創作『でも、ここなら』
あらすじ
25歳の小沢智彦は、中途採用でドラッグストアに就職した。研修の会場で、知らないおじさんに話しかけられ、自分の趣味を話す。その、おじさんは何と…! (1675文字)
新人研修に参加したのは、5月の連休明けだった。山の中腹にある、林間学校に使われていそうな古い建物に、新入社員が50人ほど集まった。接遇などのカリキュラムが組まれた、一日がかりの研修だ。
バスを降り、建物の入口で『 大崎ドラッグ様 研修会場 』と書かれた、縦長のホワイトボードを確認する。
「小沢、智彦です」
受付を済ませて、講堂に入る。ほとんどが新卒者だ。ドラッグストアの会社だから、薬剤師も何人かいるのだろう。
隅に、中途入社組の席がある。見たところ、20代~60代まで幅広く、男女半々くらい。この中では、25歳の僕が一番若そう。年齢が高ければ、中途入社の顔が出来る。新卒と数年しか変わらない僕は、コンプレックスを持ち続けるだろうな。
トイレを済ませ、まだ時間に余裕があった。ロビーの椅子に座って、全面ガラス窓の外を眺める。風が、木々を揺らしていた。
ふと、正面の椅子に、60歳くらいのおじさんが、座っているのに気付く。着慣れた感じの、紺色のジャケット。目力が強い。
( 同じ中途入社かな )
と親近感をおぼえた。その人が、ニコニコしながら、
「きみは、どんなことが好きなの?」
と聞いてきた。
唐突に感じたが、交流も大事とおもい、質問に応じる。
「絵が好きです」
美術館に行くことや、自分でも描くことなど話した。おじさんは、興味深い表情で、静かに聞いていた。こちらからは何も聞けないうちに、開講の時刻となり、軽くお辞儀をしてから、講堂に入った。
壇上に立ったのは、先ほどのおじさんだった。
「社長の大崎です。今日は一日頑張ってください」
と挨拶をした。穴があったら入りたい、というセリフは、こういう時に使うんだ。しまった。もっと医療系の話をすればよかった。絵の話題は、まったくの場違いである。
研修が終わって、配属されたのは本社の『店舗開発部』。今年の5月に新設されたばかりの、部署だ。ドラッグストアの新店を立ち上げる計画からオープンまでの、すべてを行う所と聞いている。すべてを行うのが、50代の男の部長と僕の2人きり、とは予想外だった。
新規店舗を建てるには、薬局の開設許可が必要である。申請のための店舗レイアウト図面を、グラフィックソフトで作り、県庁の薬務課へ持参する。担当者がそれを見て、うーん・・・と唸り、
「毒劇薬庫の位置が・・・」
と、チェックを入れる。毒薬と劇薬は、他の医薬品と区別して保管しなければならない、と法律で定められているのだ。何回か往復して、やっと許可が下りる。
ある日、図面に小さなミスがあって、薬務課に指摘される。直すと、難なく許可が下りた。毒劇薬庫には触れないで。
(あれ? もしや?)
別の店舗の申請のときに、わざと小さなミスを入れる。やはり、そこだけの指摘で、申請が通るのだ。そうか! お役所は、毒劇薬庫が憎いわけではないのか。なにか一点、注意するのが仕事なのか。初めて、社会というものを知った。
ある日、社長に
「店舗のイメージカラーとキャラクターを作るから、小沢くんが決めなさい」
と言われた。
普通科高校を出ただけの、僕が決めていいのか??? デザイン会社が作ってきた候補の中から選ぶだけだが、これで決まると思うと、とても興奮した。
職人さんが、壁にエメラルドグリーンと白のペンキを塗る。大きなウサギの顔が、クレーンで空へ上がっていくのを見たとき、感動して胸がいっぱいになった。
突然、あるシーンを思い出す。研修会場のロビーで
「絵が好きです」
と、なにげなく話したこと。あの瞬間が、今日に繋がっているのかもしれない。最初の就職は、少しでも良い企業に入るために、本当の自分を隠して受かったところだから、嘘っぽい毎日だった。面白くなくて数年で辞めて、フリーターをしてきた。自由でいいと思っていた。でも、ここなら、自分を出していけるかも。
「アイスクリームが、ドラッグストアにあったら、いいのにな」
唯一繋がっている高校からの友達と、話していたことを、思い出す。僕はワクワクしながら、提案書の構想を、考え始めていた。
(了)