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その岸辺に佇つ

 このnoteでは大変お久しぶりです。齋藤です。
 さて本日、Radiotalkの「たんか趣房~酒と短歌と女とおんな~」にお誘いいただきまして、「歌人Y」氏がエッセイの朗読をしております。

今回番組内で朗読させていただいたエッセイがこちらです。
今も毎日阿武隈川を渡って通勤しています。蒸気船、乗ってみたいねえ。
では、どうぞ。

   阿武隈に霧たちくもりあけぬとも君をばやらじ待てばすべなし       

「古今和歌集」陸奥歌一〇八七

 生まれた時から生活の傍らにいつも阿武隈川は流れていて、今だってどこかへ出かけるたびに橋を渡る。その昔は橋がなかったため、人々は渡し舟を使っていた。大きな国道を渡す橋のたもとには、今も舟着き場の跡がのこっている。渡し舟ばかりではなく、下流の仙台方面まで人や物資を運ぶ蒸気船も行き来していたという。
 仙台方面までといえば、あれは中学二年生の夏休み明けだったろうか、同級生の男子生徒たちが川沿いに自転車を漕いで海まで行ってきた、と真っ黒に日に焼けた顔で話すのを、クラスの皆で驚いたり呆れたりしながら聞いたことがあった。片道で約80キロ。自転車はいつも通学に使っている「ママチャリ」である。中、高生のころは、多くの同級生が阿武隈川沿いを毎日自転車で通学していた。毎朝自転車を漕ぐ傍らにある阿武隈川の滔々とした流れと、その流れがやがてたどり着くであろう広くて眩しい海が、あの頃の私たちにはとても遠かった。


 私ができることなら訪れたいと思うのは、渡し舟や蒸気船があったころよりももっともっと昔の、歌枕として多くの歌よみがあこがれてきた「あぶくまがは」の岸辺である。阿武隈川の中流域である福島市に生まれ育っていながら「訪れたい」と願うのは、すこし風変わりかもしれない。しかしながら、子どものころから毎日眺めてきた阿武隈川だからこそ古の流れを遡り、その岸辺に立ってみたい。その水に、手を差し入れてみたい。水は冷たいだろうか。それとも温んでいるだろうか。その流れは、どのように光っているだろうか。ひとたび大雨が降ればあふれる濁流は、どれほど烈しいだろうか。あるいは急に冷え込んだ冬の朝であれば、今と同じように真っ白に霧が立ちこめて川の面が見えないだろう。霧の向こうには、白鳥たちの鳴き交わす声が休みなく響いているだろう。――そして、阿武隈川の流れに私と同じように心を寄せて歌を詠む誰かが、静かに立っているに違いないのである。

※「歌壇」2019年6月号 特別企画「憧れの地―歌に誘われて―」に寄稿したものを加筆修正しました。

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