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【幸せの作り方】Day 2・削る

完璧がついに達成されるのは、何も加えるものがなくなった時ではなく、何も削るものがなくなった時である。

星の王子様の著者、サン=テグジュペリの言葉。


前回の記事で私は、幸せとは、所属して尽くすことによって得られると述べた。

インターネットが発達した現代。
私たちは多くの情報を入手することが出来ると思っている。
だが、それは一部間違いだ。

インターネットの発達によって私たちは、
一体何を売りつけてくるのか分からないような、いかがわしいセールスマンを門前払いできなくなった。
セールスは、あなたの家の前で取り繕う必要がなくなり、いとも簡単にあなたの懐に忍び込むことが出来る。

私たちが恩恵を受けているインターネットサービスの裏側には必ず、私たちが利用するサービスを通じて利益を得ている企業や個人が存在する。
信じられない?それなら毒されているかもしれない。
彼らはその下心満載の取って付けた笑顔を私たちに振りまかずとも、私たちの財布から現金を抜き取るすべを得た。

もしかすると私たちは、所属する喜びと引き換えに、彼ら顔の見えないセールスに自ら進んで現金を支払っているのかもしれない。
インターネットやSNSの発達によって、彼らセールスは自らの顔に笑顔の仮面を取り付ける必要がなくなった。
彼らの新しい仮面は、SNSで活躍するインフルエンサーたちが代行する。

踊らされているものほど、自らが踊らされているとは気づかないものだ。

私たちはそろそろ、その舞台から抜け出し、自らの人生を歩み始めてもいいはずだ。


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こんにちは。

谷塚総合研究所・喪黒福造です。

今日はグレッグ・マキューン著「エッセンシャル思考」の解説を交えながら、前回の記事に引き続き、幸せの作り方について。


必要なものは何もない。


私たち人間が、最も苦手とすること。

それはおそらく、相手に対してNOと言うこと。ではないだろうか?

全ての個人には、それぞれ欲求があり、それを満たすために努力し行動する。
その行為は自己を鍛え磨くものだけには止まらず、もちろん他人に要求することも含まれる。

私たちに要望を伝える彼らはもちろん、私たちの利益を無視しているとは考えたくないものだが、彼らと私たちの欲求が一致しているとは限らない。

彼らの考えるメリットと、私たちが考えるメリットが乖離していることなど日常茶飯だ。
当たり前のことではあるが、自らの願望を満たそうと思うのであれば、私たち私たち自身から行動しなくてはならない。

たとえ自身の親や家族であっても、私たちの欲求を本当に理解してくれている場合は少ない。
他人であればなおさらだ。

行動の根底には、必ず欲求がある。
私たちに向けられる依頼や要求だって例外ではない。
求められているのは、私たちの能力などではなく、彼らの欲求を満たすことなのだ。

人生は決して長くなく、他人の欲求を満たすために時間を費やしていては、私たち自身の時間など生まれやしない。
私たちから時間、行動を要求する彼らは、例外なくいかがわしいセールスマンだと思って差し支えない。
たとえそれが職場の上司であっても、友人であってもだ。

私たち人間は、自らを満たしてからはじめて、人に何かを与えることが出来る。
自分を満たすというのは何も悪いことではなく、悪いのは「自分だけ」を満たすことだ。
相手に尽くす必要はない。まずは例外なくNOと言おう。

自分にとって必要な物・大事なものとは、選別していくものではない。
まずは失ってみて初めて分かるものだ。

もしいまあなたが、人生を望み通りの形でやり直すことが出来るのであれば、どのような人生を望むだろうか?

考えてみて欲しい。
その空想の世界に存在しているもの。それだけが必要なものであって、あとはゴミだ。
必要ないのだ。

捨てられないのは、生きるために必要だからではなく、死なないために必要だからではないか?
そのように人生を取捨選択しているうちは、死ぬことはなくとも、あなたが生きることはない。

あなたは間違いなく死んではいない。
だが、あなたは生きていると言えるだろうか?

「エッセンシャル思考」とは、死なないための学びではなく、生きるための学びが詰まっている。


死なないこと・生きることは全くの別物。


人生において成し遂げることが出来るものは無数に存在する。
だが、いまこの時間に達成可能な物事は一つしかない。
どのような道を無数に通ることだってできるが、いま通ることのできる道というのは一つしかないわけだ。

人生で細分化された今日、いまという時間に私たちは、必ずどこかの座標に存在している。
死なないためには今この瞬間に起きていることに都度対応しなくてはいけないが、それを繰り返していては生きることは出来ない。

生きるとは、望む未来からの逆算以外ないのだ。
望む未来を勝ち取るために必要な物が分かる場合は多くない。
だが、望む未来に不要なものであれば、私たちは無意識に理解している。

それらを可能な限り取り除いて生まれるもの。
それは、ヒマだ。

ヒマがあってはじめて人間は、望む未来を創造するパワーを得る。
あなたは時間に追われてはいないか?ヒマな時間は存在するか?
もしそれがないのであれば、不要なものを切り捨てる必要がある。

選別が難しいのであれば、とにかくすべて捨ててしまうことだ。
そこから得られたヒマが、私たちを創造的にし、ものを選別する目が手に入る。

私たちが最も奪われやすいのは、お金や労働力ではない。
時間だ。

あなたは毎日忙しいとつぶやきながら、日々の雑務に追われてはいないだろうか?
時間とは、もっとも浪費しやすい資産だ。
減っていることが分かりにくいから。

あなたが必要だと思っている雑務は、あなたが死なないために必要なのである。
あなたが生きるために必要なものは、ヒマから生み出した創造的な未来。
そこから逆算される目的地到達のための道のりだ。

あなたが彼らにYESと言ううちは、それはあなたの人生ではなく彼らの人生だ。
あなたが彼らにNOと言ってはじめて、あなたの人生が始まる。


理想の自分なら、どうするか?

私たちが選ぶべき所属というのは、今ある環境から身近なものである必要はない。

未来に望む理想の自分に所属すればいいのだ。

ヒマから生まれたイメージの中の、理想の自分。
彼はあなたの最も頼りになる友人だ。
理想の自分と、ともにいること。

あなたの所属は、あなたの周りの人間関係ではなく、理想のあなただ。
「もし、彼ならどうするか?」
これだけが、あなたの行動・選択の唯一絶対な指標であり、私たちはそもそも、それ以外に惑わされる必要はない。

理想の自分を、想像の中で捕まえたのなら、彼を手放してはならない。
彼は、あなたが生きるために通るべき道を理解しているから。

物事の判断基準はすべて、理想の自分ならどうするか?というものであるべきだ。
その選択・行動の積み重ねがやがて、私たちを理想の自分そのものにしてくれるのだから。

「エッセンシャル思考」とは、ただ闇雲にものごとを切り捨てる方法や手段ではない。
だがまずは、多くを切り捨て、時間の余白を生み出さない限りは、私たちの人生の進むべき道が見えることもない。

物事を手放すのは勇気のいることだ。
だが、それをいつまでも先送りにしていては、わたしたちは「ただ死んでいないだけ」の人間になってしまう。
いつかはそれらを手放さなくては、生きることが出来ないのだ。

死なない。を手放すことを恐れることはない。
手足を縛られ、目隠しされたまま死ぬことを許されず、ただ生きながらえているだけのような人生。
あなたは何を失うことを恐れているのか?

生きるためには死なないことを手放さなくてはならない。
ただ、そうやったって死なないものです。
自由を手に入れるために命を失う時代ではないですから。



最後までご覧いただき、ありがとうございます。