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Biting the Hand: Growing Up Asian in Black and White America 飼い主の手を噛む:黒人と白人の国アメリカでアジア人として育つということ

韓国系アメリカ人、ジュリア・リーによるメモワール。彼女はアフリカ系アメリカ文学(最近ではアフリカ系アメリカ人というい言い方よりもブラックが主流ですが、大学の分野となるとまだ「アフリカ系アメリカ人」が使われています)やカリビアン、アジア系アメリカ文学などを専攻し、教えているアカデミアの人でもあります。

まず、タイトルがいいです。Biting the Hand。これは通常Biting the hand that feeds youというい風に使われるのですが、これは日本語の「飼い犬に手を噛まれる」の逆パターン。あなたに餌をくれる手を噛むということ、となります。これは恩知らずとか、叛逆者と思われてしまうかもしれません。英語でもそういう意味で使われます。が、ここで敢えて著者は、あなたに餌をくれる人は、その人なりの思惑があり、それはあなたを利用しようとしていることが往々にあるのだから、という思想です。特に奴隷制など過酷な体験をしてきた人たちのことを思うと(これは私の同僚がよく使うフレーズですが)良い奴隷主(slave master)はいるのか、ということです。奴隷主である時点で、良いなんて形容詞は矛盾です。つまり、人柄が良い、と言ったって、結局、ひどい制度から恩恵を受けている人を良い、と言っていいのか、奴隷に優しいから良い奴隷主だ、なんて言っていいのか、という問題です。

アメリカの移民で労働者階級の暮らしも良くわかりますし、その子どもとして、一生懸命アメリカ文化に馴染もうとする彼女の生い立ち。そこで親の価値観とは相容れず反発することになります。しかし、やがて馴染もうとしているアメリカ文化が白人至上主義の上に成り立っていて、自分を受け入れないシステムに自分は馴染もうとしている、ということに著者は気づくのです。

そして、欠乏から競争・分断、という白人主義(というか資本主義ですね)の価値観からブラックやその他の価値観、実は感情も物質もふんだんにあって、分かちあってつながっていく、ということに目覚めます。

とても良かったのですが、一つだけ。アメリカの多様性を保持するため(それは、とても大切なことです!)たとえば韓国の人種の多様性のなさは「退屈だ」と形容するところがあります。でも、現在の多様性って、帝国主義の結果ではないでしょうか。アメリカ帝国主義があるから、皆アメリカに行く。日本帝国主義があったから、韓国系の人が日本に大勢暮らしている(連行されたり、経済的に追い込まれ日本にくるしかなかったり。)その逆はないでしょう。イギリスにあれだけ南アジア出身者がいるのはなぜか。その反面、インドにイギリス出身者がどれだけいるか。ヨーロッパにアフリカにルーツを持つ人が多いのに、アフリカにヨーロッパにルーツを持つ人はとても少ない(かつてのローデシアや南アフリカがありますが、ヨーロッパの比ではないし、そこではやはり白人が上流を占めている)のはなぜか。人の流れは帝国の文化的、軍事的、経済的力に吸い込まれてしまうからではないでしょうか。だから、アメリカの多様性は素晴らしいけれど、それは帝国主義の結果であることは自覚しないと、著者自身が批判している資本主義の非道さを見逃していることになります。

この点以外はとても良かったし、授業で少し使えないかな、なんて思っています。


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