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#Opus4 偶然性 オープンダイアログ

 Venture Café Tokyoの小村さんから紹介された当時大学生4年生だった
Eさんとのオープンダイアローグ。
Eさんは大学1年生で企業し、1型糖尿病という病と10代の初めから共存しています。きっかけはEさんとこのオープンダイアローグをする前に一度コーヒーチャットをする中で、彼もまた病気がある人、そうでない人がフラットに話せる場づくりをしてみたいという思いがあり、
それならば一度体験してみたら良いのでは?と
お声がけしてみました。
NIKEが言ってたように “Just do it”
日本の慣用句にあるように「案ずるより産むが易し。」

大学を卒業しても、一般企業に勤めることを選ばず、起業家としての道を選んでいるEさん。対話の中で熱い想いと現実との自分の中でのギャップ、そして糖尿病患者として現在の社会へ対する想いや関わり方、描いている希望などを話してくれました。
Eさんはご自分のことをとても理解されていました。
でも時にして、その理解が未来への葛藤を生み出しているようにも感じました。ご自分への価値観、病気があるが故の企業からのバイアスによる不平等な扱い。それは学生じゃなくても、大人である私にもあること。
私たちオブザーバーチームが彼よりもはるかに大人であることは事実だけれども、オープンダイアローグという空間は人間としてのフラットな関係を私たちに自然と導いてくれる気がしました。

彼の話していること、やろうとしていること、疑問に思っていることに対して自然にそれぞれが私たちが自分ごととして捉え、共鳴、共感したこと、思ったことを自由に話をする場所。
彼が若いから〇〇というバイアスからの言葉は一切生まれませんでした。
Eさんは私にとって、若い人ではなく、
これからの未来を創っていく、瑞々しく新しいエネルギーに満ちた人でした。

超絶安心、安全な空間は自分たちがコントロールしたり操作して生み出せないと思っています。偶然性と受容から生まれていく気がしています。
皆でありのままに対話を続けていく、その対話の瞬間、瞬間、皆の言葉が織りなされると同時に、実はそこに安心、安全な空間が生まれ、織りなされ続けているのだと思います。
つまりは対話のプロセスでできた安心安全なタペストリー。
対話そのものが不確実性な暗闇と捉えるなら対話をする行為はその暗闇を照らす細い光のような役割をしているように思うのです。
細い光。でも明るくて美しい。

オープンダイアローグで生まれるみんなの言葉は
相手の話に耳を澄ますという、人が本能的に生まれた時から死ぬ時まで
最初から最後まで機能している感覚をフルに意識して、そこから無意識なのか意識的なのかわからないけど、言葉を織りなし続ける本能的な
「音=耳を澄ます」から生まれている言葉。
その言葉はやっぱり心地よいよね。

“Don't play what's there, play what's not there.”
― Miles Davis, Kind of Blue


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