見出し画像

共感の一歩先へ

共感しすぎて疲れてない?
「共感疲れ」っていうのがあるらしいよ。

そう指摘された。
子どもが突然学校に行かなくなり、口もきいてくれないという友人がいた。子ども同士の年が近かったので、自分だったらどんなに辛いかと、彼女に自分を重ねて共感した。
話を聞くたびに、彼女が途方に暮れて悩む気持ちに引っ張られ胸が張り裂ける思いだった。

友人に共感して辛い経験を疑似体験しているかのようなわたしに、ひと言指摘した人がいた。

共感しすぎて疲れていない?と。

共感して何が悪い。
相手の気持ちになって何が悪い。
そう強く反発心を持った。

今1つの記事を読んで、そんな過去の出来事を思い出した。
自分の間違いにハッとした。

わたしは共感するだけで何も行動していなかった。
辛いね、同じ母としてすごくわかるよ。
山のように「共感しているよ」と言葉をかけたけれど、そのたびに一緒に暗い気持ちになるだけだった。この先どうしたらいいかという話にはならなかった。
まさに「共感して疲弊」していた。
毎日家で子供といるのが辛い。
なぜうちの子が。
自分の育て方が間違っていたのか。
そう思い詰める彼女の話を聞きながら、わたしはただ共感するだけだった。

あの時必要だったのは、共感から一歩踏み込んで、悩みから脱するために何ができるかを一緒に考えることだった。
今思うと彼女は、学校に行かなくなった子どもと過ごす時間が長くなり、子どもと学校の溝が生まれ社会のどこにも属していない孤独感があったのではないか。
親しくしていたわたしに悩みを打ち明け、つながりを求めてくれたのではないか。
わたしからさらなる繋がりが生まれることを期待していたのかもしれない。
彼女たち親子を孤独感から救うという発想がわたしには欠けていた。

わたしたち家族とは家族ぐるみの付き合いをしていたことがあった。
子ども同士が話せる場を作ったら変わるかもしれないなと考えが及んでいれば、幼い頃のようにまたバーベキューをする提案もできただろう。
前を向くために力になれることは何か、と考えることもできる立場だったのではないか。
今になって思う。

年始から大地震が日本を襲った。
過去に縁があった地域なだけに、報道を見るたび鼻の奥がツンとする、なにか込み上げるような感覚になる。
でも、共感だけではお互いが辛いだけで前に進めないと学んだばかりだ。
共感のエネルギーを、次は前を向くために使おう。
だから今ここから。
共感から一歩進んで、未来を支えるためにできることを。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?