にも下品で厭らしい感じがしなかったのも良かったです。

 鈴木亮平さんはカメレオン俳優で、演技も体格も作品によって違いすぎます。『HK/変態仮面』・『俺物語!!』などのコメディーから、『天皇の料理番』・『花子とアン』・『西郷どん』・『燃えよ剣』などの歴史物や人物物、『孤狼の血LEVEL2』のバイオレンスヤクザ物まで、ジャンル問わずオールマイティーすぎて凄いです。
 それにしても、鈴木亮平さんは長身で恰幅が良いので、ブランドスーツにグラサンかけるとマジの893みたいでした。まるで、『孤狼の血LEVEL2』じゃないかと。※此方は同じR15+作品でした。
 本作を振り返ると、鈴木さんの肉体的な魅力は高いけれど、それでいて理詰めな性格というのが、浩輔とマッチしているように感じました。

 宮沢氷魚さんは『his』でもゲイの演技が光っていました。彼はアメリカクオーターで、色白な見た目のせいか、身長は高いけど、どこか儚くて「守ってあげたい系男子」っぽさがありました。何となく、庇護欲を掻き立てられる感じがありますね。作中でも言われてましたが、男性が好きそうな男性らしさがありそうです。本当に、不思議な魅力のある俳優さんでした。
 正直、龍太については「あの元俳優さん」を思い出しました。もし彼が演じてたらどうなってたのかな?いや、やっぱり難しいのかな?

 TwitterやPixivでは嵌った人が多いのか、感想絵をチラホラ見かけました。嵌る人は嵌ると思います。

② R15+の理由は?

 本作の映倫レーティングは「R15+」となっていて、(15歳以上は鑑賞可能とはいえど)「大人向け映画」となっております。
 その理由としては、男性同士の「行為」やセックスワーカーがテーマの中に組み込まれているからだと思います。ポスターや予告編映像の時点で俳優のディープキスや絡みがガッツリ映ってます。後は、ゲイ風俗の行で「売り」や専属の「客」になる、といった言葉があるので、この辺の描写が「R15+」指定を受けたのでしょう。

 ちなみに、「絡み」については、浩輔と龍太は裸になっていて、腰の振りや声は表現されているものの、映っている所は主に上半身のみであり、下半身が映るシーンもうまく足や影や物で隠されていました。後は、「液」とかは出てないけれど、処理後にティッシュで「拭き拭きする」シーンが生々しかったですね。

③ ドキュメンタリー・エッセイ系作品としての良さを感じる。

 本作、作風としては、ドキュメンタリー・エッセイに近いと思います。一見すれば淡々としていて地味だけれど、それが作品としての良さに繋がっていると感じました。ある意味、浩輔や龍太にカメラで密着し、日常を切り取った「私小説」とも言えそうです。
 それ故に、本作には「明確な答えやオチ」はありません。だから、あのラストシーンがゴールだとも思いません。しかし、浩輔や龍太をはじめ、どれだけ視聴者が登場人物達の人生に思いを馳せられるかが、こういう作品を楽しむコツなのだと思います。

 所謂、涙を誘ったり、大きな感動を狙ってくるような感動大作ではないかもしれないけれど、コアな人気があるのも納得の作品でした。(これは『そばかす』や『ケイコ目を澄ませて』とかでもそうでした。)

 また、登場人物達の言動も極めて「自然」で、如何にもわざとらしい演出は抑えられているように感じました。
 浩輔と龍太について、カップリングとしては「浩×龍」だと思います。左が攻めで、右が受け。あ、でも浩輔と龍太が商売の関係を超えてお互いを意識したシーンで、歩道橋でキスしたのは龍太が先だったな。

 トレーニング後に飲酒やケーキ。浩輔がストイックなようでそうでないの、どこか龍太に対して「背徳感」があるのかな?仲間にも「行為が丁寧すぎる、もっとガッついてほしい」、「ついちゃダメな嘘と、ついても良い嘘があるのよ~フフフ〜(笑)」なんて愚痴りつつも惚気けるし。

 浩輔が龍太の実家に招かれて妙子と会うときに、正装をしてギフトを渡すシーンなんて、「婚約者の顔合わせ」みたいでした。その後、妙子の料理を食べて3人で記念撮影もしたシーンは好きでした。

 浩輔の部屋にて、疲れて眠ってしまった龍太に浩輔がハンドクリームを塗る自然な動作も印象に残りましたね。

 ちなみに、ドリアン・ロロブリジーダさんについて、いつものドラァグクイーン姿で出てくるのかと思っていたので、一瞬どこにいるか探しました。実は浩輔のご友人役だったとは、鑑賞後にパンフレットで確認して気づきました。これも、つい「いつものイメージ」で見てしまってる、固定観念の現れかもしれません。

④ 反復されるシーンや小ネタが多く、意味を知るとより作品への理解が深まる。

 本作は、前述より、とても地味で淡々とした作風でした。しかし、その作風に反して、とにかく反復されるシーンや小ネタが多く、それらの意味を知るとより作品への理解が深まったように感じました。

 まず反復されるシーンについて、浩輔は鏡の前で派手なコートを着て、ちあきなおみ氏の『夜へ急ぐ人へ』を熱唱し、また鏡の前で眉を描く行為が何度か見られました。
 浩輔にとっては、社会に出る時に派手な服装で固めるのが「鎧」としての役割を果たしています。本当の自分を他人に見られてはいけない、知られたくない、そう思うのはおかしいんだけどそうせざるを得ないと思っている、そんなジレンマを感じました。
 眉を描くのも、そのファッションの防御の一つのように思います。龍太が死に、妙子が入院して、浩輔は疲弊していってしまいますが、やがて身なりを気にできなくなってしまう。病院のトイレで久しぶりに眉を描くシーンで、一瞬でもいつもの自分を取り戻そうとしているかのように感じました。

 次に小ネタについて。『夜へ急ぐ人へ』については、歌詞とシーンがリンクする部分があったように思います。「私の心の深い闇の中から おいでおいでをする人 あんた誰」、「勇気で終わる恋もありゃ、臆病で始まる恋もある」などの部分がそれに当たると思います。ドリアンさんは鈴木さんに、この歌を通して「もっと己の中の『人あらざるもの』を下ろして!」と伝えたのだとか。

 また、『キャンプ』は、スーザン・ソンタグが1964年に発表した『《キャンプ》についてのノート』から取ったもので、審美的な態度や趣味、行動に対する考え方です。元はゲイカルチャーから生まれた言葉だと言われ、ドラァグクイーンの美も「キャンプ」の一つであると定義されています。高山真さんがとても影響を受けた書き手の方だとか。

 そして、作中にてゲイ三大映画として挙げられたのが、『疑惑』・『Wの悲劇』・『吉原炎上』です。どれも「女達のドロドロとした闘い」を描いており、「これらを観ていないと一端のゲイとは言えない」と喧伝されるとか。※ちなみに、『疑惑』には柄本明さんが出演されています。

 さらに、劇伴であるチャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』も、今後の彼らの運命を暗示しているように感じました。
 チャイコフスキーはうつ病を長く患っており、この曲は彼のそのような精神状態を表したものではないかとも言われています。そして初演のわずか9日後に、コレラや肺水腫が原因で帰らぬ人となってしまいました。
 また、チャイコフスキーは同性愛者だったのではと言われています。当時のロシアはキリスト教倫理や道徳的な禁忌が強い国で、同性愛が発覚すれば、市民権もはく奪されシベリアへ流刑となるほどの罪とされました。

⑤ 松永大司監督やキャストのテーマに対する思いとは?

 本作は俳優の魅力だけでなく、テーマへの向き合い方に真摯さを感じました。きちんと最後まで見れる内容になっています。
 
 前述より、松永監督は「日本での性的マイノリティーが置かれている状況への理解が深まらない中、次は同性愛者の主人公をしっかり描きたいという思いがあった」と仰っています。
 まず、映画では、原作にある息苦しさや胸の痛みのようなものを出したいと、原作が持っている甘い部分はそのままに、映像化したときはもっと踏み込んでザラザラした手触りがあるものにしたいと仰っていました。
 また、原作の主人公像に加えて、高山さん自身の「ユーモアと棘のある」魅力的な面を入れて映画を作るために、高山さんの関係者の方にも取材をされたそうです。
 そして、リサーチにあたって、LGBT-Q Inclusive Directorのミヤタ廉さんの監修の元、龍太が「売り」をしていた設定について、セックスワークで働く男性方に取材し、お客様への向き合い方を取材されたそうです。

 主演の鈴木亮平さんは、「僕が想像で演じてしまうだけでは、当事者の方への偏見やステレオタイプを助長してしまう可能性がありそうでした」と仰っていました。そこで、松永監督がミヤタ廉さんやドリアン・ロロブリジーダさんら当事者の方たちを集めてくださったことで、この座組ならやれるかもしれないと思われたそうです。

 宮沢氷魚さんは、「今の自分が当たり前に受け入れられる世界と、そうではない世界がある。そこに気づいたことで、何ができるのではないか」と気づかれたと。また、龍太のモデルとなった、高山さんの恋人の方については、「人生は長さではなく、与えられた時間で何を経験できたかが重要で、その方も精一杯生きて、経験を積まれたと思います。それを伝えられる人になれたことに感謝します」と仰っていました。

⑥ 途中まで登場人物の発言や会話がグサグサ刺さるけど、最後は気持ちが昇華される。

 本作、前半に辛いシーンは多いけど、最後には救われます。「衝撃的なラスト」みたいに宣伝されていたので、観る前は、二人が心○するのか、何か警察沙汰を起こしてしまうような、ヘビーな展開を予想していましたが、そっちには行かなかったです。その辺を危惧してましたが、そこは大丈夫でした。

 冒頭、中学生時代に浩輔の母が亡くなります。葬式後、クラスメイトに香典返しであるノートの束を渡すも、表面にある水引の紙をビリビリに破られ、「オカマとそのババアの物なんて要らねぇよ、バーカ。」の暴言を吐かれました。ここは辛かったです。

 その後、現在の帰省した浩輔が映ります。横断歩道ですれ違った作業服の男を見て、浩輔は心の声で「アイツはブタ1号」と蔑みます。恐らく、彼を虐めていたクラスメイトの一人ですが、相手は浩輔には気づきません。浩輔はその後、「ブランド服とグラサンは俺を守ってくれる鎧だ。アイツはしがないサラリーマン、俺のほうが『上』だ。」と、歪んだ気持ちを吐露します。(勿論、そうなってしまった所以はあるのですが、)いじめは本当に心を傷つける、人格や人生まで歪ませてしまう恐ろしい物だと感じました。

 浩輔と龍太、どちらも「14歳」で母との関係性が変わっています。浩輔は死別、龍太はヤングケアラーになりました。

 実家での父と浩輔の会話、
父「良い人いないのか、お前も歳だろ。」「同窓会のハガキどうするか?」
浩輔「要らねぇよ、捨てといて。」
父「いつも母さんの墓参りには来てるよな、でもこの街が嫌なら戻らなくても良いんだぞ。」

 妙子が入院してから、
父「お母さんの看病か、別に大変じゃなかったぞ。お母さん、一度俺に『病気になってごめんなさい、別れて』って言ったんだ。でも、俺は別れてくれなんて言葉は俺を嫌いになってから言ってくれって返した。二人で泣いたよ、そして最後まで看取ったよ。」

 父は息子の「嗜好」を理解した描写は特にありませんでした。一方で、「良い人」発言があるので、孫が見たかったのかなとも思います。それでも、息子を気持ち悪がったりする描写もなかったです。父は息子について、知ってたのか?それとも…

 浩輔・龍太・妙子がそれぞれ発言した「ごめんなさい」。
妙子「何に謝っているの?貴方達は何も悪くないじゃない。」
 この言葉、謝罪というよりも、どこか相手に赦されたい、「ありがとう」よりも遥かに独善的かもしれません。

浩輔「俺には愛がなんだかわからないんです。」

妙子 外で遊ぶ子供を見て「可愛いね」からの、(妙子さんも孫が見たかったのかな。)
「あの子は貴方にとって大事な人なんでしょう。それに男か女なんて関係ないわ。」
「貴方は私を見てくれてるけど、もしかしたらあの子は貴方のお母さんを見てくれているかもしれないわね。」

 ここは、龍太はもう戻ってこない、でもそれは貴方のせいじゃないわ、と伝えているようでした。

 そして、妙子と同室には、いつも「息子さん?」と聞く認知症の老女がいたのですが、最後には妙子が「はい」と答えます。 

 ラストシーン、冷蔵庫からタッパーのおかずを取り出して食べる浩輔は、静かに涙を流しました。やはり妙子さんは作中で亡くなってしまったのでしょうか?

 パンフレットでは、草なぎ剛さんが主演した映画『ミッドナイトスワン』についても触れられていました。私はあの作品がどうも苦手なのですが、それは主人公を家族や社会で「排除したまま」だったからだと思います。だから、少なからずあの作品に感じた不満点は、本作で昇華されたように思いました。

⑦ やはり本作のタイトルは「エゴイスト」であっている。

 本作、なぜこのタイトルがついたのでしょうか?
 その理由は、皆が「エゴイスト」だからだと思います。
 本作のレビューを見ると、素直に感動された方が多いようでした。確かに「良い話」ではあるのですが、一方で、所謂「感動話」と受け取るにはどこか抵抗があります。

 個人的には、浩輔にどこか気持ち悪さ、後気味悪さを感じる点がありました。
 例えば、龍太を探したいからと、ゲイの出会い系アプリから彼を探し当てたシーンは、ヒヤッとしました。まるでストーカーみたいで。その後の「君のこと買うよ」も。

 また、妙子と龍太のアパートの枯れていく花と返事のない様子を見て、妙子の入院先を探しあてます。妙子は何も言わなかったにも関わらず。

 生活費も車代も、結局受け取ってしまった妙子。浩輔、結構押しが強いんですよね。自分を犠牲にしても相手に尽くそうとするのは「良いこと」なの?とここは首を傾げました。本当に相手を思うなら、相手の意見を尊重する、距離を取ることも必要ではないかと。浩輔は、酔ってその話をゲイ仲間にしたとき、皆引いてました。通帳のお金も出ていくばかりだし。

 これって、見方によっては、浩輔が龍太に成り代わろうとする?そこのポジションをゲットしようとしたようにも見えてしまうんです。
 実際、浩輔・龍太・妙子は、「常にどこかすれ違ってる」ので、全員共依存に見えてしまう。特に浩輔は、所謂「ミツグ君」ですね。そして、三者三様、お互いの行為を自分にとって「良いように」受け取ってしまう。だから、本作のタイトルは「エゴイスト」であっています。これが「愛」とかのタイトルだったら首を傾げていたと思います。

 この辺の描写が引っかかり、前評判ては「泣ける映画」との意見が多かったのですが、個人的には泣けず。
 浩輔のこういう考えや行動を「肯定」していいのか判断に迷うため、この評価としました。
 公開時、鈴木亮平さんが「本作は賛否両論あると思います。だからこそ、皆様から色んな感想を聞きたい。」と仰っていたのですが、確かにこの辺は観る側の意見が分かれそうだなと思いました。

 一方で、「エゴはやる側だけじゃないし、受け取る側にもあった。でも、周りがとやかく言うことではない」というのも一理あるかもしれません。
 所謂、「ギブアンドテイクだけじゃない、与えるだけの愛もある」、また「人を救う嘘もあるのかも」とも伝えているように思いました。
 其の辺を踏まえて考えると、浩輔は妙子と実母を重ねていて、自分が実母に出来なかったことを妙子(と龍太)にしたかったんだろうな、ということなのでしょう。

 松永監督は、「ある出来事に対して、当事者ではない周りがとやかく言って、社会的に結論を出そうとすることが多いですが、それって息苦しくないですか?時代や場所で考え方は変わるのに、マイノリティーは『異常』で、マジョリティーは『正常』なのか?本作における普遍的なテーマはここにあるのではないかと思います。」と仰っていました。
 
 後、「龍太の死因」については本作では明らかになっていなかったので、色々と考えてしまいました。過労による心臓発作?最初に頭をぶつけた事が原因の脳出血とか…?それとも…?
 ただ、交通事故や飛び降り、また性病や薬物などの描写はないので、やはり過労死が濃厚だと思います。
 一方で、死は「偶然」だったのか、それとも…それならもっと警察や周囲が騒ぐはずなので、そちらの線は薄いかなとも思います。
 それでも、「若い人の死」って扱いが難しいですよね。やはり別離の理由がそれになってしまうのはややテンプレだしベタだなぁと思いました。(勿論、原作がそうですし、高山さんのご経験に基づいた内容でもあるので、そこについてアレコレ言うのは野暮なのはわかってます。)

 まぁ、ここまで色々と述べましたが、本作については、ある種の「違和感」はあるけど、何故か「胸糞や不快になる話ではなかった」です。ここは不思議ですね。もしかしたら、松永監督が作中での伝えたいポイントを絶妙な位置に持っていったのかもしれません。

⑧ 海外での反応も気になる。

 本作は、小〜中規模上映で、かつ人を選ぶ内容故に、大ヒットは難しかったと思います。(大きい映画館では2月中旬の上映開始から2週目にして既に深夜上映1回しかなく、行きつけのミニシアターにリクエスト出したら4月に上映してくれました。どうしても大きいところだと埋もれがちな作品、インディペンデント上映で注目された作品だと思います。)

 しかし、作品の質が高いので、海外の映画祭に行ってもおかしくない作品だと思います。(今でも十分に評価されているけれど、)もっと評価されても良いとも思います。
 現に、第16回アジア・フィルム・アワードでは、宮沢氷魚さんが最優秀助演男優賞を受賞され、第22回ニューヨーク・アジアン映画祭2023では、鈴木亮平さんがライジングスター・アジア賞を受賞しました。可能なら、カンヌとか他の映画祭でも受けそうな題材だとは思うのですが。

 所謂、「変わった家族・奇妙な関係の物語」というと、是枝裕和監督作品を思い出しますが、これらとはまた違った描き方だと思います。松永監督も今後どんどん海外に進出してほしいです。

 それにしても、俳優の皆様、身長高いですね。舞台挨拶の映像を観たときに思いました。女優は実質阿川佐和子さんだけでしたが、阿川さんが小柄なせいか、他の俳優さんとの身長差が凄く、一瞬コラか合成写真かと思うほどでした。(気になる方は、リンクの映画ナタリー 舞台挨拶の画像を見てください。)

出典

・公式サイト
https://egoist-movie.com/index_sp.php
※ヘッダーは公式サイトより引用。

・公式パンフレット

・Wikipediaページ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エゴイスト_(映画)

・原作小説
https://dps.shogakukan.co.jp/egoist/

・2016年1月23日 God Bless Saturday - Fm yokohama【ゲストコーナー】 高山真 『恋愛がらみ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ~』
https://www.fmyokohama.jp/gbs/2016/01/post-fcf6.html

・チャイコフスキー「交響曲第6番 (悲愴)」の解説とオススメ名盤
https://tsvocalschool.com/classic/tchaikovsky-74/

・映画ナタリー 舞台挨拶の画像
https://amp.natalie.mu/eiga/news/512501