見出し画像

【選挙ウォッチャー】 安芸高田市長のウンコ投げ問題に物を申す。

 先日、みんなが期待していた安芸高田市の石丸伸二市長が、よりによって中国新聞とケンカをしているのを知りまして、これを僕のところでは「ウンコを投げている」と言うのですが、思わず「何をしてるんや!」と思いまして、このたび「正しいウンコの投げ方」をレクチャーしたいと思い、特別にレポートを書くことにしました。
 皆さんもご存知の通り、石丸伸二市長は京大卒、三菱UFJ銀行で世界に数人しかいない金融アナリストとして活躍された人物です。いわばエリート中のエリートであり、そんな人物が安芸高田市の市長になってくれたのだから、これは劇的に変わるに違いないと思いました。ところが、どれだけ勉強ができても、どれだけ世界経済の分析が素晴らしかったとしても、ウンコの投げ方に失敗する奴はプロジェクトにも失敗します。
 石丸伸二市長は、市議会の議場で大いびきをかいて居眠りしていたジジィの市議をTwitterで糾弾するなど、最初は良い感じにウンコを投げていた印象です。僕はこういうジジィにウンコを投げることも大切だと思うので、「いいぞ、もっとやれ!」のテンションで見守っていました。でも、だんだんと投げてはいけない方向にウンコを投げ始め、気づいたら中国新聞に向かってウンコを投げていたので、「うおぉぉぉい、何しとんねーん!」となりました。そんなところにウンコを投げた日には、いつか自分がバキュームカーいっぱいのウンコを浴びることになります。今すぐ中国新聞にウンコを投げてしまったことをお詫びをして、頭を丸坊主にするべきです。


■ 器の小ささを見せることこそプロの技

 僕が逆立ちしても勝てないと思う政治系のジャーナリストに、田中龍作というオジサンと、横田一というオジサンがいます。それぞれタイプが異なるので、どちらを目指すというわけでもありませんが、謙虚に言っているのではなく、割と素直に足元にも及んでいないと思っています。なので、「修行するぞ!」と言いながら、座禅を組んでピョンピョン跳ねているところなんですが、横田一さんは「希望の党」の記者会見で、小池百合子さんから「排除いたします」という発言を引き出したことでも知られています。日頃から鋭い質問をするため、「小池百合子の天敵」と言われていましたが、当時は希望の党が波に乗りまくっていたため、気持ちが大きくなったのか、「オマエにも質問のチャンスを与えたるわい!」と横田一さんに質問の機会を与えたところ、「前原誠司は民進党の全員合流を主張しているけど、主義主張の合わない人間も排除しないということなのか」と聞かれ、まんまと「排除いたします」と答えてしまったのでした。
 こうやって政治家の本音や底意地の悪さを引き出し、世の中に伝えることもジャーナリストの仕事であり、どこかホゲホゲしているように見える横田一さんの質問に、まわりの記者から「何を質問してるんだよ」みたいな感じで笑いが起こることもあるんですが、そうかと思えば、うっかり「排除いたします」と答えてしまうので、とんでもないことになるのです。
 僕が思うに「ジャーナリスト」というのは、一流の人ほど一流に見えません。そして、石丸伸二市長は今、ザコだと思っているのか知りませんけれども、中国新聞の担当記者を名指しして「態度が失礼だ!」とか言って、まるで記事が偏っているみたいな感じでガタガタ言うています。しかし、もしかして、その記者は一流なのではないでしょうか。そうだとすると、これこそすべて中国新聞の術中にハマっているとしか言いようがありません。

顔を見せないように運転席側だけを見続ける多摩市議補選の石山弘明さん

 一例をご紹介しましょう。これは多摩市議補選のレポートです。
 この候補は、政治とズブズブの関係にあると言われる病院の院長秘書をしていて、地元の人の話では「地上げみたいなことにも関わっている」という噂でした。真相を確かめるためにも本人に話を聞かないといけませんが、候補者に「写真を撮らせてほしい」とお願いをしたら、裏口から逃げ出し、頑なに顔を見せることを拒否してきました。
 おそらく本人は「顔を撮らせないでやったぜ!」と思っているかもしれませんが、取材する側の僕はどう思っていたかと言うと、「顔を撮るより、よっぽど良い写真が撮れたぜ!」で、顔を撮ることが重要なのではなく、その候補者の態度を撮ることの方がよっぽど重要だったというわけです。
 さて、石丸伸二市長は今、中国新聞の記者に「態度が失礼だ!」と発狂していますが、たかが失礼な態度でこれだけ発狂してくれれば、フォーカスしたい部分が「市議との揉め事」ではなく「市長の人間性」だとすると、目的は達成です。ぶっちゃけた話、政治は「政策」より「人間性」の方が大事です。どれだけ真っ当な政策を掲げたところで、それを実行するのは人間なので、人間を動かすための「人間性」が何よりも大事なのです。もし僕が中国新聞の隣に座っていたら、どうしてこんなことで発狂しているのかを知るために、手を挙げて「僕は中国新聞と違って失礼な態度を取るつもりはないので、今日から市長のことを『大先生』とお呼びしますね。ところで、『大先生』は・・・」と煽ってみるところです。その時のリアクションを「まばたき」のひとつまでジーッと観察することでしょう。


■ 「減る」を受け入れるは、アホの仕事

 僕は「選挙ウォッチャー」になった今も、クリエイティブな仕事をしていると思っています。何もないところに文字を書き、それを100円とか200円で売り、お金を稼いでいます。何もないところに新しい価値を生み出すことができる。これが「クリエイティブな仕事」です。なので、もし僕が文字を書かなくなれば、その時は1円も生み出せず、僕の貯金は減ります。
 時に、僕は反社会的カルト集団からスラップ裁判を仕掛けられていますので、赤字になることがよくあります。20万円の収入があっても、支出が25万円あったら赤字です。これを解消する方法は2通り。1つは、支出を20万円以下に抑える。もう1つは、収入を25万円以上に増やすです。
 今の日本は、手っ取り早くできる「コストカット」を選択し、毎日の夕食を「もやし」にしたり、お風呂に入る日を3日に1回にしたり、企業で言うなら、正規社員を非正規に切り替えたり、お金のかかる安全対策を削ったりして、支出を減らそうとします。それで事故ると破産するレベルで大変なことになるんですが、コストカットをすることに何か発展性があるかと言ったら、発展性はありません。だから、最も健全な選択は「収入を増やす」なのです。
 ただ、コストカットは誰にでもできますが、「収入を増やす」というのは誰にでもできることではありません。収入を増やすためには、アイディアが必要不可欠で、みんな、アイディアが出ないから困っているのです。
 安芸高田市には、市内の中学校の統合問題が横たわっています。これまでの石丸伸二市長を見るに、熱心に取り組んでいることが「コストカット」なので、おそらく中学校も「統合」という形になるでしょう。しかし、先程も申し上げた通り、最も健全な選択は「増やす」です。今から子供を産んだところで中学生になるまで12年かかるので、「増やす」という選択肢がないように思えるかもしれませんが、そんなことはありません。統合せざるを得なくなるぐらいに生徒が少ないというのは、逆に「魅力」であるかもしれないからです。

文部科学省「不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(引用元リンク

 日本は今、中学校に馴染めず、不登校になる中学生が24人に1人もいます。不登校になる原因はさまざまですが、多くは子ども同士の人間関係にあるとするなら、もしかして環境が変わることで、再び学校に行く意欲を取り戻せるかもしれません。
 例えば、1ヶ月のトライアルで空き家を無償で貸し出し、自然豊かな安芸高田市を子どもの新天地として選択肢に入れてもらう事業をする。もし、ここで友達ができ、あるいは恋をして、少なくとも数年間にわたって安芸高田市の中学校で過ごそうと思ってもらえるのだとすると、もれなくその親もついてきますから、労働者人口を獲得できます。そして、ここで義務教育を再び受けられるのだとすると、なにも東京大学や京都大学に行くための先進的な教育ではなく、標準的な教育であっても「中学校に行かない」という選択をしようとしていた子どもたちの未来は、ずっと明るいものになるのではないでしょうか。
 これは無限に子供を受け入れる政策ではないので、数人のモニターから始められる事業だと思います。減った分だけ補えればいいと考えれば、下手をすると応募の方が多いかもしれません。子どもと学校の相性もあるかもしれませんから、「お見合い」と同じくらい、うまく行くかどうか分かりませんが、こうした努力もせず、単純に「子供が減ったから学校を統廃合しましょう」という流れになってしまうのは、あまりに無能すぎるのではないでしょうか。全国で約20万人の小中学生が不登校なのですから、これを「チャンス」と呼ぶのは不謹慎ですが、Win-Winの関係です。目をつけないのは、あまりにもったいないと言えるでしょう。

 これは僕の未来の彼女の長澤まさみちゃんがCMでお世話になっているカルピスの子会社の役員から奥州市長になった倉成淳さんが言っていたことなんですが、「人間らしい生活ができる田舎こそ、都内にはない大きな財産である」です。人間が人間らしい暮らしをできなくなってしまうと、心が壊れることもあるかもしれません。素晴らしい自然の中で、人間らしい暮らしができること。ここに価値があることに気づいてもらえれば、奥州市が持っている魅力というのは、とても大きい。おそらく安芸高田市も同じではないでしょうか。
 こんなに議会との関係を拗らせて、メディアとの関係をも拗らせようとしている中で、「サンフレッチェ広島」のツイートをしている場合じゃありません。ちょっとは安芸高田市に住んでみたくなるようなツイートを心がけてはいかがでしょうか。ぶっちゃけた話、圧倒的に仕事ができれば、議会とケンカをしても、メディアとケンカをしても、何をしても許されます。どうして市民を含め、いろんな人から叩かれるようになってしまったのかと言ったら、単純な話、実力が足らんのです。それは非常に高い要求であるかもしれませんが、その非常に高い要求に応えられてこそ、初めて能力が高いと言われるのですから、実力不足を認め、残りの任期をひたすら精進するしかありません。とりあえず、サッカーを見ている時間なんてありません。僕も学生時代はサッカー部でしたが、大好きなサッカーを見なくなってしまったくらい、選挙ウォッチャーというプロジェクトを成功させるために邁進しています。やりましょう!


■ 選挙ウォッチャーの分析&考察

 僕は今、石丸伸二市長が「とてつもない無能」ではないかと思うようになってきました。理由は、「市民が豊かに暮らせる環境を整えることで街を発展させる」という行政の基本を忘れているからです。
 例えば、石丸伸二市長は「LGBTへの配慮がない」という理由で、街が続けてきた婚活事業をいきなり廃止しました。好きになる人が異性とは限らない多様性の時代、生き方も多様であるべきだということで「町の婚活」を廃止したわけですが、廃止をするのが一番無能です。
 もし本当にLGBTへの配慮がないというのであれば、婚活の間口を「LGBTに広げる」というのが正解です。男性同士、あるいは女性同士のマッチングもできるようにすれば、それこそLGBTの幸せを自治体単位で後押ししていることになり、街のアピールにつながります。年頃の男性同士、女性同士がパートナーを見つければ、またまた納税してくれる労働者人口を確保できて、税収を増やせる。もし二人が仕事を求めて東京や大阪に出て行ったとしても、安芸高田市のことは一生忘れないでしょう。一言、「ふるさと納税、よろしくね!」ぐらい言っておけばいいのです。
 マッチングしても、マッチングしなくても、市が負担するイベントの開催費用が同じなのであれば、成果を2倍にすることで、実質的なコストカットにつながります。「異性婚を前提とし、LGBTの方々への配慮も欠いている。今の時代では公共性が損なわれている」という事業廃止の理由も最低です。まるでLGBTのせいで、異性との出会いが潰されているような感じがするじゃありませんか。
 婚活の窓口をLGBTに拡大することに、追加のお金はかかりません。まったくと言っていいほどお金がかからないのに、LGBTの方々にほんの少しの配慮をするだけで、たちまち先進的な取り組みに変わり、街の魅力をアップできる。こんなクソ簡単なアイディアも出せずに、いきなり事業を廃止にしてしまう。これは婚活のために尽力してきたスタッフの努力も踏みにじることなのですから、こんなに無能なことはありません。切る時には泣きながら切らなアカンのです。何も考えずに切ってしまうバカタレのことを人は何って言うのか。それは「維新」です。こういうことをちゃんと指摘できない市議も無能ですが、最初からこれをできない市長も無能です。なーんにもできとらんやないかい! 喝じゃけぇ!!

いつもサポートをいただき、ありがとうございます。サポートいただいたお金は、衆院選の取材の赤字分の補填に使わせていただきます。