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もともとは女の子に限らなかった?!――「ひなまつり」の歴史と心温まる逸話

女の子の健やかな成長と幸せを願う行事である桃の節句のひなまつり。しかし、その大もとは女の子に限られず、老若男女を問わず行われる「流しびな」の風習にありました。年中行事を「幸せになる魔法」だと語る人気マナー講師・井垣利英さんと共に、ひなまつりの歴史と心温まる逸話を振り返り、日本の年中行事の奥ゆかしさを味わいます。

■はじまりは厄祓いの行事だった


〈井垣〉
ひなまつりを漢字で書くと、「雛祭り」。この「雛」というのは、もともとは「ひいな」と読み、小さい愛らしいものすべてをさす言葉です。

ひなまつりは、今では女の子の成長と幸せを願う行事ですが、昔むかしは「流しびな」という、草や葉っぱや紙でつくった人形(ひとがた)を川や海に流す厄祓いの行事でした。人形というのは紙を切り抜いて人の形に見立てたもの。今でも、六月の「夏越しの祓え(なごしのはらえ)」の儀式で使われています。

流しびなは、草や葉っぱや紙の人形で体をなでながら、「わたしの穢れをもらってください」「病気をもらってください」「自分に降りかかるわざわいをもらってください」と思いを託し、それを川や海に流すものです。

この流しびなの風習は、もともとは男も女も年寄りも子どもも区別なく、3月上旬に行われていました。これがひなまつりの大もとです。

■弟、妹を想う「ひなの国みせ」


〈井垣〉
ひな人形やひなまつりには、心温まる美しい話が残っています。

昔むかし……、春になり、桃の節句の季節になると、女の子たちはひな人形を持って山に登ったものでした。春のおだやかな陽ざしの中で、女の子たちは小高い山に行き、草のうえに着てきた晴れ着の羽織を広げます。そしてひな人形をかざるのです。小さい人形という意味のひな人形です。今のひな人形のように完成されたものではなく、とても素朴なものでした。

丘の上にひな人形をかざって何をするのかというと、ひな人形に四方の春の美しい景色を見せてあげるのです。

これは「ひなの国みせ」といい、実際に行われていた風習です。

じつはひな人形に、生まれてすぐ、あるいは幼くして死んでしまった弟、妹のことを託しています。旧暦では、ひなまつりのころには桃の花や橘などが満開です。寒くて暗い冬が終わり、いっせいに花が咲きはじめ、美しい変化をとげる春がやってきました。

「このようすを、弟や妹にも見せてあげたかったな」と思う小さなお姉さんやお兄さんたちの優しい、切ない気持ちが伝わってくるようです。

昔は子どもが生まれるのも育つのも、大変な時代でした。だからこそ、亡くなった弟、妹に、生きていればいっしょに楽しめた世界を見せてあげる。そうやって遊んでいたのです。

(本記事は『開運 #年中行事はじめました 』より一部を抜粋・編集したものです。)