必要じゃないから学校で教えてくれるのだ

素晴らしいことだ!と大声で言いたくなった。

というのも最近よく聞く、
「こういうことを学校で教えて欲しかったよね。」
という意見。
これを聞いたのは、お金の勉強をしてた時のことだった。

税金とか、確定申告とか、いろんな保険やらなんやら。めちゃくちゃ大変。
世の中の仕組みって複雑で、生命保険、株式投資、法人になると個人とどう違う???とか。

たしかに義務教育なんかで教えてもらえてたら楽だろうなって思う。ぼーっとしてたら損するし、大変な請求が来たりするしね。

ただ私は思う。
そうじゃないって。

というのも以前、
美大を目指して浪人してた頃のことだ。
当時、浪人生でありながらアルバイトして学費と画材費を稼いでいた。
そこでバイトの同僚のおばちゃんに
「美大行ってどうするの?就職出来るの?仕事あるの?」と聞かれた。
これは美大に関わる人にはよくある質問で辟易していたので、
「あ、デザイン会社とか、ゲーム会社とか、、」と適当に返していたところ、
別のおばちゃんに
「学校っていうのは学びに行くところ。就職のステップじゃなくてもいい。学びを得に行くところなんだから。」
と、かばってくれる発言をしてくれた。

正直驚いた。
当時10代の私にも青天の霹靂だった。

学校は純粋にその分野の勉学をしに行くところ。

青天の霹靂とともに、嬉しかった。
この言葉はずっと覚えている。

以前TVで、林修先生が言っていた、
「勉強は贅沢」
という言葉。それが今回引っかかった。
勉強は贅沢品。
お金も時間もかかる。やりたくない人がやるものではない。と、意見されていた。

その贅沢品を、過去の偉人賢人は誰にでも受けられるように整備手配してくれたのではないか。
きっと生活に必要なものだけを義務教育で教えていては教養の範囲は狭まるのではないか。
そう考えると、たくさんの科目や生活に必要のない実験、それってとてもとても贅沢。

生活に必要なものは家庭なり、集団生活なり、自分が生きていく中で必要なんだから学び取れる。だからこそ、必要の外枠の教育を施してもらえる贅沢が現代の私たちにあるんだろうな。

なので、
冒頭にある愚痴を言ってしまう人々は、
学びたいなら学びに行けばいいのでは?
お金を扱ったり、生活や終身に関わる資格や勉強は沢山ある。そしてその気になれば大抵の人は学ぶことができる。

多分、冒頭のコメントを言ってしまった人は、

「こういうことを学校で教えて(くれてたら楽だったから、教えて)欲しかったよね。」

って意味なんだよね。
自分の怠惰をシステムのせいにすべきじゃない。
私も以前同じ意見だった。
楽したかったし、簡単に生きていきたい。
ただ、教育の素晴らしさ、
明治維新前後の方々の努力を見るとありがとうと拍手したい。
この件は自分への戒めとなりました。
安全に勉学できる、
この時代に生まれてよかった。

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