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BRSO 05.05.23 コンサートの記録:マナコルダ指揮BR響(バイエルン放送響)、5月5日、ミュンヘン・ヘァクレスザール


5月5日、アントネッロ・マナコルダ指揮バイエルン放送響のコンサートを聴きました(ミュンヘン・ヘァクレスザール)。

ヘァクレスザールはミュンヘンの中心部王宮敷地内にあります。
地下鉄最寄りの駅は『Odeonsplatz』(オデオンスプラッツ)。

王宮公園内の屋外のカフェやレストランも開きました。

ヘァクレスザールの目前に広がる風景。

ここがホール入り口。

プログラム。

面白いプログラムです。
シューベルトの二つの交響曲でラヴェルの二つのピアノ協奏曲をサンドイッチしています。
ラヴェルの2つのピアノ協奏曲を一晩でこういう形で聴けるのは嬉しいし、大変興味深いものです。
ラヴェルはこの2つのピアノ協奏曲を同時並行して作曲しました。

『左手のためのピアノ協奏曲』はピアニストであるパウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱によるものです。
ヴィトゲンシュタイン家はウィーンの裕福な著名な一家でした。
ちなみに哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインはパウルの弟です。

パウルは第一次世界大戦に従軍、ロシアの捕虜となり、そこで負傷のため右腕を切断しなければなりませんでした。
戦後は数々の作曲家(ブリテン、ヒンデミット、コルンゴルト、プロコフィエフ、シュミット、R.シュトラウス)に「左手のための作品」を依頼しています。

このラヴェルの作品もその一つですが、しかし世界初演(1931年1月5日、ロベルト・ヘーガー指揮ウィーン・フィル。ちなみに指揮者は元々エーリヒ・クライバーの予定でした)で、パウルがラヴェルの作曲通りに演奏しなかったことから2人は袂を分つことになりました。
その折の2人の激しい口論の証言や2人の手紙が残されています。
例えば、パウルが『演奏家は奴隷であってはならない!』と書くとラヴェルは『演奏家は奴隷だ!』という始末です。

ということもあり、ラヴェル版の世界初演は1937年でした。

私の個人的な思い出は、1990年代初め、ケルンのフィルハルモニーで、若杉弘指揮ケルン放送響でミシェル・ベロフが《左手のための協奏曲》を弾いた時です。当時、ベロフは右手を痛めていました。

コンサートの後、Mo若杉、ベロフと一緒に近くのレストランで食事をしました。
ベロフがデザートにクレーム・ブリュレを頼んだのですが、ウェイトレスが「何、それ!?」と言うのです。
当時、クレーム・ブリュレはまだドイツや日本にはほとんどなく、そのウェイトレスの態度があまりに粗野だったので、ベロフがちょっと機嫌を損ねてしまいました。Mo若杉が「僕も知らないよ。パリのどこで美味しいクレーム・ブリュレが食べられるの?」とベロフに尋ね、場が和んだことがあります。

それ以来、私の中では「ラヴェル《左手のためのピアノ協奏曲》⇆クレーム・ブリュレ」と言う図式ができあがっています。


さて、今シーズンの同オーケストラのレジデンス・アーティストであるピアニストのキリル・ゲルシュタインはアンコールにラフマニノフを弾きました。ラフマニノフは今年生誕150年です。
コンサートが終わったのは22時30分でした(20時始まり)。

休憩時の調律が終わり、調律師(右側のブルーのセーター)が立ち去っています。

以上のFOTO:©️Kishi



以下はBR響から提供されたリハーサル時の写真です。© BR/ Astrid Ackermann


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