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【結婚論】反結婚式のススメ

20代も半ばに差しかかり、「結婚」という言葉がちらほら聞こえ始めた。
「交際」して「結婚」していくという常識は、なんとなくちょっと、ふーん、って思うけど、まあそれは一旦置いておいて。
(ちょっと前に、【恋愛論】を書いて、その中で結婚についても触れたので、こちらもご参照!)

今回は「結婚式」についてです。
えー、簡単に言うと「結婚式ビジネス」と「結婚式ビジネスに乗る人たち」を批判します!!思想に反する方は、そっと閉じてください!!!


はじめに

今回、このテーマを衝動的に書き進めているのですが、きっかけは、姉が300万かけて結婚式を開くとか言いやがっているからです。ああ、どうしても口が悪くなっちゃう。

大学の友達で、結婚式を予定している友達がいて、その子のときは特にネガティブな感情は抱かなくて単純に「おめでとーーっ!」と思ったし、特に疑問も持たずに参加予定なのですが、血縁となるとあかんでございました、自分の思想が入ってくる。

わたしは姉が結婚することになったとき、まあ驚き半分、「ああ、ほんとに結婚する人っているんだ」みたいな実感があって、それまでは「結婚って、制度としては存在するけど、本当に利用する人いるの?」みたいな、現実感のないフワフワしたものとして、なんとなく捉えていた。
昔の知り合いがインスタで結婚報告を載せても、遠い国のニュースくらいの感覚で見てた。
だから「あー、お姉ちゃんも焦ったな、『これでいい』って、自分に言い聞かせてるな」なんて性格の悪いことを思いながらも、ちょっとワクワクしたし、普通に祝福の気持ちがあった。
(ちなみに、2人の様子、というかお相手の様子/態度を見て、結婚に対する印象、とりあえず世間体で/流されて「結婚」をしていく人間たちへの印象は著しく低下していますが、まあそれは別にいい。)(ああ、口が悪い。)

でも結婚式については、時間対効果というか費用対効果というか、さすがに、なんでやるんだろう(というか、なんで、結婚式が必要かどうかを真面目に検討しないんだろう)みたいな疑問が湧き上がってきて、それを言うと「でもそれが普通だから」とか言われたりして、もっとモヤモヤしちゃって、さすがに我慢できないので(でもお姉ちゃんに吐き散らかすものでもないので、グッとこらえて)ここに書き散らかします。
#NOTEの正しい使い方

①:異常な相場/高すぎるやろ

はいまず。結婚式が50万円くらいならいいですよ。
しかし、結婚式パッケージを購入するとなると、300万とかするわけです。

結婚式の費用は平均303万8000円。

挙式+披露宴の平均総額。
ゲストの招待人数 平均43.2人。
(「ゼクシィ結婚トレンド調査2022(全国推計値)」より)

ゼクシィ「【結婚式のお金はいくら?】相場や項目別平均費用などまるっと解説!」(https://zexy.net/s/mar/manual/kiso_souba/)

10畳1Rの家に住んでる人が特大ソファを買ったらそれは大きすぎるし、手取り15万円の人が100万円のお財布を買ったらそれは高すぎる。
何事も、適正な規模感/価格感というものがあって、(特にこだわっているわけでもないのに、)それを外れると、生活が円滑に回っていかなくなると、そう思うわけです。
結婚式もそれと同じで、貯金が200万円の人が、300万円の結婚式をするのは、さすがに無茶だと思うわけです。

「思い出になるならいいじゃないか!」「本人たちがやりたいならいいじゃないか!」って声が聞こえてきそうです。
たしかにその通りです。自分で稼いだお金の使い道は、自分で決めていいです。いくら他人が「そんなものには価値がない」と言ったって、本人が心から欲しいなら、強くこだわるなら、別に借金をして手に入れたっていいだろうし、何ならそっちの方が幸せになるかもしれないと思うわけです。
ただ、問題は、本人たちですら、目的を完全に見失ってしまっていることと、そういう人が多すぎることです。

②:目的と手段の逆転

何事にも「目的と手段」というものがあります。
例えば、「人生の最低限のリスクを回避する」という目的で「貯蓄」という手段を行う場合。たしかに、いざというときのために生活防衛資金を貯めておくことは、「いざ」に役立つのはもちろん、生活する上での安心材料になります。
しかし、そのうちに「もっとお金を貯めないと、ここもここも全部切り詰めよう、もう出かけるのもやめよう」というように、健全な自己投資/本来お金をかけるべき場所にも全くかけなくなってしまう。これは、手段であったはずの「貯蓄」が目的となってしまっています。

他にも、稟議書にハンコを押す慣習がありますが、そもそも「承認を証する」とか「トラブルを回避する」みたいな目的で「ハンコを押す」という手段があったのに、だんだんハンコを押すこと自体が目的化している。
今の技術や状況を踏まえれば、目的達成との関係なら、他に、時間対効果のあるベターな選択肢はいくらでもあるのに、ハンコを押すことに固執する。
ここでも目的と手段の逆転が起こっていると思うわけです。

こんな風に、「目的と手段の逆転」は、気を付けないといろんなところで起こり、いろんな物事の質を下げ、経済的合理性も失われていきます。

「結婚式」(というか「結婚」)においても「目的と手段の逆転」が起こっていると考えます。
私はよく、「結婚式をやりたい/やるべきだ」と言う人に「なんでやりたいの?/やるべきだと思うの?」と聞きます。
そうすると、たとえば「友達がたくさん集まるのに憧れる」「ウェディングドレスが着たい」「自分中心のパーティーがしたい」「配偶者を親族に紹介する良い機会だ」など、そういう理由が出てくるわけです。
それに対して「じゃあそれって、『結婚式』をやる必要があるんだろうか?目的は、必ずしも『結婚式』なのだろうか。」と思うわけです。
で、そのようなやり取りが何ターンかすると、いつも結局「うーんでもなんとなく結婚式がしたいんだ」みたいなところに落ち着きます。

これはもう「結婚式をすること」自体が目的になっているのではないかと。理由は後から色々つけているが、結局のところ「そもそも、なんとなく結婚式がしたくて、結婚式にはこんな良いところがある!」の「こんな良いところがある!」を本人たちは「目的」だと勘違いしているのではないかと思うのです。

「理由がないけど結婚式がしたい。」これ自体が悪いと言っているわけではないです。でも、そんな軽率な理由で購入するほど安いものではないし、もう完全に結婚式マーケティングの餌食になってしまっていて、そしてそういう人が多すぎるのです。
中身がスッカスカで1本1万円する栄養ドリンクを飲む人がいたら「なにやってんだー」とは思うけど放っておく。でも、それが「疲れた時に飲むもの」として大流行して年3000万箱売れましたぁとかってなったら、「いやちょっとまてよ」と、警鐘を鳴らしたくもなる、そんな感じです。

③:質が悪い/値段と質の乖離

結婚式ビジネスの中抜きがえぐいというのは結構有名な話ですが、一時期、結婚式場でバイトしたことがある者として、結婚式の裏側って本当にひどい。
いわゆる結婚式場は、はりぼてでできているし、料理は高いだけで冷めきっていて美味しくないし。

でも、あれ?なんか結婚式ビジネスに対してはそんなに嫌悪感なくね?とここで気付きました。まあビジネスというものはそういうものだと思っているので、わたしは、全然割に合わない「結婚式ビジネス」が淘汰されない社会、それを盲信している人たちが嫌なんだということが分かりました。ので、次に行きます。

④:結婚式のような「パッケージ化された用意された幸せ」に飛びつくこと

結局のところ、これが一番の問題だと思っています!!
みんな結局、「結婚式」というパッケージがしたい(した事実がほしい)だけであって、それは、「結婚式=幸せ」という用意された価値観に、自分を滑り込ませていくだけで、そこにはなんの思考もこだわりもない、と考えます。わたしは、ここに非常に強い嫌悪感があります。

これは例えば、「成功者」と呼ばれるような、事業でたくさんのお金を稼いだ人たちが、「似たような娯楽」を手に入れていくのに似ていると感じます。
ハイブランドのロゴが印字されたバックを持って、高級な外車に乗って、六本木のクラブで数百万するシャンパンをぶちまける。
なぜ、「成功者」たちは揃いも揃って、同じようなお金の使い方をするのか。そして、それを自慢げにアピールするのか。
それは、この、くだらないお金の使い方が「成功」だと思っているからで、「成功はこういうものですよ〜」という行為を踏襲しているだけだと思うのです。
せっかくお金を稼いだのに、パッケージ化された用意された成功をなぞることができないなんて、私はこういう種類の人たちに、強い嫌悪感があります。

「自分」でいたいのなら、自分の幸せは自分で見つけなきゃいけないし、自分の成功は自分で定義しなきゃいけないんだと思う。(わたしも最近たどり着いた境地ですが…。)
まあ、もちろん、全てを自分で決めなきゃいけないなんて思わないし、そんなこと誰にも不可能だと思いますが、それでも、あまりにも「結婚式=幸せ」「くだらないお金の使い方=成功」みたいな方程式が私たちの頭の中には刷り込まれてしまっていて、それはもう社会問題と言ってもいいのではないかと私は感じるわけです。

番外編:指輪制度も嫌い

ついでの話になりますが、指輪制度も嫌いです。
婚約指輪は給料の3ヶ月分が「相場」と言いますが、さすがにギャグかな?と思っちゃいます。
「どうしても婚約指輪が買いたいんだ!」って人は買ったら良いと思うし、年に億とか稼ぐような人はそうじゃないのかもだけど、そんな人、多くないと思うんです、だって100万円の指輪は一体その人の労働何時間分??100万円をもう一度稼ぐには、どれくらいの期間を犠牲にする必要があって、その時間とお金で一体何が手に入った??
なぜ疑問を持ちながら、なんか嫌だなあと思いながらも、買うのか。
「欲しい」と言っている人も、結局「指輪をもらう=幸せ」に滑り込むため、「高級な指輪をもらったこと」を周りの人に自慢したいだけ、なんだろうなと思ってしまいます。
そうじゃなかったら、なぜ「相場」があり、みんなお利口に定型的なブランドの指輪を買うのか説明がつかないと思っていて。
指輪にきれいな理由を付ける人(たとえば「覚悟」だとか「けじめ」だとかなんだとか)、実際に、5万円の指輪をあげたら/もらったら、モヤっとすると思うんです。
5万円の指輪だよ、日常生活だったらものすごく高級だよ、でもモヤってするのって「相場より著しく安価だから」で、つまり値段で価値を決めている、比較により価値を生み出してるじゃないですか。
自分が持っているより高いものは無限にあって、たとえば婚約指輪だってティファニーのをもらったけど、友達はハリーウィンストンをもらっていて、あの芸能人は…というように、比較の連鎖は終わるところを知りません。

こういう、「値段が高いことが価値」なものは本質が伴わなくて、そしてそういうものばかり目指していると、どんどん薄っぺらくなっていくし、色んな機会を失ってしまうように思うのです。

(ただブランド嫌いを徹底するのも現代社会は生き辛い気がするし、もちろん悪い側面だけではないし、ここはバランスかも。)

おわりに

モヤモヤしたことを書きなぐったので、表現が適切じゃないところがあるかもでした。
結婚式をやりたい人、やる予定の人、呼んでくれてる友達、もしこれを読んで不快な気持ちになっていたらごめんなさい。ちなみに、結婚式、実際呼ばれたら行くと思いますし、行ったらちゃんの楽しみますので、ごめんなさい。

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