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長編物語恐怖症(詩を紡ぐことについて)

 いつの間にか物語が怖くなってしまった。最近は小説を読まなくなったしアニメも見なくなっている。
 原因はおそらく登場人物への過剰な共感だろう。共感しすぎるあまりフラッシュバックを起こし、過去の嫌な経験を思い出してしまうのだ。
 長編の物語は総じて山あり谷ありで創られると思う。その度に共感してしまうから心が耐えられず楽しめなくなってしまった。
 そんな私だが今でも摂取している物語がある。それが歌だ。アニソンやゲームソングを中心に聴いている。アニソンやゲームソングは使用されるアニメやゲームの縮図のように創られていると思う。その圧縮具合が今の私にはちょうど良い。ちなみに麻枝准氏が作詞作曲した楽曲が大好きで音楽限定の鍵っ子である。
 麻枝氏の曲は物語を語るような曲が多い。それこそ曲にのせた短編小説のように感じる。中には「終わりの世界のLove Song」をはじめ、それがテーマのアルバムなどがあるくらいだ。約5分で聴く物語として私は音楽を聴いている。5分という時間は共感しすぎずちょうど良い。
 もう一つ歌を聴く理由として気分の調整がある。双極性障害の影響で気分が浮き沈みしやすい私は歌を聴くことでチューニングのようなことをしているのだ。曲の歌詞やテンポ、使用されている楽器、高音なのか低音なのかなどなど様々な要素を考えてプレイリストは作らず一曲一曲選びながら聴き、それにあわせて上下する気分の波をちょうどいい所に持っていっている。
 そのうちに自分でも曲を創りたいと思い挑戦してみたこともあったがセンスが無いようで一曲も完成しないまま終わった。しかし、歌詞のほうはものになったので文章を書けるかもと気づくきっかけにはなったように思う。
 それから短い文章を書くようになり、大学時代は写真と文章をセットで制作していた。その最新作が「あの日々に告ぐ」シリーズだ。それがライターとして仕事をしている今にも繋がっている。
 私が詩を紡ぐのはそうした音楽への憧れがあるのだろう。歌を歌うように詩を紡ぐのが私のやり方だと今は考えている。
 これからも私は詩を、あるいは言葉を紡ぎ続けるだろう。よろしければこれからもお付き合いいただきたい。

地平線


(撮影:地平線)

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