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南イタリア、おばあちゃんのトッポギ

お肉を焼いている。

国産と書かれた牛肉をごま油で少し炒め、そこに玉ねぎやらタケノコやらを放り込んだ。玉ねぎとタケノコは、鹿児島に住む祖母から送られてきた。趣味で畑を持っていて、季節が変わるとその時々の野菜をお裾分けしてくれる。

先週はそら豆と、タケノコの水煮、玉ねぎ、そして金柑の甘煮が届いた。そのどれもがどっしりと重く、すばらしい瑞々しさを持っていた。

タケノコはまず、炊き込みご飯でいただいた。ホクホクとしていて「ああ、春だったんだなあ」と思い出す。最近は暑かったり、かと思えば急に寒かったりと、季節のどこにいるのか分からず、迷子になっていた気がする。

そら豆はペペロンチーノにした。この間、何気なく本屋で出会った南イタリアの文学。大変すばらしいその作品に「そら豆のペペロンチーノ」が出てきて、ふんだんに影響を受けている。


「タケノコの水煮は早めに食べてね」という祖母の言葉を思い出し、どうしようか悩んでいるうちに、冷凍餅の存在も思い出した。これまた以前に祖母が搗きたてのお餅を送ってくれていて、日持ちするようにと、そそくさ冷凍したものだ。

祖母が送ってくれたタケノコと玉ねぎ、お餅をコチュジャンで甘辛く炒めることにする。韓国のトッポギ甘辛風にしよう。せっかくなので買っておいた牛肉も入れることにする。

国産と書かれたお肉で韓国料理を作っている。コチュジャンは韓国産らしく、何かしらの情報がハングル文字で書かれている。大学で韓国語は第二言語として履修したけれど、それっきりで、ついぞ私の二番目の言語になることはなかった。

韓国から来たコチュジャンを水で溶き、煮立たせる。鹿児島の畑で採れた玉ねぎとタケノコもグラグラと揺れている。赤く染まり、刺激的な香りを発するフライパンを眺めながら、南イタリアってどんなところなんだろうと考える。


出来上がったトッポギ甘辛風をIKEAのお皿に盛り付ける。深めの白いボウルは使い勝手がよく、気に入っている。スウェーデン生まれ(育ちは中国だろうか)のお皿をテーブルに運ぶ。

大好きな海外ドラマを観ながら食べることにした。ニューヨークが舞台のコメディで、嫌なことがあった日、なんだか寂しい夜に観ると、たちまち元気になれる。


行きたいところがたくさんある。

見たいものも、住んでみたいところも、出会いたい景色も、話してみたい人も、食べてみたい国の料理も、お酒も、触れてみたい建物もたくさんある。

でもどこにも行けない。仕事のせいにしたり、お金のせいにしたりしていて、先延ばしにしている。何だか暗い気持ちが、胸の辺りに広がる。


けれども、いま、私は、いろいろな土地からやってきたものを食べている。生まれも育ちも違う場所のものたちに触れ、刺激を受けている。

遠くへ行けない日々はもうしばらく続くのだろうけれど、本を開けばいつだって南イタリアに行けるし、パリに行けるし、ドイツの名もなき村にだって行ける。函館にも、熱海にも、いつか行ってみたい盛岡にも。


そう思うだけで、ちょっぴり元気になれる。今はまだ我慢の日々だけれど、そう遠くないいつか、全ての扉が開き、自由気ままに出掛けられる日々が来ると信じている。

その日が来るまで、たくさんの本やドラマに触れて、まだ見ぬ世界に飛び込んでみたい。

台所の蛍光灯の下でトッポギやペペロンチーノを作り、テーブルの上に世界旅行を並べたい。

栄養と生きる勇気をもらい、日々を豊かに過ごしたい。


おばあちゃん元気かな。韓国や南イタリアもいいけれど、まずは鹿児島を訪ねよう。そう思って頬張ったトッポギは甘くて辛くて、どこか懐かしい味がした。


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