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創作短編『でも、ここなら』

 新人研修に参加したのは、5月の連休明けだった。

山の中腹にある、林間学校に使われていそうな古い建物に、新入社員が50人ほど集まった。

接遇などのカリキュラムが組まれた、一日がかりの研修だ。

バスを降り、建物の入口で
『 大崎ドラッグ様 研修会場 』
と書かれた、縦長のホワイトボードを確認する。

「小沢、智彦です」

受付を済ませて、講堂に入る。
ほとんどが新卒者だ。
ドラッグストアの会社だから、薬剤師も何人かいるのだろう。

隅に、中途入社組の席がある。
見たところ、20代~60代まで幅広く、男女半々くらい。
この中では、25歳の僕が一番若そう。
年齢が高ければ、中途入社の顔が出来る。
新卒と数年しか変わらない僕は、コンプレックスを持ち続けるだろうな。

トイレを済ませ、まだ時間に余裕があった。
ロビーの椅子に座って、全面ガラス窓の外を眺める。
風が、木々を揺らしていた。

ふと、正面の椅子に、60歳くらいのおじさんが、座っているのに気付く。
着慣れた感じの、紺色のジャケット。
目力が強い。
( 同じ中途入社かな )
と親近感をおぼえた。

その人が、ニコニコしながら、
「きみは、どんなことが好きなの?」
と聞いてきた。
唐突に感じたが、
( 交流も大事 )
と、質問に応じる。

「絵が好きです」
美術館に行くことや、自分でも描くことなど話した。

おじさんは、興味深い表情で、静かに聞いていた。
こちらからは何も聞けないうちに、開講の時刻となり、軽くお辞儀をしてから、講堂に入った。

壇上に立ったのは、先ほどのおじさんだった。
「 社長の大崎です。今日は一日頑張ってください 」
と挨拶をした。

穴があったら入りたい。
っていうセリフは、こういう時に使うんだ。
しまった。
もっと医療系の話をすればよかった。
絵の話題は、まったくの場違いである。


 研修が終わって、配属されたのは本社の『 店舗開発部 』。
今年の5月に新設されたばかりの、部署だ。

ドラッグストアの新店を立ち上げる計画からオープンまでの、すべてを行う所と聞いている。
すべてを行うのが、50代の男の部長と僕の2人きり、とは予想外だった。


新規店舗を建てるには、薬局の開設許可が必要である。
申請のための店舗レイアウト図面を、グラフィックソフトで作り、県庁の薬務課へ持参する。

担当者がそれを見て、
うーん・・・と唸り、
「毒劇薬庫の位置が・・・」
と、チェックを入れる。

毒薬と劇薬は、他の医薬品と区別して保管しなければならない、と法律で定められているのだ。

何回か往復して、やっと許可が下りる。

ある日、図面に小さなミスがあって、薬務課に指摘される。
直すと、難なく許可が下りた。
毒劇薬庫には触れないで。

(あれ? もしや?)
別の店舗の申請のときに、わざと小さなミスを入れる。
やはり、そこだけの指摘で、申請が通るのだ。

そうか!
お役所は、毒劇薬庫が憎いわけではないのか。
なにか一点、注意するのが仕事なのか。
初めて、社会というものを知った。


 ある日、社長に呼ばれ
「 店舗のイメージカラーとキャラクターを作るから、
小沢くんが決めなさい 」
と言われた。

普通科高校を出ただけの、僕が決めていいのか???
デザイン会社が作ってきた候補の中から選ぶだけだが、これで決まると思うと、とても興奮した。

 
職人さんが、壁にエメラルドグリーンと白のペンキを塗る。
大きなウサギの顔が、クレーンで空へ上がっていくのを見たとき、感動して胸がいっぱいになった。

突然、あるシーンを思い出す。

研修会場のロビー
「絵が好きです」
と、なにげなく話したこと。

あの瞬間が、今日に繋がっているのかもしれない。


最初の就職は、少しでも良い企業に入るために、本当の自分を隠して受かったところだから、嘘っぽい毎日だった。
面白くなくて数年で辞めて、フリーターをしてきた。
自由でいいと思っていた。

でも、ここなら、
自分を出していけるかも。

「アイスクリームが、ドラッグストアにあったら、いいのにな」

唯一繋がっている高校からの友達と、話していたことを、思い出す。

僕はワクワクしながら、
提案書の構想を、考え始めていた。



          おわり




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