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Mid 90's:スマホのかわりにスケボーとヒップホップがあった頃

コメディアンというのはだいたい、じつはシリアスなひとが多い。人間の性格は複雑であるので、どういうひとがコミックでどういうひとがシリアスなのかということを、二分できるわけではないのだが。

ひとを笑わせるという行為は、究極の演技であるから、頭を使わなければできない。チャップリンのように、道化の演技そのものによって、人間性のペーソスやモラルを最大限に表現していれば、芸術表現の魂はそこに円熟していくだろう。ウッディ・アレンも初期にはバカを演じていて、そういう意味での面白さを求めるならば、初期の作品を見る必要がある。

それ以前の映画では、いつまでも太っていて欲求不満の、コミカルなデブキャラが売りだった、ジョナ・ヒル。『マネーボール』でブラッド・ピットの野球チームの戦略データアシスタントを、そして『ギャング・オブ・ニューヨーク』で、ディカプリオの相棒の、セックスとドラッグまみれのイカサマ株式仲買人を演じ、同じイメージの延長戦でありながらも、シリアスな俳優への転換を、図ってきた。

デブキャラは太っていなければ役がない、と言われるが、かれはそういうタイプキャスト(枠にはめられること)を拒み、柔道と日本食でダイエット。ついに念願の映画監督への道を開いた。

その最初の作品が、Mid 90s(2018)。見ているものは誰もが、これは作者の自伝であると思うのではないだろうか。主人公は13歳の、オタクっぽくて線の細い少年スティーヴィー。父親はいなくて、兄にはいつもいじめられている。母親は元ヤンキーで、今は普通にしているが、シングルマザーであまり家にいない。

スティーヴィーは、地元のスケボー集団に憧れ、仲間に入れてもらおうと奮闘する。カリフォルニアの崩壊家庭の子供たちであるかれらは、Fワードばかりのずるずるつながった英語を話す、ちょっとした不良グループ。スティーヴィーにスケボーだけでなく、タバコやドラッグや女の子との遊びを教える。

見ている方は、母親的な立場になってしまい、こんな子たちと遊ばなくても、と思ってハラハラするのだが、かれはスケボー少年たちをひたすらかっこいいcoolと思って、尊敬している。

ジョナ・ヒルは上の方の中流家庭の出身で、両親もいたので、 自伝そのままではない。しかし、今まで他人が期待する役ばかり演じてきたので、今度は初めて自分自身になれた、と言っているように、ディテールは変えられていても、この映画はかれの精神的自伝である。

ジョナ・ヒルは子供時代、アニメ『シンプソンズ』にはまって、シナリオをせっせと書いていたそうだ。それから、そういう箱の中に閉じこもった生活から解放されたいという、外向的な社会性への憧れからか、スケボーとヒップポップに、夢中になった。だからスティーヴィーはジョナ・ヒル自身の少年時代の分身だ。

スケボー集団のギャングたちは、スティーヴィーがひどい怪我をすると、みんなで逃げたりせずにちゃんと面倒を見てやったりする、疑似家族のような仲間たちでもある。

スマホのかわりにスケボーとヒップホップが少年のアイデンティティだったころ、不良な仲間たちに揉まれながら男(?)になっていくスティーヴィーの、『スタンド・バイ・ミー』のような通過儀礼の物語である。

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