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短編小説『ぼくの叔父さん』

 ぼくがよく行く喫茶店は、変わった人たちが集まる。画家、木工家、陶芸家、絵本作家、ギタリスト、シンガー、旅人・・・。
 お店のマスターは、60か70才くらい。あご髭にも白髪が混じる、リリーフランキーをさらに渋くしたかんじだ。ぼくのママと親しいみたいで、下の名前で呼び合っている。ママには男の友達が沢山いるから、どれかが父親だと思うが、このマスターは年上すぎる。
 ここに初めて来たのは、ぼくが小学3年のとき。
「健太をよろしく!」
とママは言って、特大のおにぎりと一緒にぼくを、カウンターの奥に座らせた。マスターは
「お、おう!」
と、弱みを握られているようなスマイルで、ぼくを見た。学校帰りと、時々土曜日。それから1年くらいになる。ママは仕事が終わると迎えに来る。学童保育の代わりってわけ。
 カランコロンと鈴がなって、重たい木のドアがあくと、色んな人が入ってくる。だいたい常連さん。8つのカウンター席と4人座れるテーブル席が2つ。お客が1人しかいない日もあれば、土曜ライブがある日は満席で立ち見も出たりする。そんなとき、ぼくはカウンターの中へ追いやられる。そして、なぜかぼくがドリンクやタコスを運ぶ。
(もしかして、マスターをよろしく!なんじゃない!?)
ママの企みを想像して、してやられた感は否めない。

 お客さんが来ない日は、静かだ。みんなが勝手に置いていく DVD をテレビで流して、それを観る。『 チャーリーとチョコレート工場』を初めて観たのもここだった。その夜は、チョコの海に溺れる夢を見た。しばらくはチョコをもらっても、うれしくなかった。
 ある日の DVD は『 ビリーズ ブートキャンプ 』とかいう、筋肉ムキムキ外国人の男女が、ノリノリで体を鍛える変なやつだ。
「 何これ! 」
と振り向いたら、そこにいる全員が立ち上がって、笑顔でリズムにのっていた! たしか、ウーロン茶やジュースしか飲んでいないはず。まさか、マスターも?! 彼は、静かにコーヒーを淹れていて ホッとした。

 おにぎりを食べた後、スケッチブックに 絵を描く。クレヨンで、色鉛筆で、何も考えず どんどん描く。ぼくだけの世界になり、周りの音が 聞こえなくなる。
 ギタリストが、ぼくの絵を覗いてきて、現実に引き戻された。
「キミの絵は素晴らしいね! オーゴンヒリツ になっている!」
と驚いていた。
黄金比率とは、1対1点いくつの長方形のことだと説明されたが、ぼくには価値が分からなかった。金閣寺がどうの、フィボナッチがどうの、ギタリストと画家が、黄金比の美について語り始める。その横でぼくは、黄金糖という飴の色は確かに美しい・・・と、琥珀色の画材を探していた。

 ある日、だれかが
「健太、小説家になりたいんだってね」
と言った。みんなが一斉に、ぼくを見る。
(ママが しゃべったな)
ぼくの答えを待っている視線に耐えかねて
「しょ、小説と言うか『はてしない物語』みたいなものを書きたいな・・・なんて」
最近読んだ、ミヒャエルエンデの本の題名を、とっさに口走る。
「いいねー! 絵も描ける小説家の誕生だ!」
「いまのうち、サインもらっとくか~」
やんややんやと、ひと騒ぎのあと、木工家の多田さんが静かに言った。
「どうして小説家になりたいんだ?」
「だって、有名になってお金を稼げるから」
多田さんは小さく笑った。他のみんなは黙って、なりゆきを見守っている。ボクは焦った。
「なんか、いけないこと?」
「健太はお金を稼ぎたいのか? 有名になるために小説を書きたいのか?」
ぼくがモジモジしていると、多田さんは静かに続けた。
「物語は、お金のために作るもんじゃない。健太の中から溢れだしてくるものなんだ。だれかが嬉しくなるような、さみしい時あたたかくなるような、お話を書くんだ。楽しい時、嬉しい時、悲しい時、きれいな青空を見て勇気がわいてくることが、あるだろう?」
「ないよ」
「き、君のなかにあるものを、じーっと見つめるんだ。星の瞬き、雨の音色、風の声に耳をすませて、友よ、風のなかに・・・」
多田さんの言葉が、宙に浮きだした。
 そこですかさず、ボブディラン好きが、アコースティックギターを弾いて歌い始める。
「 How many roads must a man walk down Before you call him a man 」
みんなも一緒に、歌い出した。
この歌は知っている。答えは風に吹かれて舞っている・・・ってやつだ。 
「 なんだ、歌詞かよ 」
多田さんも一緒になって歌うのを見て、ふてくされている、ぼくのうしろでマスターが
「ゴットフリート気取りだな」
と一言 呟いた。

 カランコロンと、お疲れめの音がして、ママが迎えに来た。
「ゴットフリートって誰?」
と、ぼくは早口で聞いた。ママは一瞬、面食らった顔をしたあと、ぼくの顔を見て
「『 ジャン・クリストフ 』のゴットフリート叔父さんのこと? うーん、健太もロマンロランの魅力に気づいたか! ママも子供の頃に読んだわ。やっぱり親子だね、あはは」
 ぼくは、なにか大事なものを忘れたくなくて、とりあえず一緒に笑っておいた。

 誰かが嬉しくなるようなお話か・・・物語は、ぼくの中にあるってどういうことかなあ。こんど、その本を読んでみよう。

          おしまい

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