みんなに好かれたい、を卒業した。



過去の私は、誰にでも良い顔をしていたし、みんなに好かれたかった。

全く売れてはいなかったとはいえ、演劇活動をしていた中でその欲求はどんどん強まっていき、オーディションにいけば全力で良い人をアピールしていたし、現場に行っても文句ひとつ言わない優等生だったし、ファンの人には求められるキャラクターを演じていた。
エキストラやスタンドインとして稼働するときなんかは、人間として扱われないことがほとんどだった。どんなに嫌なことでも、どんなに納得がいかないことでも、いろんな不満を飲み込んで受け入れたし、平気なフリをした。


誰もが私を「扱いやすい」「受動的」「頼めばなんでもやってくれる」
そんなふうに思ったことだろう。


結果、それは凡庸で「どこにでもいるような」、「普通な」、
そして「ドウデモイイような」人になってしまった自分に気づく。



もちろんある程度の感じの良さは人間関係を円滑に進めていくために大事なものだ。敵は少ないに越したことはない。


じゃあ、良い人で居続けたら全員が味方になってくれるのかって?

当然、そんなこともなく。

気づけばどんどんと面白くない人間になってしまい、気づけば「私じゃなきゃダメ」なことなんて何一つなくなっていった。


そんな毎日に、生活に、疲れてしまった。


そして私は、
自分を良く見せようとすることをやめた。

必要以上に自分を下げてへりくだることも、
相手のつまらない会話に愛想笑い浮かべることもしない。

わからないことは「わかりません」と伝えるし、
不快なことは「不快です」と意思表示する。
聞かれても自分が答えたくないことは「ノーコメント」でいいし、
納得いかなければ「OK」する必要もない。


それでいいのだ、と思う。


私は私。
それ以下でも以上でもない。

万能者ではないのだから、できないことや苦手なことはあるし、それが個性なのだと、今ではありのままの、等身大の自分を受け入れることができた。

昔は、とにかく好かれたかった。
好かれたい、というよりは、「嫌われたくなかった」に近いかもしれない。

世の中にはパレートの法則というものがあって、どんなことも大体2:8に分かれるというもの。
世の中で、自分のことを好きでいてくれる人は2割だけ。
あとの8割は、2割が嫌いで、6割が「どうでもいい」らしい。

2割。たったの2割。
その2割だけのために、「10割から愛されたい‼︎」と良い人を演じることは、エネルギーの無駄遣いだと感じた。
人間、歳をとってくるといかに省エネして生きるかを考える。
考えた結果、

「他人から好かれようとするエネルギー、マジ、無駄」。

ここにたどり着いた。

なんだかんだ遠回りして、やっとたどり着けたかもしれない。

それでも、初めて会う人や社会人として外の世界とやりとりするときなんかは、やっぱりどうしてもどこにでもあふれているような、堅いコミュニケーションを意識してはしまうのだけれど・・・。

「他人に好かれようとしない」ことで、時には他人に迷惑をかけてしまうこともあるかもしれない。めっちゃ嫌われたり疎まれたりすることもあるかもしれない。

だけど。もう、それでいい。


どう足掻いても、どう繕っても、
結局死ぬときは「私」のままだ。だったら「私」のまま生きていこう。


なぜか最近そんなことを思う。


良く晴れた、今夜満月を迎える午後にて。





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