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「コンビニ人間」を読んでからのコンビニ店員を想像するのが病みつきになる件

第155回芥川龍之介賞受賞作。「コンビニ人間」を今更ながら読んだ後のコンビニを訪れる際に、コンビニ店員を観察するのが日課となった。

ぼくはコンビニが好きだ。一日に最低1回、多い時は4、5回は利用する。主要3店舗それぞれに特徴があり、その日の気分でどの店にしようか迷う。

コンビニに並ぶ雑誌類は売れ筋のものしか置かない。ここを見れば大体の時代背景がわかる。平積みされた人気の週刊漫画雑誌を立ち読みするサラリーマンたち。日用品も緊急の場合はほぼ揃っている。筆記用具に関していえばコンビニに寄せて選ぶようになった。なくなった時すぐ手に入るからだ。冷蔵庫に陳列された飲み物たちを眺めているだけで幸せな気分になる。ドアを開けた瞬間に微かな冷気がミストシャワーのように心地よい。各社力を入れているスイーツの種類も豊富で、旬な素材を使った新商品が目を引く。おにぎりやお弁当惣菜までお昼になると沢山の人がレジに並ぶ。レジ横のホットメニューは匂いに釣られて予定外の誘惑だ。他にも数えきれない商品が手に入る、それがコンビニだ。

そんなコンビニの一番の利用目的に「コーヒー」がある。とにかくコーヒーが好きだ。サイズは一番小さい100円のブラックがお決まりだ。朝一番の目覚めのコーヒーもあれば、午後2時から3時くらいの間でブレイクタイムの時もある。

現在主流はカップだけもらってセルフで淹れるのが当たり前になった。すべては効率の名の下にセルフ化したはずだが、数少なくなった店員さんが淹れるタイプの店はどこか時代に取り残された感じがする。コロナ禍で飲食に対する厳しい目が後押しされ、満面の笑みもどこかぎこちない。

コンビニ戦争は激化して各社独自の“色”をだそうと試みるが、どこも似たような戦略になるのはコンビニの性なのか。もちろん商品開発に勤しむ社員の努力は並大抵のものではないと、大好きな商品もある。声には出さないが「いつもありがとう」と心の中で感謝している。

さて、それではコンビニを選ぶ基準はどこにあるのか考えたこともないことを考えると、クーポンやポイントを除けば、店員さんに目がいく。

フランチャイズ店のマニュアルは業務ノウハウの結集だ。逆にいえば、アドリブが効きすぎた行為はあってはならない。コンビニ人間とはまさに、マニュアル通りの仕事をこなすことが責務となる。

がしかし、マニュアル通りといえどもサービスの差がなくなった昨今では顧客対応は重要な課題だと思う。

たとえば、感情を表に出さない内気なフリーターA君は、挨拶の練習や実践で性格まで変わったんじゃないかと想像してしまい「頑張ってね」と心で呟く。

レジ打ちの手慣れた主婦店員Bさんの対応が、今日はどこか覇気がない。子どもが学校でいじめにでもあったのだろうか?または旦那さんが浮気をしたのだろうか?はたまた親の介護に疲れているのだろうか?

カタコトのアジア系大学生Cさんは目を合わすことが苦手だ。レジ打ちも何処かぎこちない。親からの仕送りが少ないので、健気にバイトで生活費を補う。彼女の夢は母国で日本語を教える先生だ。と勝手に想像する。

店内清掃が得意のおばちゃんDさんは、トイレの清掃チェック表に名前がずらりと並んでいる。やけにテンションが高く、肝っ玉かあちゃんといったところだ。きっと家事が得意で、朝から掃除機を唸らせているに違いない。

コンビニに限らず、普通に働くということは社会の歯車にガッチリと噛み合わなければどこか生きづらい。マニュアルはそれを補ってくれる。しかしトラブルが起きたとたん「臨機応変にやってよ」と都合のいい言葉で上司にあしらわれ、ときどき回らなくなった歯車にグリスを注入しなければならない。

結局取り扱うのは人間だ。感情を持った人間様なのだ。冷静を装ってはいるけど、彼等の内にあるマニュアルからはみ出した人間模様を想像すると、コンビニという場所は、彼ら(店員)やお客(ぼく)にとって世界との接点であり、一つの部品になれる空間だ。

もしかしたらぼくも、毎日コンビニに通うのは、社会不適合者と周りから見られないように確かめるためかもしれない。

今日もコンビニから、どんなドラマが生まれるのか楽しみは尽きない。

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