「わかって欲しい」、は大人も子どもも同じ
ママ〜
「おた」→おちゃ
「ダンプッ!」→ジャンプッ!
「ぱれれ」→プリキュア
2歳次女との会話には、暗号解読が必須である。
違った時は、「ちーがーう」と軽く叩かれたり、機嫌が悪いとモノがとんでくる。
あぁ、言いたいことが伝わらない時のストレスって、とてもとても大きいのだ。
ある日、3人の子供たちと公園に向かっている時、4歳長女とけんかをした。というか、一方的に怒られた。私が娘よりも少し先を歩いていたことが、気に入らなかったようなのだ。正直、いちゃもんである。
「ママのばか、大嫌い!」「公園になんか行きたくなかったんよ!」
とプンスカ怒っていたのだけれど、本当は、「置いていかれるかと思って、寂しかったんよ。なんで待ってくれんの?」と言いたかったらしい。
今の自分の気持ちをうまく言葉にできないのは、とてもとても、もどかしい。
特に、子供のように語彙が少ないと、発せられる言葉は「ばか」とか「大嫌い」とか派手で気にかけてもらえそうな言葉に集約される。
子どもと接する時には、うまく言語化できない、そもそも知っている言葉が少ない、ということを前提に向き合っている。だから比較的、相手の様子をじっくり観察しながら、コミュニケーションをとろうと心がけることができるように思う。
・・・でも、「分かってほしい」気持ちって、大人も同じじゃないだろうか。
相手が子どもの場合に持てていた、相手を知ろう、分かろうとする気持ちを私たちは忘れていないだろうか、相手が大人になると。
相手が使っている言葉と私が使っている言葉の意味は、全く同じではないことがある。たとえ同じ日本語でも、その人の状況や育ってきた背景で異なる可能性も十分ありえるのだ。
私に分かってほしいことがあるように、相手にも同じく「分かってほしい」と抱えていることがある。
あの人は分かっていないと言うけれど、きっとあなたもあの人のことを分かっていない。
分からないことと、分かりたいと思う気持ちは違う。分かりたいと思う気持ちは、分からなくても認める、「そこにあっていい、いていいよ。」という態度に繋がるんじゃないだろうか。
という最近の私は、4歳の長女が私の育児の忙しさを少し分かってくれてるんじゃないかと期待して、オムツとって、次女と遊んでてなどと、色々なお願いをしてしまっていた。
大きくなってきてるから自分の状況も分かってくれてるはずだ、と思い込んで、一方的なコミュニケーションをとってしまっていたなあと反省している。
もっとていねいにコミュニケーションしてこ。
この記事が参加している募集
\読んでくれてありがとうございます!/ 頂いたサポートは地域の中で使い、ご縁をぐるぐる回していきたいと思います。