マリア・フルコバ先生を訪ねて
チェコのカレル大学教育学部美術教育分野のマリア・フルコバ先生の講演を拝聴致しました。
会場は兵庫教育大学附属図書館のセミナーエリアでした。昨年度より兵庫教育大学とカレル大学が姉妹校となり交換留学や海外から講師を招くなど、今後も盛んに国際交流が成されるとのことです。
ゆったりとした空間の中マリア先生のおだやかで優しい語りが心地よく、その語りにチェコの子ども達の笑顔と創作活動風景が重なって、温かな時間が流れました。
私がどうしてもマリア先生に会いたかった理由。それは美術教育に従事するきっかけとなった28年前の阪神淡路大震災にさかのぼります。
震災直後、67の国々が経済的な、或いは物質的な復興支援をしてくれました。私たちの国がこれほど多くの国々に愛されて復興に至っていった、という事実を知り、涙が溢れました。
そのうち6つの国(チェコ、セルビア、ハンガリー、ポーランド、オーストリア、ロシア)が震災被災児童を自国に招待してくれたのでした。
国際市民ネットワーク(NGO)を介して集められた被災児童が、それぞれの国に招待を受け、
現地の子どもたちとの交流の中で、ホストファミリーの愛に触れて笑顔を取り戻していきました。
当時9歳だった私はセルビア(旧ユーゴスラビア)に招待され、帰国後もずっと交流が続き、
セルビアが第2の祖国となっていきました。
私自身チェコを訪れたことはないのですが、
どこかセルビアと同じような故郷の香りを感じたのでした。
震災当時、チェコ政府は神戸の被災児童を招いてくれたのでした。
〝セルビアの人々と同じスピリットで接してくださったチェコの人々に感謝の気持ちを伝えたい。〟
そして、セルビアのお母さんに会いに行くような懐かしい気持ちでマリア先生を訪ねたのでした。
講演後の会食では、マリア先生と震災直後の国交についても分かち合うことが出来ました。
【チェコの人々の痛み。虐げられた歴史。】
第1次世界大戦後、チェコにドイツ、ユダヤという特別な地域、特別な文化が交差していきます。3つの文化がミックスされた代表的な作品が兵庫教育大学の図書館エントランスにも飾られているフランツ・カフカの小説です。
社会主義国から民主主義国になった国という点において、歴史的背景は最も日本と異なる点と言えます。
オスマントルコにより600年続いた支配。1938年からのナチの浸透。(マリア先生のご両親の世代)
1960年代には東京オリンピックが開催されるなど政治的な回復と世界的自由が感じられました。しかし、ロシア軍がチェコを占領した事でこの動きは完全にストップされてしまいます。
長年の支配。
ヨーロッパの西側からの裏切り。
一筋の光が差し込んだとしても、
また暗闇に包まれる。
何度も何度も虐げられ、自由と尊厳が奪われてきました。戦争はそのようにしてチェコの人々の心に傷を残していきました。
【心の傷を糧にして】
マリア先生は言います。
「アートはただ、ロマンチックで美しいものを求めるのではない。この感情を経てその先を行くものです。美術教育は軍の関心ごとから遠ざからなければなりません。私はそれをいつも学生達に言うのです。」
と。
Ardo。馬に乗った守護聖人ヴァーツラフ1世の像を例に出され、政治に対する批判的な作品に対してどう思うかと問われました。
「We call this 〝visual literacy 〟.」
私たちは情報を発信する時、どのようなメッセージを作品に込めるのか。視覚的背景にあるものは不安定ですが、継続していくことに意味があるのだと語られました。
【アートベースの研究】
〝thinking through art〟 をカレル大学では大切にされています。アートをベースとした研究の分析。これをすることにより学生達はプレゼンテーションの成果を上げてきました。
アートな方法論で説明をする。この方法論が考えるartとはこうです↓
A-rtist
R-researchers
T-teacher
つまり、artist のA 。これだけでは美術教育は不充分ということ。
図工美術の、先生方が定期的に集まって教材研究することの意味を改めて考えさせられるお話でした。
【ビジュアルメソッド-行為を分析する-】
次に、川に設置された作品が掲示されました。
ただ川面に浮かび、並べられた木々や葉っぱ。小石。
それは大学の先生がdrawingしたものを学生がsketch し、自分達のアイデアをdeveloping 、改良していくという工程を経た作品です。
作品は季節が巡るうちに形を変え、動物たちや天候によってやがて消滅していきます。これは作品としてではなく、アーティストの身振り手振りが分析されていると言えます。
環境アートと捉えられがちですが、焦点は人々のリアクションに当てられています。
今何が起きているか。
どうしてこう表現したのか。
そういった見方、考え方が〝子どもたちの表現の中に垣間見える身振り手振り〟の意味を理解する糸口になるなと感じました。
【ラダミュージアムでの取り組み】
Radaラダはチェコを代表するセラミックアーティストです。
ラダの作品は子どもたちのイマジネーションや考えにとても近く、そんなラダの作品を鑑賞するする子どもたちの反応は俊敏で完璧です。
マリア先生はカレル大学の学生を連れてここを訪れる時、このような言葉をかけられます。
「they are free thinker than the teachers」
「子どもは先生たちよりも自由な考えを持っている。だからこそラダのアートワークを理解できるのです。」
と。
ラダミュージアムでは、子どもたちに大人が敬意をはらい、彼らの個性を最大限に引き出す鑑賞スタイルが成されています。
館内には4つのアクティブゾーンがあります。
【展示について】
例えば展示スペースは学芸員が作り上げるのではなく、カレル大学の学生達と地元の幼稚園児たちが協力して展示します。学生達がこの活動に参加する理由は
Teachers researchers(よく研究する先生)を目指して行くためです。
教育的な技術と責任が高く求められる活動ですが、学生達が主体的に動くからこそ、子どもたちとのコミュニケーションを繋いでいくことができるのです。
「大学の講義を受けることより重要なことです。学生達にとっては座って授業を受ける方が楽ですものね。」
マリア先生はこの教育プログラムの話の中で〝recording communication 〟
「コミュニケーションを記録する」という言葉を何度も使われていました。
【活動について】
ラダミュージアムではexhibition とworkshop のスペースが分けられていません。子ども達の多感覚を最大限に引き出すために、ラダ自身が大学側にこう提案したそうです。
「子どもたちにどんな活動をしてもらいたいですか?ヒルトンホテルのロビーにある僕のオリジナルロボットを触って遊んでみてはどうだろう?」
と。
ちいさな子どもたちがラダのセラミックロボットに実際に触れて遊んでいる姿が映しだされました。どの写真を見ても大人の目線からはヒヤッとする状況でしたが、
彼はこう答えたそうです。
「子どもたちは自然なユーザーです。フォークやスプーンを使うように、この活動に自然に親しんでほしい。それが認知的な発達にはとても大切なのです。」
と。
その他、子どもたちがギャラリーの広間で高く積み上がった座布団を並べて遊ぶ様子や、庭で土粘土を触る様子も映しだされました。
マリア先生が優しく解説してくださいました。
「どれも一見ただ遊んでいるように見えますが、子どもたちがどのように空間を使うのか、また、土を触りながら〝ビジュアルを通した子どもたちの言葉〟を一緒に探索しているのですよ。子どもたちの活動がコネクトしたりしなかったり、変化していくことが大切なのです。〝connecting and disconnecting 〟 どの活動も子どもたちの発達に大きく関わるものなのです。大人たちはいつも〝我々は間違っていないかな〟と心配ばかりします。〝子どもは抽象的なことなんて理解できないのでは?〟という意見が上がる時もあります。しかしそんなことはありません。」
【チームワークこそ子どもたちの心を育てる糧】
講演の結びの言葉としてマリア先生はこのように諭されました。
「教育者、学校、学芸員、学生達がチームとなって、また子どもを通して家族ごと美術教育に含んでいく。それが平和な社会を創りだしていくと考えます。」
フランツ・カフカ、ダヴィッド・ツェルニーの作品がごく自然にプラハの街に染まっている。
全ての人々の心と生活にアートが自然に根付いている。
それは長く戦争によって虐げられた歴史があるからこそ、
人々から表現する喜びが奪われてきたからこそ、
アートが生きる喜びそのものであることを国民が理解している。
アートこそ子どもたちの心の教育であり、生きる力だということをマリア先生の言葉一つひとつから強く感じることができました。
マリア先生本当にありがとうございました!
✨✨✨Dekuji moc✨✨✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?