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マインドフルネスコーチへの道 Vol.1    ミュージカルとバレエに夢中なおてんば娘

大学中退→アメリカ単身渡米→UCLA→会社員→パラレルキャリア→独立起業
こんなキャリアを描いてきた私の人生物語を面白がってくださる方がいて、
また、大学でもキャリアワークショップなどの場をいただくことが増えたため
少しこれまで歩んできた道のりを文字にしてみたいと思います。

ー今日の内容ー マインドフルネスコーチへの道 Vol.1
・毎日習い事だった幼少期
・理数が苦手な小学生時代
・ミュージカルとの出会いがやる気に火を点けた
・承認欲求とバトルフィールドの始まり

幼少期の私は、静岡県浜松市で小さな会社を経営している父と
教育熱心な母の元で生まれ、物心がついた頃には、
親の影響で、ピアノ、お習字、水泳、新体操、絵画、英会話、塾と、
学校が終わればありとあらゆる習い事へ通う毎日を過ごしていました。

最初はいい子に通っていたものの、段々と嫌な習い事はサボるようになり、
レッスンに行かず一人で本を読んだり、学校の裏山に数人の仲間と秘密基地を
作って先生に呼び出されたり、数学塾で先生の前で堂々と漢字の書き取りの宿題をしたりと、その頃から「やりたいことしかできないし、やらない」片鱗を覗かせるようになりました。

そのため、学校の成績も極端で文系科目は高いものの、理数系は極端に低いというガタガタな学力で、「どうしたら理数をやらずに生きていけるだろうか」と
勉強する前からそればかり頭を巡らせる困った小学生・・・。

でも、そんなやりたいことしかやらない私が、
唯一夢中になっていたのが、ミュージカルとバレエ。

小学生の頃、母に連れて行ってもらったセーラームーンのミュージカルが
きっかけで、世界観を持って華やかに表現する世界に夢中になり、
「私はミュージカルがやりたい」とピアノからミュージカルにコース変更。
ピアノは練習すらしなかった私が、ミュージカルスクールには
一度も休まず熱心に通うようになりました。

幸い、歌うのも、踊るのも、比較的得意だったし、何より楽しくて仕方ない
通っていたミュージカルスクールでは、年1回の発表会があり、
主役級の役をもらえるのはほんのひと握り。

当然、みんな主役がやりたい。
もちろん、私も後ろで大勢で踊るお友達や、森の仲間たちのような役よりは
セリフも歌も踊りも出番もたくさんある主役がやりたい。

ただ、もう一つその裏に、私には隠された願いがありました。
それは、「母に認められたい」という願い。

私には、幼少期に褒めてもらった記憶がほとんどありません。
唯一認めてもらえるのは、ずば抜けて成果を出した時と人よりも目立った時。

その他大勢の役では、母は喜んでくれないし
褒めてもらえないだろうというのは、言われなくてもわかっていました。

人よりできないことは、恥ずかしいことである。
いつも人より優秀でいなければならない。
一人っ子で、そんな無言の期待を一心に受け取っていた私は、
何事もうまくやらないといけない。
人に弱さを見せてはいけない。
いつの間にか、そんな信条が自分の中にできていたのです。

思えば、この頃から後に苦しむことになる
バトルフィールド意識は始まっていた気がします。

後々自身を苦しめることになるこの意識のおかげで、
レッスンにも意欲的に取り組めていたし、親の英才教育でバレエや
歌の素養ができていことなどから、発表会はいつも主役クラスの役をいただけ、
演劇への道という人生の選択が芽生えたのもこの時期でした。


👉次回は「自己肯定感の低さから宝塚受験で〇〇〇した話


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