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わたしのひいおじいちゃん。
お盆真っ只中の今日、8月15日は終戦記念日。
わたしの祖父は戦争で父親を失った遺族。祖父の父ということは、つまりわたしのひいおじいちゃんにあたります。
祖父は昭和19年11月に生まれ、ひいおじいちゃんは翌年昭和20年7月に戦死。その1ヶ月後に終戦。祖父が自分の父親と過ごした時間はほんの僅かで、顔も写真でしか知らず、抱かれた記憶もあやされた記憶もないと言います。
以前、祖父にひいおじいちゃんのことを尋ねたことがあります。その時もらったメールには、ひいおじいちゃんの写真ともにこんなことが書いてありました。
千春のひいじいちゃんは船乗りでした。商船大学を卒業し、まだ24歳ながら2等航海士で、そのまま経験を積めば1等航海士へ、そして船長になるはずだったのです。
しかし、太平洋戦争が末期を迎え、父は船乗りとして軍属で、南洋諸島への兵員や物資を運ぶ輸送船の航海士としての役目についていました。
昭和20年7月10日4時20分、朝鮮沖でアメリカ海軍の潜水艦・シーロビン号に発見され魚雷4発を受けて撃沈されました。千春のひいじいちゃんはその撃沈された先島丸(さきしままる)に乗り込んでいたのです。
昭和20年7月10日と言えば、その25日後には広島・そして長崎に原爆が落とされ終戦を迎えたのですが、わずか1ヶ月のことで私と母は大きく人生が変わってしまったことになります。戦争が無ければ、私は船長さんの息子として違う人生を送っていたことになりますね。
祖父の4年前のブログにも、ひいおじいちゃんのことが書いてありました。
当時、今のわたしと同じくらいの年齢だったひいおばあちゃんはその時何を思っていたんだろうか。ひいおじいちゃんはどんな思いで船の上にいたんだろうか。
戦争で夫を失った妻であるひいおばあちゃんから、直接詳しい話しを聞いたことは残念ながらありません。
そんなわたしのひいおばあちゃんは数年前に96歳で他界。今では戦争を経験した家族は周りにいなくなってしまった・・・。大人になればなるほど、戦争の時代はどんな生活だったのか、戦後はどんな生活を送らなければならなかったのか、もっとちゃんと話しを聞いておけばよかったと心底思います。
戦後75年。"戦後"と言える今を生きられることに心から感謝する一方で、世界では未だ終わらない戦争や戦争の火種があるんだと思うと、色んな気持ちが交差して、どうこの感情を言葉にしていいか、正直わかりません。戦争を経験した世代が年々減り、戦争を知る世代が少なくなっている今、平和への祈りを捧げるとともに、戦争をただ歴史として捉えるのではなく、わたしたちはもっと知っていかなければいけないのだと感じます。
わたしの心の中にある、祖父から受け継いだひいおじいちゃんのこと、戦後たくましく生き抜いたひいおばあちゃんのこと、そして先人たちが体験したことやこれまで語り継いできたことを、今度はわたしたちが次の世代に繋げていかなければいけないなぁと、改めて感じた日。
2020年8月15日
武藤千春
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