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遠藤周作『沈黙』と、宗教との関わり方について

 人に絶対勧めたい本を★5つにすることにしている。
 この本、本当にありとあらゆる力のこもった凄まじい本だったから、印象的には★5つなんだけど、でも、絶対勧めるかというと、うーんまぁ勧めたいけどけっこう読んでてしんどかったから、微妙なところ。
 そういう意味での★4つ。

 どんなに辛い状況になっても、当然のように何もしてくれないし、何も語りかけてくれない神。
 じゃあ本当にいるの?もしかしていないの?
 神なんか本当はいませんでしたってなったら、神を信じて全てを捧げてきた自分という存在はいったいなんなの?
 そういう絶望が、一般人じゃなくて宣教師という立場から描かれているという点で余計に深刻度を増していて、辛かった。
 神様の存在をいちばんに考えて生きてきて、それが何よりの自分のアイデンティティになっている。それを放棄することがどれだけ大変で苦しいことなのか。そこまで強く持つ信念ってなんなんだろうって考えた。今のわたしにそんなものないし、死ぬような思いをしたり拷問されたりしてまで守りたいものって全然ない。やばそうになったらたぶん全体的に平気で捨てるんだろうと思う。
 だからこういう人たちの思考回路は全く未知の領域で、ただただ目から鱗っていうか、そういう世界もあったんだな、って想像するのが精一杯だった。

 大学のとき、哲学概論かなんかの試験で「哲学と宗教の違いは何だと思うか」っていう問題が出て、「宗教は盲目的だけど哲学はそうじゃない」みたいなこと書いてそれだけ丸をもらえたのを今でも覚えている。あの先生の名前なんだったっけ。「先生は哲学なんかを長い間ずっとやっていて、もしかして実は物凄いお金持ちで何もする必要がない人なんですか」って聞いたら笑ってた、ハイデガーの第一人者みたいな感じの教授。田中なんとかさん。
 結局、それが神様であっても何か目に見えるものとか存在であっても、わたしは何かに盲目的に自分の全てを捧げる人生は嫌だなって思う。少しでも疑いを持ってしまったり、失ってしまったりした瞬間、自分のそれまでの人生が選択権なく否定されることになるし、自分の芯みたいなものが一瞬で全部ポキって折れてなくなるし。全面的に何かにもたれかかってれば楽だけど。でもそのもたれかかれるものがなくなっても、結局生きていかなきゃいけないし。
 って書いてて思ったけど生きることへの執着がすごい。とりあえず生きていきたいんだなわたしは。

 それはそうと。

 個人的な考えとしては、元気がなくなったときにちょっと勇気づけてくれるもの的な感じで宗教を頼るのはありかなって思うけど、宗教への関わり方って果たしてそんなんでいいのかって気もするし。だからたぶんこれから先も宗教とは関わりのない生き方をするんだろうな。

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