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好きなことで生きると決めた日①

2016年、秋。

私はスーパーマーケットの鮮魚コーナーで働く会社員だった。

朝5時に家を出て、7時に出社。
朝入荷した魚を捌いて、切り身や刺身にしていく。
お店のオープンまでに店頭の棚を埋め、ランチタイムまでに焼き魚も焼く。

午後からは魚の発注作業。
夕刻のタイムセールに合わせて新たな切りたて・焼き立て商品を準備する。
掃除と翌日準備を済ませたらようやく帰宅だ。

あいにく、私は要領が悪いほうだったから残業は当たり前で(後で店長にめちゃくちゃ怒られる)、帰宅は20時や21時になることもしばしばあった。

毎日魚のうろこまみれになってへとへとで帰宅しても、またすぐに新しい朝がやってくる。

台風や地震が来ようが
電車が止まろうが
この仕事は休めない。

文字通り『布団と職場の往復』の毎日だった。

社会人3年目

何故新卒でスーパーに就職したのか?

まあ、成り行きというやつだ。

早く就活を終わらせないことには卒業研究も進められないし(この就活制度と卒論制度をどうにかして欲しいと切に願う)
卒業後の奨学金の返済を考えると、夢を追いかける時間もお金もあったもんじゃない。

早く就職決めなくちゃ…。
決まったところにさっさと就職しよう。

といった感じで、当時はとにかく焦っていたのだ。

もともと、食べることや自然環境に興味があったし、季節ごとの旬や、自分の包丁次第で商品価値が変わるのは面白くてやりがいもあった。

決して高給とは言えないがボーナスも出るし、奨学金の返済を考えると、安定した収入ほど有難いものはない。

沢山の同期に恵まれたのも心の支えだった。
仕事終わりに集まって飲みに行ったり、情報交換して切磋琢磨したり、休日は予定の合うメンバー同士でユニバーサルスタジオジャパンにも行ったりと、人間関係も良好だ。

そんな同期達も、3年目に差し掛かると気づけば半分に減っていた。

―――社会人3年目

何故だか将来について考え、立ち止まりたくなるタイミングだ。

いつものように、朝必死に捌いた魚に値引きシールを貼り、前日の売れ残りをごみ箱に棄てながら自分に問いかける。

「私の人生、このまま終わるのか?」「他にやりたいこと無かったっけ?」

夢破れた奨学生

昔からずっと生き物が大好きで動物園の飼育員になるのが夢だった。

だから高校生の時は動物の専門学校に進もうと考えていたけど、親に話すと「大学でちゃんと学んだ方が良い。」と言って、獣医学や農学の道を勧めてくれた。
この提案に今となっては感謝しているが(当時はちょっと不服だったw)、残念ながら私は獣医になれるほど優秀ではなかったらしい。予備校に通って一浪したにも関わらず、受験は失敗に終わった。
「予備校費も出したのに!」と親は激怒。滑り止めで受けた私立大学へと自費で進むことになった。

借りた奨学金は約600万円。この返済のために毎日馬車馬のように働いていることは言うまでもない。

苦悩の大学生活

通学は神戸から京都まで往復4時間。
サークルに入る時間的余裕もなく、バイトに入れる時間も少なくて貯金は貯まらず、友達も増えなくて苦労したが、5時起きの早起き習慣と謎の体力がこの4年で身についた。

獣医学部や畜産学部には入れなかったけど、大学の図書館に行けばこの手の資料が豊富にあった。
独学で動物福祉や畜産学について学んだり、授業でもそれに近いことが学べたりしたので嬉しかった。

しかし、ようやく実践的な授業が始まったところで問題が起きた。
なんと、解剖学の授業中に失神したのだ。
椅子から転げ落ち、頭を思いっきり打撲した。

実は、昔から血を見るのが苦手で、過去にも注射や軽い出血で気を失うことがよくあった。

慣れの問題だと思ってたけど、どうやら私は『迷走神経反射』という病気持ちだったらしく(これは最近知った)、どうしても痛々しいものを見ると気分が悪くなってしまうのだった。
解剖のたびに失神するわけにいかないので、以後の実技授業には出られなくなってしまった。

――はて。
私は何のために浪人して、数百万円の奨学金を積み上げ、往復4時間かけて通っているのだろう?
もし獣医学部に進んでいたとしても、何が出来たのだろう?

不甲斐なくて、お先真っ暗で泣いた。
転部や編入を狙うにはタイミングが遅かった。

夏休みの最後の足掻き

夢がへし折られ、一時は無気力になっていたが、とにかく卒業はしておかなくてはと、単位の習得に忙しくしているうちに4年の歳月が過ぎようとしていた。

同じ学部の子達は実験技師や、商品開発、薬剤販売員の道に進む者がほとんどだった。一方で、私は白衣を来て実験室に籠るのは性に合わないなと感じていた。

100均でバイトをしていたこともあり、接客とか小売りとか、立ちまわる仕事が性に合っているなと思った。

しかし、それだと何のために生物学の道に進んだのかますます分からない。

ーこのまま挑戦せずに諦めたら、一生後悔するだろうな。

そう思った私は、最後の足掻きに、夏休み期間に学生の飼育実習を受け入れてくれる動物園・水族館を探した。
そして見つけたのが京都市動物園の『野生鳥獣救護センター』と、『神戸市立須磨海浜水族園』だった。
須磨海浜水族園、通称スマスイは、私が生まれ育った地元神戸にある大好きな水族館だ。
家からも通いやすく、鳥獣救護センターの実習期間が2週間だったのに対して、スマスイは実習期間が1か月とたっぷりあることから、こちらを選んで応募した。

淡水魚類チームとして、アマゾン館、世界のさかな館、さかなライブ館(2021年、改装工事により閉館。)で実習させてもらえることになったのだが、この経験は今でも宝物だ。
(この話はまた追々…)
これをきっかけに魚やアマゾンの暮らしに興味を持つようになった。

しかし、現実は厳しい。
そのまま就職、とうまい具合に話は進むはずもなく。就活でも水族館をいくつか受けたが、すべて惨敗。
動物園・水族館でなかったら、もうどこでも良かったので(半ば投げやりでした。)私は早く就活を終わらせるために手当たり次第応募して、一番早く内定が出た会社に就職した。それが今のスーパーマーケットだ。

『奨学生には夢を追う時間もお金もないのだ。』

自分自身をこう言いくるめて納得させたのを覚えている。
こうして、動物園や水族館業界ではたらく夢は一旦終止符を打った。


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