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ベルリン演劇の講義6

慶應義塾大学久保田万太郎記念講座 現代芸術1
第6回授業(2020年6月8日)

1、「UNTIL OUR HEART STOP」の感想レポートから

私が予想していた以上に、「難解」と思った人が多かった模様。これは演劇かダンスか?と首をひねった方もいるようですが、コンテンポラリー・ダンスのジャンルに入るものです。「何を表現しているの?」と悩んだ人も。「感性で受け止めろってこと?」と困惑した方もいるようです。しかし、実はヨーロッパ、特にドイツの舞台芸術はめちゃくちゃ理屈っぽいので、文脈=コンテクストを知れば、何をやりたいかは大抵分かるようになっています。(その上で、好きじゃない、つまらない、ってことも大いにある。)第一回授業で見てもらったドイツ憲法の演劇も、セリフの全部が憲法からの引用、等々の知識を踏まえてもう一回見たら、見方が変わったんじゃないかと思います。多くの作り手は、誰もまだやっていない新しい表現を模索しているので、そのジャンルのアートの歴史や知識を踏まえた上で、考えに考えて作品を発表しているわけです。

確かに今回の作品には、特に決まった筋や物語はありません。例えばクラシックバレエなら、筋や物語を持つ作品が多いですが、盆踊りや、ヒップホップダンス、社交ダンスetc...物語がないダンスはたくさんありますよね。クラブで延々朝まで踊ったり、家や道ばたや学校の廊下で、嬉しいことがあったから意味なく踊っちゃう!ってことだってあると思います。ダンスって私たちの生活にとても身近なものです。
ダンスの歴史は演劇よりも古いです。様々な国や地域に、その場所固有の伝統的な民俗舞踊があります。たとえば「先祖供養」とか「豊作を願う」といった意味があったりします。「鳥や動物、精霊に変身する」「悪霊と戦う」等の具体的な場面を表現するダンスもあれば、音楽に合わせて決まった振付を延々踊る...というダンスもあります。
ある意味「人間の身体にまつわる芸術」全てがダンスと言えます。自分で踊るのも、見るだけでも面白いんですが、さらに深く理解するためには歴史を紐解く必要があるかもしれません。


2、コンテンポラリー・ダンスの超ざっくりな歴史

<モダン・ダンス>
コンテンポラリー・ダンスは、20世紀初頭から、それまでのバレエの歴史に対抗するようにして、ヨーロッパとアメリカで発展していったジャンル。
クラシックバレエはルネッサンス期のイタリアで発祥した。そもそもは、宮廷や劇場で王族や貴族の目を楽しませるために踊られたもの。20世紀前半、時代の変化と共にクラシック・バレエの歴史が構築した動きの型を否定するダンサーたちが現れた。コルセットやトゥ・シューズの着用をやめ、より自由な動きを求めた。

●Isadora Duncan(イサドラ・ダンカン)(1877-1927)
アメリカ出身。モダン・ダンスの創始者と言われる。パリ、ベルリン、モスクワにダンス学校を設立。ギリシャ風のゆったりした衣装を纏って、裸足で踊ったことで有名。彼女の踊りを見たミハイル・フォーキンが衝撃を受け、新たなステップや民族舞踊を取り入れた「モダン・バレエ」のジャンルを切り開いて、バレエの歴史を変えた。(→その後のバレエ・リュスやニジンスキーは有名ですね。私は山岸凉子先生のマンガで勉強しました。)

イサドラ・ダンカンが戸外で踊っている映像。撮られるのが嫌いだったのでこの映像しか残っていないらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=oaFZbhbcft0

●Martha Graham マーサ・グレアム(1894-1991)
アメリカ出身。1926年に「マーサ・グレアム・ダンスカンパニー」を設立。モダン・ダンスを固有のスタイルとして確立して、後進を育てるためのトレーニングシステムも開発した。
「Lamentation(嘆き)」
https://www.youtube.com/watch?v=I-lcFwPJUXQ

<ドイツのモダン・ダンサー>
ドイツの20世紀初頭にも、歴史に残るダンサーたちがいます。
1920年代、ワイマール時代のベルリンは、世界の文化の中心地だったのです。郊外に巨大な映画スタジオが建てられ、「カリガリ博士」「メトロポリス」といった歴史に残るサイレント映画が作られた。演劇ならばブレヒト、デザインはバウハウス、哲学ならばハイデガー、ベンヤミンなど。芸術家がキャバレーに集い、売買春が横行。ナチ時代に移行するまでの15年ほどの黄金期・爛熟期であった。ミュージカルの「キャバレー」はフィクションですが、この時代のベルリンを描いています。ちょっと前、Babylon Belinという、ワイマール時代を描いたサスペンスドラマがドイツで大流行しました。今はNetflixで見れるかも?↓主題歌が有名。
https://www.youtube.com/watch?v=uekZpkYf7-E

ベルリンにもモダン・ダンスの重要な振付家が登場します。
●Mary Wigman(マリー・ヴィグマン)(1886-1973)
ドイツ・ワイマール期のドイツ表現主義舞踊「Neue Tanz」創始者。有名なHexentanz(魔女のダンス)は日本の大野一雄、土方巽ら(1928-1986)による、暗黒舞踏に影響を与えた言われる。舞踏はヨーロッパでButohとして大変人気があります。
「Hexentanz(魔女のダンス)」
https://www.youtube.com/watch?v=AtLSSuFlJ5c

●Valeska Gert(ヴァレスカ・ゲアト)(1892-1978)
20世紀前半から活動したダンサー(キャバレー店員、パントマイマー、映画俳優)でありながら、前衛的で先駆的な活動をしたアーティストとして近年注目されています。1933年ナチ時代に当時のユダヤ人コミュニティからも「下品」と疎まれ、ロンドンやアメリカに移住、戦後に再びドイツへ戻る。娼婦、赤ん坊など市井の人間の姿を身体表現として昇華させた。
↓ドキュメンタリー映画に一瞬登場するヴァレスカ・ゲアト
https://www.youtube.com/watch?v=ppIr9lix--4
「Der Tod(死)」
https://www.youtube.com/watch?v=WNf90i1OK3c

<Nyのポスト・モダン・ダンス>
モダン・ダンスに拮抗するものとして、主に1960年代以降に発展。

●Merce Cunningham(1919-2009)
マーサ・グレアムカンパニーでダンサーとして活躍。その後、現代音楽家のJohn Cage、David Tudor、現代美術家のRauschenberg、Bruce Nauman、Warhol等、60年代以降のニューヨークのアーティストとジャンルを超えてコラボレーション。前衛芸術の新たな歴史を拓く。
「Point in Space」(1986)イギリスのテレビ局のために撮った映像。最後に出てくる青い衣装のダンサーがカニンガム。
https://www.youtube.com/watch?v=qf_kLcdijz8&t=56s
「Ocean」(2008)
https://www.youtube.com/watch?v=1aBJdHnv5tM

●Yvonne Rainer(1934-)
マーサ・グレアムカンパニーで学ぶ。その後、身体をストーリーや劇を演じる媒体から解放。不確実性、偶然性、反復などを取り入れた無限に多様な動きの源として扱う。実験映画の監督としても活躍。
「Trio A」(1978)
https://www.youtube.com/watch?v=_vHqIMFDbQI

★ジャドソン・ダンス・シアター
1962年、NYのジャドソン教会を借りて、Yvonne Rainer、Trisha Brown、Steve Paxtonらが、Merce Cunninghamらの活動に影響を受けて定期的にダンス・コンサートを開く。これがバレエ以降、権威となりつつあったモダン・ダンスに対する新たな展開として「ポスト・モダン・ダンス」と呼ばれるように。ダンスでも演劇でもなく、アート(美術)の分野としての「ハプニング」「パフォーマンス」が始まったのは(そういう名前がつけられ出したのは)、1960年代ごろのNY。ドイツでもアメリカでも、ジャンルを超えてアーティスト同士の交流があり、前衛芸術が発展していきました。

<ドイツのコンテンポラリーダンス>
●Pina Bausch(1940-2009)
Mary Wigmanらと同時代の振付家、クルト・ヨースに師事。ブッパタール舞踊団を設立、ダンスと演劇を融合させた「タンツ・テアター」をメインストリームに押し上げる。日本でもめちゃめちゃ人気あります。
https://www.youtube.com/watch?v=rDTp6QZ12fE

かなり私の趣味で選んでいるので、他にももっと重要な振付家たくさんいます!より詳しい知識を求める方は、現代舞踊の書籍が色々出ているので参照してください。

3、'UNTIL OUR HEART STOP' に見られる要素

メグ・スチュアートはこの作品について、「演劇の場で親密さを作り出すことに興味がありました。ある意味それは境界のゲームです」と言っている。→前回、江本純子さんがおっしゃっていた「分断をなくす」という言葉と似ていますね!

●コンタクト・インプロヴィゼーション
NY60年代のジャドソン教会派の一人、Steve Paxtonが、日本の合気道(相手の力を利用して動く武道。自分から攻撃しない)などをヒントにコンタクト・インプロヴィゼーションを考案。
https://www.youtube.com/watch?v=9FeSDsmIeHA&t=327s

'UNTIL OUR HEART STOP' の最初20分ぐらいの場面では、コンタクト・インプロヴィゼーション的な動きが行われますが、互いの力のバランスが取れていない、ちぐはぐな印象。かなり激しく、身体をぶつけ合う。怪我しないように行うには、かなり技術が必要。私には絶対真似できません!
→バランスよく整然と行われる、上記のリンクの美しいコンタクト・インプロヴィゼーションと比べると、この身体のぶつかり合いはどう見えるでしょう? もっと激しく他人を求めている? 求めても手に入らなくてもがいている感じ? 振付家は、人間の身体をどういう存在として捉えているでしょう?

●フェミニズム表現
前半、女性パフォーマーの2名が裸でデュオを踊るシーンがあります。相手の乳房を掴んで息を吹き込んだり、二人で舌を出して舌を叩きあったり、股をバンと開いて相手に見せつけあったり、20分ぐらいの間に多くの動きを行います。受講者のレポートには「動物のよう」「男のよう」「理性を失った姿(!?)」との評がありました。

ネットの記事でこれを「ポルノグラフィで表象される女性の身体に対する嘲り」と解説する劇評があった。
私たちがメディアの中で見る女性の裸体は、驚くべきことに、ほとんどの場合がポルノの文脈で表現されたものです!世界の半分が女性で、その全員が身体を持って日常生活を送っているにも関わらず。ヨーロッパの伝統的な絵画の中にも裸体は出てきますが、彼女たちは、聖母や女神やヌードモデルや男性画家の恋人であったりします。
2名の女性パフォーマーは、ポルノやストリップに頻出する典型的な身体の動かし方(ex. 相手の反応を伺いながら乳首をゆっくりと舐める、相手を唆るように股を少しずつ開いて見せていく等)をまずチラつかせた後、それを裏切ったり、崩したりするムーブメントをガンガン繰り出していきます。ポーズをつけてこちらに流し目をするかと思いきや、足を変なふうに曲げて白眼を剥いたり。ここには批評性があります。見ていると、私たちが持っていた女性身体へのイメージが、どれだけポルノの中の女性のイメージ(=欲望の対象者として見られる存在)に侵食されていたかが明らかになってくる。(特に日本はアダルトビデオ・性風俗産業で世界的に有名な国です。裸体のイメージはヨーロッパ以上にポルノに侵食されていると思います。)
彼女らが、裸でマイクを掴んで激しくパンク風に歌ったり、足でピアノを弾いたりするのを見て、「幼稚」「女性らしくない」と思った学生もいるようです。しかし私は、彼女らの身体表現は子供や動物のように幼いものではなく理性的で成熟したものだと感じ、古い因習から解放された清々しい気分になりました。(そしてかなり難易度の高い動きをしている。ドイツ演劇 or ダンスのパフォーマーの身体能力の高さにはいつも驚かされます。)
日本のジェンダー・ギャップは何といっても120位で大変低いので、ドイツとはかなり「女性らしさ」の感覚が違うかもしれません。ベルリン公演の観客はヌードのシーンをゲラゲラ笑いながら見ていて、私はそれが居心地良かったです。

●見る者と見られる者の関係

見る者と見られる者の間には、権力関係が生じやすいという話をします。
例えば、私は今オンラインですが、数十人の受講者に向かって話をしています。これは私が講義のお仕事をいただいて、皆さんの前で長々と(偉そうに?)話をし続けられる「特権的な立場」に偶々あるからです。しかし受講者たちが「話がつまらない!」等の理由で怒り出したら?一斉に音を立てて授業を妨害し、私を脅かして追い出すことだって可能かも。二者の関係は、非常に不安定です。
演劇やダンスの演者と観客も似たようなものです。一段高い舞台の上で、観客にきらびやかな姿を見せ、観客を魅了するダンサーたちは、次の瞬間、一斉にブーイングを浴び、卵を投げつけられる可能性もある!
また、何十年か何百年も昔の時代に遡って考えると、当時の劇場の観客であった王族や貴族は舞台のスポンサーでもあります。彼らは観劇した後に、芸を披露した芸者や歌舞伎役者、バレエダンサーと幕が閉じた後に、パトロンと愛人の関係を結ぶ、といったことをしばしば行ってきました。(今でもそんなことしてる人は多いです。)
最近も不幸な事件(「テラスハウス」出演者の誹謗中傷事件)がありましたが、現代のショービジネス、芸能界に生きる人々がしばしば危険な状況に直面するのは、「見る者と見られる者」の関係そのものが権力と結びつきやすい構造ゆえかもしれません。両者が対等になれる道はあるのでしょうか?

「UNTIL OUR HEART STOP」で、パフォーマーが客席に乱入して、観客と交流するシーンがあります。(ビデオは音声が聞き取りづらいんですけど)バースデーソングを観客に歌わせて、ケーキをその辺の観客に適当に渡し、「名前はなに?誕生日おめでとう、フー!(別に誕生日じゃないのに)」なんていうシーンがあったりして、面白い。観客も大盛り上がりでした。
後半2時間ぐらいの所、「誰か、私のアパートに今夜来たい人いる?」と呼びかけるシーンが私は好きです。ノリよく挙手をする観客に対し、「うちのトイレ壊れてるから直して!」と叫びます。そして「私たち全員とベルリン中のクラブに行こう。バーに行って店のお酒全部混ぜて変なカクテル作って飲んじゃおう。朝日が出るまで飲んだら道でめちゃくちゃに吐いてみんなで臭くなって、その後あなたの家に行っていい? 銀行のカードの預金全部おろして、ちょうだい! 国境を超えてポーランド行こう、ロシアに行こう!」等々、夢を語ります。

考えてみれば、観客と演者って、変な関係です。演者は舞台で日常では見せないほど感情を露わにし、裸を晒しさえするのに、両者は知り合いでも何でもありません。江本純子さんも言っていましたが、「舞台の外の日常と舞台上の非日常」という分断がある。子供じみた「夢想」かもだけど、私も、自分が舞台に出ている時や観客として見ている時、この場の全員で友達になったって良いのにねと思うことがあります。もちろん俳優とストーカーじみたファンの関係ではなく、対等な成熟した人間同士としてです。

2時間強も汗だくになって、'UNTIL OUR HEART STOP'「私たちの心臓が止まるまで」、踊り続けるダンサーたち。ベルリン公演のカーテンコールの際、私は演者たちにまるで長年の友人のような強い親しみを抱きました。演者たちがありったけのパワーで観客との垣根を壊し、分断を取り払って距離を縮めてくれたと感じたのでした。

ここに上げたポイント以外にも、ものすごくいろんなことが行われています。見て、新たに発見したことがあったらレポートに書いて教えてください!

課題
「UNTIL OUR HEARTS STOP (2015)」
Meg Stuart/Damaged Goods & Münchner Kammerspiele 
choreography Meg Stuart
created with and performed by Neil Callaghan, Jared Gradinger, Leyla Postalcioglu, Maria F.
Scaroni, Claire Vivianne Sobottke, Kristof Van Boven
live music Samuel Halscheidt, Marc Lohr, Stefan Rusconi
creation original music Paul Lemp, Marc Lohr, Stefan Rusconi
https://www.youtube.com/watch?v=GIYRbc2SxB8
(期間限定で借りたので、noteではトレーラーのみです)


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