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Bayerische Staatsoper 21.01.23 オペラの記録:バイエルン州立オペラ、ヴェルディ《群盗》(1月21日、ミュンヘン・ナツィオナールテアター)

1月21日、バイエルン州立オペラでヴェルディ作曲《群盗》を観ました。

ナツィオナールテアター正面入り口に立って左を見たところです。
ライトで降りしきる雪がわかると思います。

これが正面入り口から反対側を見たところ。

正面入り口から右側を見たところ。

劇場の上階から外を撮った写真です。
ピントは外にあっているのですが、劇場内部がガラスに映っていて、結構シュールな写真になりました。

休憩時に撮ったオーケストラ・ピット。
緞帳は開いていますが、ステージ美術の一部としての白黒の緞帳が見えます。

プログラム。

新制作の初日は20年3月8日、ドイツがロックダウンに入る直前でした。

《群盗》の原作はシラーの同名戯曲です。
ヴェルディが作曲したオペラの中で、シラーを原作としたものは以下の4作品です。

《ジョヴァンナ・ダルコ》(ジャンヌ・ダルク)
《群盗》
《ルイザ・ミラー》
《ドン・カルロ》

この中で《ドン・カルロ》は圧倒的に有名で、上演も多いのですが、《群盗》はほとんど上演されないレアものです。

「だからこそ観よう」という人たちが多いのか、今回の公演はどれもが売り切れです。
しかも新制作でもなく、フェスティヴァルでもないし、観光客が多いわけでもなく、天候も悪い1月、2月です。
この日も雪が積もって寒く、最高気温が氷点下でした。

私の前の席は親子4人でした。子供は上が12歳前後、下は8歳前後の女の子です。
こんな重い作品、子供に大丈夫かなと思ったのですが、子供たち、姿勢も崩さず、居眠りもしないで、真剣に観入っていました。
ドイツの国民的劇作家シラー、そして大オペラ作曲家ヴェルディの作品です。家族で話題にできますね。

しかし163€の席です。163€ x 4枚で652€、10万円近い。
若い人たちには割引もあるのですが、それは安い席や残席だったり、制限がいろいろ設けられており、この子供たちに割引が適用されたかはかなり疑問です。

さて、まずこの作品、音楽がとても面白い。
《群盗》は1847年の作品で、《マクベス》の直後に作曲されています。
管弦楽はその後のベルディ作品を彷彿とさせます。

特に序曲が興味深い。
なぜかというと、オペラの場合、序曲は最後に作曲するのが通常ですが、《群盗》ではチェロの大ソロが出てくるのです。これは涙がいっぱいの音楽、死者を弔う《レクイエム》に聴こえます。
では誰が誰を弔うのか?
私の考えでは、長男カルロと父親マッシミリアーノが、愛するカルロに殺されるアマーリアを弔うのでしょう。

ところで、オペラ作品では『母親』が無視されることが多い。
R.シュトラウスがやっと《サロメ》、《エレクトラ》で、母親と子供の関係に重きを置きますが、モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディはほとんど無視です。

ただし、モーツァルトは《魔笛》の夜の女王(パミーナの母親)に2つのアリアを書きました。あの超有名なアリアです。
しかし、これとて、母親の愛情を表現したものではありません。その真逆です。

最初のアリアは自分自身の復讐にタミーノを使おうとする、そのために娘パミーナを利用する。
2つ目のアリアは、自分の言うことを聞かず反抗する娘パミーナへのメチャクチャというほどの怒りです。
まさしく「怒髪天をつく」、と言うのはこのことです。

ワーグナーは女性には、ほぼ救済の役割しか望んでいません。

ワーグナー作品の中で、子供を産んだ女性は2人。
《ニーベルングの指環》のエルダ(ヴォータンとの間にワルキューレたちを生みます)とジークリンデ(ジークムントとの間にジークフリートを生みます)。
しかし2人とも実子との絡みはない。

ちょっと話が脇道にそれますが、ジークリンデ、こんなに可哀相な女性はいないんです。
捕えられ、フンディングの慰み者にされる。
その間、兄と知らずに一瞬で恋に落ちたジークムントの子供(ジークフリート)を身籠る。
妊娠を知る前にジークムントは2人の父ヴォータンに殺される。
小人ミーメに拾われ、死んでしまう。
ジークフリートはミーメに育てられ、両親の顔も知らない。

上演時間ほぼ16時間の《ニーベルングの指環》は「救済のモチーフ」で終わります。
これはジークリンデが《ワルキューレ》第三幕で、ブリュンヒルデに「自殺してはいけない。あなたは身籠もっている」と言われ、生きることを決心して姿を消す直前に歌うモチーフと同じです。
しかし、こんな可哀想なジークリンデに救済されようなんてムシが良すぎる・・・といつも思うのですが。

ヴェルディは多くの作品で父と子供の確執を描きますが、母親不在です。
母親としては《イル・トロヴァトーレ》のアズチェーナが圧倒的ですが、これも実子との関係を描いているのではありません。自分の母親を殺された復讐に際し、間違って実子を殺してしまい、更なる復讐の鬼として登場しています。

さて、《群盗》ですが、ここでも母親不在です。
冒頭、食卓を囲む家族がいますが、一人分だけ席が空いている。そこに黒リボンのかかった肖像画/写真が見えます。
なるほどこれはマッシミリアーノの妻であり、カルロとフランチェスコの死んだ母親なんだ、カルロの恋人/妻であるアマーリアと重なるんだと理解できる。
こんな小道具が演出の重要なファクターだと、演出がわかりやすくなります。

ヴェルディが描く長男と次男の確執はその後の作品《イル・トロヴァトーレ》でより陰湿な結果を迎えますが、《群盗》にすでにその悲惨さが出ています。

ところで、母親不在のファミリーの確執は特に珍しいことではありません。

たとえば、英国王室。
ダイアナ妃亡き後のファミリー。
特に最近はウィリアムとハリーの確執はどんどん暴かれています。

そんなことを考えながら《群盗》を観ていました。

FOTO:©️Kishi

以下は同オペラのホームページの該当部分です。
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この写真の中に、黒リボンのかかった肖像画/写真があります。
これはグレース・ケリーのように見えますね。
なるほど、モナコのグリマルディ家も13世紀に恐ろしい呪いをかけられ、幸せな結婚はできないとされています。
現公妃シャルレーヌも決して幸せそうではない・・・。


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