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「心の反応」を無くす思考法②

「心の反応」
イライラ…モヤモヤ…する。
悩みや、怒り、不安や満たされなさ…
頭の中でグルグル考えてしまって、眠れない…
そんな「心の反応」を原始仏教・釈迦の思考法が
どうアプローチにしているのか?を、
私理解で書いていくシリーズ。
 


前回は「心の反応」を無くすため4つのステップ…

・ステップ① 苦諦(くたい)「苦」の理解、認識
・ステップ② 集諦(しったい)「苦」の原因の解明
・ステップ③ 滅諦(めったい) 「苦」の原因を滅した状態
・ステップ④ 道諦(どうたい)「苦」から自由になるための実践法

その大枠と、その土台となる仏教の根本理論である「因縁果」について説明した。


ここからは、釈迦の思考法4つのステップへと書き進めていくのだが、土台があってからの4つのステップがより理解しやすくので是非①を読んでいない方は、①を読んでから②を読み進めて欲しいと思う。


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・ステップ① 苦諦(くたい)
「苦」の理解と認識



苦諦…全てが「苦」である。
「一切皆苦」(いっさいかいく)

のっけから重たいのきた…と思わずにw


救われるなら、もうちょい明るい感じのステップ①
の方がいんじゃないか?と、思う気持ちもあるけれどw 


そもそも、救われる。という、
宗教的な考えをしていないのが、原始仏教である。


「他力」ではないということ。


何かを信じる、何かを祀る、唱えれば…
そんな他力的な教えではなくて、
あくまでも「自力」を促すように原始仏教は、説かれている。
その為にステップ①では、
まずしっかり自分の現実を見て、把握しましょう。
と言っている。



さて、全ては苦である。と聞いて…
いゃ!全部じゃないでしょ。幸せなことだってある!
と、そんな思いも湧いてくる。
私も、もちろん幸せだと感じることや時間はある。
この「苦」という言葉には「不完全」 「満たされない」
そんな意味もある。
むしろ、こっちの方が近い言葉に当たるかもしれない。


幸せだ。と思うことを否定しているわけではない、けれど…
私たちは、思い通りにしたい。満たされたいという思い、
そんな「求める心」 が無くなることはない。


もちろん、全てが思い通りになるわけもなく、完全に満たされた状態にはならない。
それらを苦とし、釈迦は、更にその苦を分類し、こんな言葉で表現している。


「四苦八苦」(しくはっく) 


きっと、誰しも四文字熟語で書かされた記憶があるだろう。この言葉は元々は仏教用語。
文字通り、8つの苦がある。とした。


・生苦…生きていくことへの苦
・老苦…おいていくことへの苦
・病苦…病気になることへの
・死苦…死ぬことへの苦

の4つの根本的な苦。
これに、更に4つが加わる。


・愛する人と別れないといけない苦。愛別離苦(あいべつりく)
・恨み、憎む人と出会わないといけない苦。怨憎会苦(おんぞうえく)
・欲しいもの求めるものや状態が得られないという苦。求不得苦(ぐふとくく)
・身体と心が思い通りにならないという苦。五蘊盛苦(ごうんじょうく)


漢字は二の次で良いので、意味の方を見ると、
誰しもが経験するであろう、そして避けようのない「苦」だ。

それらがあるという事をしっかり「認識」しましょう、
と釈迦は言う。


人は、嫌なことは避けたくなる。
見ないよう、考えないようにしたくなる。
「心が反応」した時に何かで他の事で、紛らわそうとする。

そうではなく、


「あるものがある」 と認識する。


それら「苦」と感じたことが良い、悪いの話しではなく、
あるものをあると…
何故ならばその「苦」を「認識」しなければ、
解決へのスタートラインに立てないからだ。


全てが苦である。
その言葉だけにフォーカスをすると、
何かなぁ…と抵抗が起きるけれど、
誰しもに当たり前に起きる苦…
どう足掻いても、流れに逆らおうとしても、
極々普通に起きることなのに、人はそれらの「苦」に翻弄される。
空気のように当たり前になったら「認識」すらされにくくなるはずなのに、私たちの「心の反応」は止むことがない。


そもそも、心は求めだかり。それを知ることで、
そうなんだから、しょうがないかw
と、心に余裕ができることもある。

でも、そもそもそういうもの。なんだから、しょうがない…では、済まない時もある。
そんな時こそ「心の反応」を避けることでも、紛らわす事でもなく、まずは、しっかり「認識」することから始める…
苦諦、一切皆苦を理解する第1歩は、
「心の反応」をちゃんと「認識」することから始まるんじゃないか?と思う。


そして、不思議なことに、
「あるものをある」と認識すると、
「心の反応」は止まる。もちろん、また発動するのだけれどw

だから「心の反応」が起きた時に、
あ、自分は今、イライラしてるな。モヤモヤがあるな。
ムカついてるんだな。と…
あの人があー言った、こんな事された!と、
外に目を向けるのではなく、私の心に目を向けて
今起きている「心の反応」を認識する。


1つ注意点は「受け入れましょう」
ではないというところ。

呪文のように「良いも悪いも全てを受け入れましょう」
という人がいるけれど、ココで言う認識は、
そんなことではないw

シンプルに「あるものを、ある」と認識する。

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