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何者になれなくても、好きなものは語れる:0036


…っていう気持ちで、この半年noteに記事を書き続けてきました。
この座右の銘があったから半年書き続けてこれたとも思うけど、なんだかんだ妙な気迫や覚悟を背負ってきたようにも思ったので、書いてお焚き上げしようかなと思います。いきなり書いたのに、座右の銘は本日限りのタイムセールです。


隠していたわけでもなく、けれども明かしていなかった僕が何者であるか、何者でないかの話をします。


とはいえ、我を出さなかったわけでは全くない、主観ましましの好きなものとの思い出記録を書き続けていたので、今更自分の何を語るか、とも苦笑しておりますが。

これから話す何者とは、僕の性別についてです。



僕は体と心の性別がズレています。
いつか望む体に転向しようと思っているくらいには、今の体への違和感が強い。


今でこそLGBTのT、トランスジェンダーです、体と心の性が異なっています、とカテゴライズして言えるようになりましたが、僕はあんまりこのカテゴリ分けが好きではないんですね。


今回の記事はLGBTを知らないかもしれない、今まで僕をフォローしてくれた方に向けて特に書いている為、わかりやすさ重視でTのトランスと通します。現在はXジェンダー(中性や無性、両性を、望む性)やQ(自分の性別を模索している状態)など、そちらの方が自分の性別に対して近いのでしょう。

いつか手術をして体を移行しても、僕は100%心の性別になりきれないし、持って生まれた体型や手術の限界もあるので、理想にはなれません。

そこも踏まえて、模索しながらほどよく折り合いつけようと生きていきます。



…と、ここまで書いてから読み返すと、仰々しくて説明的で、なんか嫌なんですよね。
当事者だからといって専門的にジェンダーの勉強をしている訳ではないし、当事者でなくても僕よりLGBTに詳しい方はたくさんいます。
女性だから女性のジェンダー論に詳しいわけではないでしょう。



というわけで、説明はここまでにします。



【noteに記事を書き始めた理由】


僕がnoteに好きなものを語り始めた理由が、自分の望んでいる性別の「らしさ」からズレようとも、好きなものは好きと言えるようになりたかったからなんですね。


トランスジェンダーとして生きていると「これを好きと言うのは、男らしいだろうか。女らしいだろうか。」とか、それこそ自分の影のように常に付きまとってきます。望みたい性になりたいと思うほどに、体の性を削ぎ落としたくなってくる。

日常でも僕はある程度親しくなればカミングアウトはするんだけど、「この人、心は◯◯だって言ったのに、◯◯らしいの好きなんだよね」とか思われたら、なんて逆にプレッシャーになることもあります。

少しでもなりたい性別からズレると心の中の自分がボソッと呟くんです。
「やっぱりお前は◯◯としか思われない」って。

そんなことを十数年続けてると、人と話していても自分の好きなものは語れなくなっていきました。

「あぁ、そういうの好きって◯◯らしいよね」とか気安い相槌くらいだとしても、ゴキブリを食え!と言われるくらい突拍子もなく嫌なことなんですよ。ゴキブリ食えなんて人生でいまだかつて言われたことないし、食えるゴキブリはいるらしいので若干の興味がありますが。


「それが◯◯らしいのなら、もうそれは好きじゃない」
そうしてトカゲのしっぽみたいに自分の要素を切り落としていくんです。
トカゲはしっぽ再生するけど、好きな物を愛した記憶は、簡単に忘れてしまえます。


結局トランスとして生きてるとしても、自由でなんか全然なくて、世の中の男女のらしさに強くこだわりを持ってしまったりしていました。


世の中のレッテルよりも近しい誰かの押し付けよりも、何より僕自身が性別に対して偏見があるのです。
体を変えるよりも先にそこをまず変えないと、僕はいつまでも前に進めない。

だから、今書いている好きなものと出会って、それについてどうしても語りたくなった時、
「性別のらしさを背負わずに、好きなものを語れるようになったら、僕はこの苦しい自分から自由になれるんじゃないか」
半ば自己実現みたいな目的で始めました。
純粋に好きで応援する、だけでない不純ももちろんありました。



ただ、最初にトランスと明らかにすると「トランス」のレッテルが貼られてしまうような気がして、プロフ欄などに書きませんでした。

ある程度記事を書けば、僕が「トランス」という一要素を持っているだけのそこら辺にいる人間だと、そう伝わるんじゃないかと思いました。


そういう気持ちで書き始めて、多少重いかもなぁ…と思いつつも、すごく楽しかったです。

好きなものとして語っている人たちには、自分の代わりに書いて、立たせてもらってるようで申し訳ないなと思っていましたが、その出会いがなければ、僕はこんなに楽しい人生を知りませんでした。



【なぜ、今話そうと思ったのか】

カミングアウトの流儀として、なぜ今自分の性別を明かそうかと思ったか話します。
3つ理由があります。


1
noteに記事をそれなりに書いていたというのに、今でもなんだか自信がないんですね。
その自信のなさはもしかしたら、僕が性別を隠していたからかもしれません。
本当はずっと明かさないままでいようと思っていたけど、書いていて躊躇する事が増えてきました。タイトルの座右の銘にも縛られてしまっている気がしました。

これまでもこれからも、僕は人に迷惑をかけて生きています。でもそれは、僕がトランスだから迷惑をかけるわけじゃない。
僕の人としてのアカンところが迷惑だったりするだけです。変えられるところは直そうと取り組むし、変えられないところはどうしようもない。
僕がトランスだからって、それ自体に誰も困らないでしょう。


2
LGBTを題材にした書籍を読んで感想を書きたいな、と思っていたのですが、やっぱりどうしても僕は当事者として語りたくなってしまうことに気づきました。
そう突きつめると今までの感想も、トランスとしての僕の要素が全くない訳ではないんです。



恋愛物の感想をこれまで書いていますが、本当の意味で僕は自分にとっての異性・同性が分かりません。

僕は根本的には「異性愛」が分からないやつなんですよ。

それはLGBTの価値観が自分にはない物だから触れていいのか分からないと躊躇してしまう人と同じような感じで、異性愛の分からない自分が、感想書いていいのか、と悩みをある程度抱えていました。


でも僕は異性愛は分からないけど、その人の言葉だったり感性だったり「作る人」としてすげー好きで、やっぱり語りたくなってしまったんです。
今では読んでくれて、感想に対して感想まで書いてくださる方もいて、あの時躊躇しないで良かったと思っています。


これからLGBT関連の書籍を読んで感想を書いても、僕が当事者だからってそれが正しいなんて事にはなりません。当事者の中に、さらにたくさんの多様性があるんですよ。
もちろん当事者として書く以上、勉強は必要で続けようと思っていますが、僕はあくまでジェンダー論の専門家でない。

僕と意見の合わないLGBTの方も、たくさんおられると思います。LGBTだからこそ、合わない方もおられるでしょう。
だから今までもそうあろうとしてきたけれど、一個人の感想としてのスタンスはブレないよう、これからも書き続けます。


3
これについては、LGBTを検索された方や自分の性別に悩む方に向けて書こうかと思います。

LGBTだからってその要素がその人の全てではないけれど、どうしても自分の性別という根幹に苦しむと、その苦しみが人生の全てになってしまう。
でも、自分の体と、表現する性別と、好きなものは矛盾してもいいんですね。
好きなものをたくさん増やした方が、自分を分析することにもつながります。


ひとつの好きなものを語っていると、らしさで縛られる前の自分が何を好きだったか、思い出せるようになりました。


ピンクや赤の服は好きだけど、化粧をしたいとは思えない。
くずし字が好きで、瓦版くらいなら読めるようになりました。
信号機が好きで、古い信号から新しく変わっていくのを悲喜こもごも眺めていたりしています。

納豆…っていうか、僕は元々自由研究が好きなんですね。ひとつのことにのめり込む性質で「そんな事を知ってなんになるの?」って言われるものほど、調べ出したら止まらないのです。何卒温かい目で見守ってください。



この記事だって、誰も僕の性別なんか気にしてなかったと思うんです。紹介された時、認知される事に戸惑いもあったけど、僕が何者か関係なく暖かく面白がってくれてね、そういうのがね、すごく嬉しかったです。


そうした、他愛もなく男女のらしさ関係なく、好きだったものを思い出す事ができました。



色んな場所に自分のアイデンティティを持ち始めると、嫌なことが無数にある世の中でふんばりが利くようになります。

もし読まれているだれかが、自分が何者かに悩んで(もちろん悩まずにはいられないだろうし、悩む時間も大切なので、一概には言えませんが。)それに疲れていたなら。何が好きだったかを探してみるのもいいかもしれません。



…ごめんなさい、3つと書いたけれど、最後にもう一つありました。
僕は自分の体と声がすごいコンプレックスで、ネットでのつながりをリアルに発展させる事はないだろうなぁ、と思ってました。


でももし推している人のライブや、noteのオンライン・オフラインイベントなど、これからもしネットで繋がる誰かと顔を合わせた時。
今の気持ちのままでは、僕はおそらく声をかける事はできないでしょう。
ネットのボイスチャットでさえ入れないし、会って何か話したい事があるわけでもないけれど。


いつかリアルの体で会いたいと思えるようになりたいので、書きました。


最後まで「僕の体は○○で、心は◯◯で…」とか、具体的に書けなくてごめんなさい。そういうところも含めてコンプレックスで、僕はまだまだだ、って事です。


ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。


※カミングアウト自体は、実はアカルク文学部という企画が立ち上がった時に、ここに応募しようと決めていました。

残念ながら企画は中止となりましたが、僕はこの企画を始めようとしてくれた事自体にありがとうと言いたいかったので、勝手ながらタグをつけさせて頂きました。

アカルク文学部のタグには企画の中止があった今も投稿があります。多くの人に必要とされていた企画で、また企画が復活・もしくは新しく作られることがあれば参加したいと考えてます。





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