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こんなに普通で当たり前のようなことがどんなに幸せかと思える時間が訪れた瞬間。

一昨日、わが家に迷い込んだヤモリの赤ちゃん。体に傷があり息子が保護した。
「今日から仲間だね。」と可愛がっていたのだけど夜から衰弱し、昨日の朝亡くなってしまった。
息子はそれを見て、ガックリ肩を落として学校へ向かった。

息子は高校生になり(中高一貫)、生活もお友達も以前と特に変わらないのだが、周りの子たちが塾で先取りをしているため、進度が早い学校の授業に難なくついていけることに焦りを感じていた。それなら自主的にやればいいのに…と思うのだが、学習方法がわからないなど、とにかく言い訳も多くなっていた。さらに、高一になって間もなく行った担任の先生との面談で志望する大学をきかれたが、全く決まっていない息子はかなり困ったとのこと。
家ではそれらのことを一切考えたくない、という様子で一切机に向かうことがない(今に始まったことではないが…)。
まぁ、私も高校生でそこまで考えていなかったし
息子にとって、なかなか酷である。

どうにかして息子のよさを引き出したい、元気にしたい…息子が考えていることって何だろう?
話した内容から答えを出そうとしても、息子の気持ちが盛り上がることはない。

そんな矢先のヤモリの赤ちゃん。小さな命に喜びを感じ、これを機に息子も何か気付きを得たり、前向きになるかな?と思っていたが、逆に気持ちが沈んでしまった。

たまには過去を振り返ってみるのもいいかもしれないと思い、母子手帳を読み返してみた。年齢ごとの成長記録がメモしてあり、私も忘れていたこともあって改めて「こういうことあったな。確かに絵が好きだったな…。」と思い返すことができた。

それから、かなり久々にケーキを作ってみようと思い立ち、生クリームを購入した。あとは家にあったメロンを使えば夏らしいショートケーキができるな。私もたまにはケーキが食べたいし、子供たちも喜ぶ。スポンジを焼き、クリームとメロンでデコレーションした。
かなり適当に作ったのに上出来だ。

夜、夕食後に紅茶を入れてメロンショートをみんなでいただく。

「優雅ですなぁ。」と娘。
「うんうん。」と息子。

「優雅」

時間がゆったりと流れている
おいしいものをいただく
家族が集まる

当たり前のようで
なかなか難しいこと。

ほんのわずかでも、時がゆったり流れているように思えるこのような「団らん」こそ、心安らぐ健康のもとかもしれない。

ちょっと息詰まったら、囲もう。



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