とある日の冴えないわたし

わたしの冴えない思い出を語りたい

今日はそんな気分

(日によっては居酒屋のおじさんばりに自分の過去のすごいだろ!な話をしたい日もある)

それはわたしは中学生だった頃

思春期の真っ只中で

学校の先生たちが「多感な時期だから」とか言ってくるのを
「そんな多感じゃないし、思春期てなんだよ」
と変な反抗心を持つ程度には多感なお年頃であった

そんな多感なお年頃

わたしの中学生時代は
漫画好き=オタク 
(当時は陰キャラとよばれるもの)
とゆうレッテルがある時代で

今でこそどんなマイナーな漫画をすきでも
そうなんだ~
で終わって
漫画もばんばんドラマになるし
漫画もアニメも一般化がすごくて
なんでもないことだけど

わたしの中学生時代はそんな=が存在していた


今なら年齢も重ね、
仮にオタクと思われても引きこもりと思われても
大したことじゃないし
べつに構わないけど

その頃のわたしは
とにかく
「普通の女子」でありたかった

普通に恋ばなばかりをして
手紙をルーズリーフに書いて
授業中や休み時間に回して
休みにはプリクラを撮りに行く
というものだった

けどこっそりと情熱を注いでいたのは
「漫画」で
読めば人が呼び掛けてきても聞こえないし
夜通し朝が明けるまで読んでも楽しく
欲しい漫画があれば
3件でも本屋や古本屋を回ることにも苦がなかった

そして漫画も描き
漫画家になりたいなとさえ思ったりした

けれど
当時はオタクと思われたくないあまりに

絵がへたなふりをして
授業中でもルーズリーフをみると
絵を描きたくなる衝動を必死に押さえてみたり
ルーズリーフの手紙の折方を覚えたりしていた

そんな昔を思い出して思うことは

やっぱり多感だったんだ
と思う

大したことじゃないんだもの
本当に

そしてオタクだったんだもの

そうこうしてオタクでないフリをしているうちに
本当にオタク界からはおいてけぼりをくらったし
オタク界の友には
「オタクを語るな」と叱責も受けた
(そう、そんなあまったれたやつはオタクではないのだ!!)

そこそこ大人になって
やっぱり絵を描くことがすきで
いまでもこそこそ描いているけど

ただあの頃の情熱には及ばない気がしている

どこか「みんなの普通」を取り入れて
普通には近づいていたんだろうけど

きっと個性と呼ばれる光的なものを
押さえて押さえて薄くなったりしたんじゃないか?
とも思う

なにが言いたいかっていうと

陰キャラやオタクが冴えないんじゃなくって

好きなことを好きと言えないで
なにか自分でないものに必死てなろうとしたり
周りに馴染もうとしたことが
冴えないな

と感じたりする

過去のことはどうしたって変えようもないから
いまから
好きなことはすき!
したいこをする!とするしかないんだけれど

もったいなかったな

なんて思う

この思いももしかしたらまた
10年や20年たったら

しょーもな
大したことじゃなさすぎ!

といってるだろうけど

窓際のちっち

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