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「声のする方へ」第一話


「す、好きですっ……俺と、付き合ってくださいっ」

 地元ではちょっと有名な、大きな桜の木。少し高台にあるその立派な木の下で、彼は真っ赤な顔をして立っていた。

 満開に咲き誇った桜の花びらがひらひら舞う中、あたしはじっと彼を見つめていた。

「……はい」

 やっと口から出た言葉は弱々しく、彼の耳に届いたか不安になる。

 そんな心配をよそに、彼はゆっくりと笑みを携えながら顔を上げた。

「……ほんと、に?」

 彼と目が合い、あたしはこくこくとうなずくことしかできなかった。

 あたしの好きな、彼のニカッとした笑顔がそこにあった。

「よかったー」

 胸をなでおろした彼は、あたしの隣にやってきた。今までは平気だったこの距離が、今は少しくすぐったい。

「引っ越しちゃうんだよね、もう」

 あたしの隣で彼は空を見上げながら寂しそうに言った。

「うん……電車で一時間くらい、かな」

 中学の同級生の彼とは、卒業式以来に会った。中学一年のときに同じクラスになって、席が近くなったことをきっかけに好きになった。

 二年生に上がる頃には、小さな学校だったのもあってか、あたしと彼は告白こそしていないものの公認カップルのような扱いになっていた。

 このまま高校も地元で、みんなと同じ学校に通うのだと思っていたのだけど、急に父の転勤が決まり、大きな市への引っ越しが決まった。

 それに伴い、あたしの高校もそちらに変更することになった。電車で一時間とはいえ、そう頻繁には会えなくなる。

「だから、ちゃんと告白しようって思ったんだ」

 彼はそう言って笑った。

 もしあたしの引っ越しがなければ、同じ高校に通いながらも告白がないまま、友達以上恋人未満みたいな関係が続いていたかもしれない。

 それを思えば、引っ越しも悪くないねと彼は言ってくれた。

「……ありがとう」

 あたしの言葉に、彼は照れたように頬をかいた。

 その告白から一週間後、あたしはみんなとの別れのために駅にいた。荷物は先ほど業者が新しい家へと運んで行った。

 駅からは、あの大きな桜の木が見える。手には、あの日彼からもらったお守りが握られていた。地元の神社で売っている、二つで一つになるお守り。カップルで持つといつまでも仲良くいられるという噂のある、よくあるお守り。

「元気でね……また、遊びにきてね」

「うちらも行くから、案内してよね」

 友達が何人か見送りにきてくれて、あたしは少し泣きそうになる。

「よかった、間に合った」

 後ろから彼が息を切らしながらやってきた。告白のことを知ってる友達がすっとその場を離れた。

「やっと買ってもらえたから」

 言いながら彼は一枚の紙切れを差し出した。

「俺の、スマホの番号。あとで連絡して」

「あ、ありがとう。あたしもね、向こう行ったら買ってもらえるの」

「そうなんだ。じゃあ、それまで家族のも登録しないで待っとくよ」

 あたしが少し不思議そうな顔をすると、彼は少し顔を近づけて言った。

「一番最初の登録にしたいから、さ」

 友達がきゃーと言いながら顔を覆うので、彼もあたしも急に恥ずかしくなる。

「じゃあ、がんばってな」

「……うん、ありがと」

 電車に乗り込み、窓を開けてみんなに手を振る。

「バイバイ」

「またね」

 友達がそう言うのに対して、彼は笑顔で大きく手を振りながら言った。

「いってらっしゃい」

 だから私も笑顔で返した。

「いってきます」

 バタバタと引っ越し作業を終え、入学式前日にようやくスマホを手に入れたあたしはさっそく彼に連絡をした。一分も経たず返ってきた言葉に、あたしは思わずニヤけてしまった。

 そうして新しい学校生活が始まって、地元とは違う規模の大きさに戸惑ったりもしたけれど、なんとか友達もできて、楽しくやっていた。

 彼ともスマホで毎日連絡を取り合い、お互いいろんな写真を送りあったりもした。

 時々電話をして、テスト期間中はお互い励ましあって、夏休みに久しぶりに帰ったときは驚いた。

 彼の身長がぐんと伸びていたから。同じくらいのところにあった視線が、あたしは見上げなくてはいけなくなった。

 大きな手に包まれながら、あたしは慣れない浴衣を着て、必死に彼の後を追った。地元では毎年行われる夏祭りで、夜には花火もあがる。彼は誰に聞いたのか、花火の見える穴場に連れて行ってくれた。静かで、周りには誰もいない。久しぶりの再会でもあったし、身長が伸びて大人っぽくなった彼にあたしはどきどきしていた。

「元気そうでよかった」

 隣に座る彼がぽつりと言った。

「それは、あたしも一緒」

「やっぱ、会えるっていいね。ちゃんと顔見て話せると、安心する」

「うん、そうだ、ね……」

 彼はあたしをじっと見ていた。

「ちょっと、不安もあったんだ。あっちは人も多いだろうし、俺のこと、忘れないかなって」

「……忘れないよ」

 あたしはスマホを取り出した。そこには、あの日彼からもらったお守りがついている。

「スマホにこんなのつける人なんて、いないんだけどね」

 それでも、毎日手にするものだからと、あたしはここにつけていた。

 彼は照れたように笑って、自分のスマホを取り出した。

「まさか、一緒とはね」

 彼のスマホにも、それがついていた。嬉しくて、あたしは彼のそれを手に取った。

 彼のは円の真ん中に穴があいていて、あたしのはそこにはまる大きさの丸。ひとつひとつ柄が違うので、ぴったりはまるのはそれだけ。あたしと彼のをぱちっとはめると、その手を彼の大きな手で包み込まれた。そして彼の顔が近づいてきて、あたしは初めて、彼とキスをした。視界の端に、花火があがったのがわかった。

 夏が終わる頃、あたしも彼もバイトを始めた。最低でも月に一度会えるようにと思ってのことだった。連絡の頻度は少し減ってしまったけれど、今月は彼がこっちにきてくれた。来月はあたしが向こうへ帰る。そうやって月に一度、顔を合わせて、手をつなぎながら、お互いのことを話した。クリスマスにはプレゼント交換をして、大みそかには年をまたぎながら電話をした。初詣はあたしが帰って一緒に神社へ行った。久しぶりに同級生にも何人か会った。

 三月のあたしの誕生日には、バイトで貯めたお金で桜の花びらのネックレスをくれた。とても華奢でかわいくて、小さな箱にしまわれたそれを取り出しては、毎日ニヤニヤしながら眺めていた。

 五月の彼の誕生日にはなにをあげようか、最近あたしはそればかり考えていた。去年は学校生活が忙しく、電話でおめでとうは言ったけれど、なにもしてあげられなかった。その分今年はがんばろうと、いろいろリサーチした。高校では部活をがんばっていると友達から聞いたので、それ関係にしようか。それとも身に着けられるものにしようか。ひとりで男性ファッションのお店に何度も入っては、これ似合いそうだな、着てくれるかなと想像しながら探したりもした。

 わくわくしながらまたあの桜の木の下で会えることを楽しみにしていた。あたしたちは、高校二年生になっていた。


「……嘘、でしょ」

 あたしはその場に似つかわしくないかわいいワンピースを着て、初めて彼の家にきていた。黒い服の人がたくさんいて、みんな沈んだ表情をしている。

 彼の家には白黒の幕と大きな提灯が飾ってある。スマホを握りしめて立ち尽くすあたしを横目で見ながら、みんなが静かに中に入っていく。

「……大丈夫?」

 中学の同級生が見かねて声をかけてくれた。あたしの体は小さく震えていた。

「事故、だってね。相手は飲酒運転で……」

 同級生はあたしの背中をさすりながら、彼の死んだ状況を詳しく話していたけれど、耳には入らなかった。

「きて、くれたのね……わざわざ、ありがとう」

 中から黒い着物で見覚えのある人がやってきた。彼の、母親。泣きはらしているのか、目が赤い。

「仲良くしてくれてたのよね? 聞いてるわ……さ、こっちへ」

「あ、あの……こんな格好で」

 絞り出した声が震えていた。彼の母親はぶんぶんと顔を横に振る。

「いいのよ……突然のことで、連絡が遅くなって、ごめんね」

 久しぶりに同級生から連絡がきたと思ったら、彼が亡くなって葬儀が始まるからって、あたしは慌てて電車に飛び乗ったのだ。

 同級生が動かないあたしの手を引いて、家の中へと連れられる。好きだった彼の笑顔がそこにある。あたしがやってきたことで、さらにその場が暗く沈んだ気がする。

「最期のあいさつ……してあげて」

 彼の母親は、言い終えると同時に涙をこぼした。つられて周りも泣きだすが、あたしは実感がなさすぎて、まだ泣けないでいる。冷たいと思われるだろうか。まだ混乱していると思われているのか。

 スマホにつながっている、あのお守りを今更ながら握りしめる。夢なんじゃないか。そうだよね、これは盛大なドッキリだ。それにしては手が込んでいるし、質が悪いけど。

 隣の同級生の顔を見ると、唇を噛み締めて泣くのを我慢している。あたしと目が合って、首を横に振る。あたしの手を握る同級生の手にだんだんと力がこもっていき、その痛みで夢じゃなく現実なんだと知らされる。

「嘘、だぁ」

 つぶやいた言葉に、同級生の手から力が抜ける。それに乗じてあたしは家の外まで走った。涙なんか出ない。だって嘘だもん。悪い夢だもん。

 玄関を飛び出たところで、勢いあまって転んでしまった。少し周りがざわつくが、あたしはしばらく立ち上がれずにいた。

 そのとき、目の前にすっと手が差し出された。なんとなく、見覚えのある大きな手。顔を上げると、そこにはなぜか彼がいた。


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