見出し画像

5歳の娘の成長ぶりに驚きと感動、誇らしさを感じた一日

4歳までは子どもだった。
5歳はもう大人レベル1だ。

4歳までは、自分の気持ちを出すことが正義だった。親のすることをことごとく真似た。口調や身振り手振りコミュニケーションの取り方まで。子は親の鏡、そのとおりの行動をとった。子どもの悪しき姿を見て、あれはわたしのやり口か?と我に帰って恥ずかしくなるくらいに、わが子は見ている。わたしや夫を真似た。

5歳は、他人を認識して、他人とどう関わるかを考えて動くことができるようになった。まだ広いとはいえない子どもの社会、本や保育園、親の行動、友達とのかかわりなどから、自分なりの答えを持つようになった。母や父のマナーを注意したり、人を見て、それがよいかよくないかを考え判断できるようになった。

まわるジャングルジムの遊具の公園に行きたい。

昨日は保育園はおやすみで子どもと一緒にいちにち遊んだ。
丸いジャングルジムがまわる遊具で遊びたいと、最近娘が言っていたので、その遊具がある公園に遊びに行った。

少しだけクッションの効いた小さなお山の遊具は、ツルツルすべるし、体の使い方が幼かった4歳の頃は、持て余していたのに。
ここに来るのは、半年か1年ぶりくらいか?それだけあれば、背も体重も筋力も感覚もふえる、向上するのが子ども。

なんだかあっけないくらい、ぴょんぴょん飛び越え、わざと飛び込み腹すべりをして大笑いしている。本人もなんかこの遊具小さくなった?なんて言っている。

グルグルまわる遊具も少し回してスピードが速くなるとこわいと言ってたのに、母の力の限りまわしても、全然平気顔。
わたしの力の限りと言っても重い遊具、たいして速くは回せないし、長い時間も無理なんだが。

どんどん成長していく。ほんとにお姉さんになったな。

小さなお友達のペースに合わせるお姉さんぷり

お昼時に行ったので、人もまばらなその公園には、娘と2歳くらいの小さな子が離れて遊んでいた。小さな子が娘が遊ぶ姿に興味を示して近寄ってきて、「一緒に遊ぼう」と言った。娘は「いいよ。」と言って、その小さな子の反応を待っていた。小さな子は、自分で誘ったものの、ここからどうしていいかわからないと言った感じで、少しはにかんでモジモジしていた。

以前の娘なら、「滑り台で遊ぼうよ!」なんて元気に答え、自分だけピューンと滑り台に行って、「おーい、おいでよ!」なんて言って、小さな子は一生懸命ついていくものの、置いてけぼり、っていう感じだった。

でも、今日の娘はもうあの頃とは別人だった。

娘はモジモジする子の反応を少し待ってから「滑り台する?」と聞き、また反応を待つ。同意した小さな子が、滑り台に行ったのに後ろからゆっくりついて行って、一緒に階段を登った。高さの違う滑り台が並行に並んでいて、低い方を小さな子、高い方を娘が滑った。

滑るとまた、小さな子の行く方について行って同調して遊ぶ。小さな子は、遊具をコロコロ変えるのに娘はついていく。また滑り台に戻ると、小さな子は、お姉さんの真似をして高い方の滑り台を滑りたがった。娘と一緒に高い方の滑り台に上がるが、滑る前になって怖くなったのか、降りてこない。すると、娘が何か小さな子に話している。娘は座り、お膝をぽんぽんしている。どうやら2人の様子から、娘が小さな子を膝に乗せて滑ろうとしているようだ。

どうするのか、小さな子のお母さんと見守っていると、小さな子が娘の説明を理解したのか、娘の膝に乗った。2人で滑っておりてきた。

なんてことだろう。私は感動の二文字しか浮かばなかった。尊敬する、娘を。
5歳ってこんなに大人なのか。私は5歳の頃こんなことしていただろうか。
5歳ってもう、立派な人間だ。そう、思った。人間レベル1。

子どもは純粋だ。白と黒がはっきりしている。大人になると白と黒はなくなり、グレーの中で生き続ける。子どもはまだグレーを知らない。だから人間レベル1。大人レベル1。でもいい。5歳の娘は子どもなんだけど、子どもではない。ひとりのちゃんとした人格を持つひとりの女性になった。

相手が驚かないように、心地いいように動いて、楽しめるように動いてあげる。
そんなことを公園内で私はひと言も発していない。ただ見守っていただけ。
子どもを育てていて、感動するのはこんな時。

絶対に何かしら記録して残そうと思った今日の出来事。
帰って夫にも報告したし、娘にも今日の出来事が素晴らしかったと手放しで誉めた。褒めちぎった。お姉さんぶりが素敵だったねと言った。娘は嬉しそうに「うん」と笑った。

この記事が参加している募集

#子どもの成長記録

31,487件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?