奥底の夢を諦めなくていい。そう思えて涙を流した学校帰り。
大学3年生。将来を考えなくては、ちゃらんぽらんでいられないからさ。
そんな時期に突入して、もう3ヶ月くらい経った。
私が所属している法学部は、3年になったらゼミに所属するのが必須。私は憲法と福祉行政を専攻するゼミに入った。
人権に関心があったこと、社会的マイノリティ、いわゆる社会的弱者とカテゴライズされる人の力になれる、私自身がこの社会で幸せに生きられる、そんな知識をつけたかったから……。
そんな政治学科を志したときと同じ気持ちで、ゼミも選んだ。
そのゼミは、2年間を通して論文を書くことが決まりだった。私は自分も生きた証を残したいという行動軸を持っているから、むしろ好都合だった。
自分で論文を書くという性質上、2年間学び尽くす研究テーマを決める必要があり、私は「自殺対策と社会制度」を大まかな研究テーマとして選択した。
これは、私が高2の時に自殺対策という政策課題があることを知り、日本では私と同じように自殺を考える人がたくさんいて、尊い命が自殺によって失われていることを知って。
そんな背景から、私は自殺対策、特に自死予防という観点に関心を持ったことが影響している。
そしてこの興味関心が今も続けているヒカリテラスにも繋がっている。
(まぁ論文を書くゼミなのに、何故か論文を書くのは私だけになってしまったんだけども。)
私はちょっと卒論に取り組み始めるのが遅くて、今日ようやく卒論のアウトラインを先生に見せてokをもらったのだけど。
その時に「これって、この論文だけで終わりにするんだっけ?大学院行かないんだっけ?」とふと言われて。
私は大学院に行きたい。?そうなのかもしれない。
そんな奥底の想いを感じた気がした。
でも、
「行けるなら行きたいんですけど、弟も大学進学するし、そこまで裕福な家庭でも無いので…。」
そんな言葉が口から出た。
「大学院行くのにもいろんな選択肢があるんだよ」
と先生は私に色んな大学院進学の形を教えてくれた。
先生も社会人と大学院生の両立をしていた人で、周りにも社会人兼大学院生の人がいたこと。社会人を経験したのちに大学院生になった人もいたこと。
どんな選択でもできるんだと、諦めるにはまだ早いんだと、思わせてくれた。
私は学者になりたいとかは到底思っていないんだけど、
自分や同じ苦しみを抱える仲間たちが幸せに社会で生きていくために学びや知識は、大学4年間じゃ到底足りなくて。
でも私のお家は本当に一般家庭だし、お父さんもお母さんも大学院には行っていない。弟も今年大学受験を控えていて、私ばかりがわがままを言えないと思っていた。
行きたいことには行きたい。だって足りない。
でも勉強は学生でなくてもできるかもしれない。大学院に行かなくたって、私は勉強できると言い聞かせていた。
でも色んな大学院進学の形を教えてもらったり、奨学金の話や大学院卒業後の話を聞いてみると、もっと貪欲に調べてみようと思えるようになった。
それに先生は私がヒカリテラスという団体で活動していることを知っているから、大学院を出ることで団体にとっても箔がつくかもしれないと話してくれた。
「せっかく団体を4年間もやっているなら、挑戦する価値はある。」
結局将来を考えることには変わらないし、未来を考えることが苦しい私にとっては、苦しいことには何ら変わりはない。
大学院に行くという選択肢を持つことで、もっと頑張らなくてはならないこともあるかもしれない。
卒論の今の流れも変わっていくかもしれないし、論文制作がハードなものになるかもしれない。
でも、奥底にしまいこんでいた想いを潰して壊さなくていいのかもしれない。
挑戦していい。諦めなくていい。
私はそれだけで大学帰りのバスで涙がこぼれそうになった。
今は目の前の卒論と、心が心地好い揺らぎを感じた方へ将来のコマを進めていくこと。
そして、今この時を後悔しないためにも、全力で取り組みたかったヒカリテラスを。
頑張って、頑張って、後悔しないように、過去の私に証明できるように、頑張らなきゃね。
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