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環境変化と古民家のストレス

まず前回の記事を読んでほしい。

※この記事は身バレが怖いのでしばらくしたら有料化する予定です。ご了承ください。

そんなこんなで、バタバタと田舎暮らしがスタート。

スーパーが徒歩20秒圏内にあるオール電化住宅から、最寄りのコンビニまで車で30分(隣町)の、ボットン便所(しかも外)・お湯は出るけど壊れまくっているお風呂・全部締め切っているはずなのに屋内でナチュラルに風が吹く元空き家へと引っ越した。

ほんのすこーしだけ潔癖な私は、本来住むのはごめんな条件であったが、1~2月後には水回りは改善されるということで、人生に一度くらいこんな生活もアリか、と、いろいろネタにしながら楽しんでいた。

朝から風に揺れる木々やキラキラの水面を見ながらの通勤は心躍る。田舎町の小さな役場の一角に設けられた専用のデスクと1台の軽自動車が与えられ、ここで私は仕事を創造していくのだ、と、これまでの仕事とのギャップにやる気もそこそこ燃えていたような気がする。

ところでこの軽自動車、既存の公用車ではなく私のためにリースされたものであったが、使用できるのは勤務時間内に限る、町外に出るのは出張申請のある場合のみであった。

役場の嘱託職員扱いだったので、これはこれで仕方ないとも思う。

しかし応募するときに読んだ「住居・車付き」の表記は誤解を生むのでは…?

実際私は車を持っていなかった。公共交通機関がバスのみ・そのバスも利便性皆無な町では、車なしでの生活はかなり厳しい。通勤はなんとか自転車で行ける距離で、都市部から持ってきた車輪の小さなシティサイクルでなんとか耐えていたが、買い物や休日はかなり苦労した。

余談だが、生協の個配とAmazonにはかなり助けられた。これでひとまず、暮らしてはいけた。


田舎で暮らし始めて1か月ほどで、不穏な空気を感じ始める。

いや、実際にはすでに数日でアレ?ということは少なからずあったのだが、「キラキラ新生活フィルター」で気付かないふりをしていた。(笑)


【モヤモヤその①】ご近所さんの目が怖い

これは田舎暮らしあるあるでよく言われる、都市部との大きな違いが人との距離感。これはある程度想定していた。

田舎レベルでは差があるものの、九州の某県庁所在地の郊外に祖父母がいるので、人との距離感の近さや、少々のお節介はイメージしていた。

しかし、実際は全然違う。この町の人々は祖父母の地域の人柄とは全然違っていた。お節介や興味本位で絡んでくるような陽気なタイプではなく、むしろその逆。

一見、都会的であっさりしているのかな、と思いきや、裏でめちゃくちゃ噂話をしている。

「初めまして。」と挨拶する度、相手はすでに私のことを把握している。そしてなぜだか相手は名乗ってくれない。

家の中にいると、外から話し声が聞こえてくる。最初は気にも留めていなかったが、よく聞いてみると、なんと私の話をしている。その内容についても事実やそうでないものが入り混じり、なんだか複雑である。

もちろん、当人たちは私に話を聞かれているなんて気付いてはいない。私の住んでいる家が防音なんて皆無だったので、たまたまよく聞こえただけで、普通は聞こえるものではないからだ。

そのうち直接その内容について話してくれる人がいるのではないかと、噂の真偽を伝える機会を伺っていたが、そんなこともなく、ただただ笑顔で挨拶を返してくれるだけの日々。

大したことじゃない。だけど、なんだか怖くなってしまった。

それから、家にいても遮光カーテンを閉め切ってテレビなんかの音も最小限に抑えて居るか居ないか定かでない状態…をあえて作るようになった。


【モヤモヤその②】職場の居心地が悪いかも…?

職場である町役場は地域おこし協●隊として仕事をしていくうえで必要な情報の宝庫だ。職員の多くはこの町の出身・在住者であり、ご近所さんと同じく噂好きである。その情報拡散力といったら、SNS顔負けだ。

昼休憩時、主に女性職員たちが集まってランチタイムを過ごす部屋がある。私も当初そこに交ぜてもらうことになった。

公務員たるもの、市民の情報は家族にももちろん、担当外の職員にも漏らさない。私自身、前職で個人情報を取り扱っていたため、その認識でいたのだが…職員同士という緩みもあってか、じゃんじゃん垂れ流される住民の噂話。最初はあっけにとられた。

日常的にこのようなことを見聞きしていると、信用できる人たちがほとんどいないことに気が付いた。自分のこともきっと、いないところではやり玉にあがっているのだろう。特によそ者の噂話は彼らの大好物だ。

前述の車の件含め、日々の暮らしでの困りごとは多々あったが、私がわがままを言うとどうなるか…誰にも相談できないし、耐えられるものは黙っておくが吉、というのが当時の私の結論となった。(今は、間違っていたかもしれないとも思う。正解は分からない。)


【モヤモヤその③】始まらない回収工事

1~2ヶ月も経てば快適な水回りが整うとされていたが、待てど暮らせど着工しない。

必要と言われた書類も提出したし、業者からもユニットバスのカタログをもらって設備の確認をしたり壁紙を選んだりもして、あとは着工待つのみ、なはずだったのだが…。

夕方になると少し肌寒い風も吹き始めた頃、移住担当の職員から移住者支援のための回収工事の助成金の事務が全く進んでいなかったことをしれっと告げられる。

地元出身で実家暮らしの若手職員だった。とてもいい人で、公私ともに気にかけてくれる職員だったので、少しばかり信頼していたが、この時は本当にはらわた煮えくりかえる思いだった。

私はとうに生活インフラままならない自宅に限界がきていた。職場も近所も、暮らしが一変したストレスで辛いとき、やっと心安らぐ場所がひとりになれる家のはずだった。だけど、その家すらストレス源となっていた。

実家で快適に暮らしているあなたにはこの辛さが分かるか?

そう言いたかった。せめて一言、ごめんと言ってほしかった。でも、あまりにも普通に悪びれもなく告げられたものだから、ポカンとしてしまったが、後から悔しくてトイレで泣いた。誰ともこの気持ちを共有できないことも、言いたいことが言えない自分のことも悔しかった。

言わなきゃ分からない。だから言った方がよかったのかもしれない。でも、その時の私にそんなエネルギーは皆無だった。




「移住者には迷惑ばっかりかけられてるからなー。」

私に対しての言葉ではない。ある日、中堅の職員がナチュラルに発した。直接の会話には入っていなかったものの、移住者である私の前で発せられた。

本当に数々のデリカシーのない言葉たちに傷つけられたが、この時は他のいろんなことも重なってグサッと刺さった。呼吸が苦しい。慌てて人気の少ない離れたトイレに駆け込んで、その息苦しさはどんどん強くなった。過呼吸だった。

その辺りからだったか、人前で笑顔が張り付くようになった。

作り笑顔とかじゃなくて、本当に張り付いているのだ。無意識的に。行動も言動も、自分でもびっくりするほど八方美人になった。

今思えば、私はあの時に壊れた。そして自己防衛のために笑い、嫌われない振る舞いに全力を投じた。



思い出すだけで疲れてきたので今日はここまで。

次回は「それでも、逃げ出さなかった理由」について書こうかと思っています。辛いこともあれば、良いことだってあるのです。たぶん。







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