欅坂46について2(哲学的です)
こないだ、てち脱退、鈴本織田卒業、佐藤休養のニュースが出て、書いてしまった記事。そのあといろいろ書きたいことが出てきたので、書こうと思う。
欅坂の記事をいろいろ物色したり、歌詞を深読みしたりすると、つくづく思うのは、なんて哲学的なんだろうと。哲学の観点から論評してる人もいるんじゃないのかって、漁っていたらやはり出てきた。
この記事に関する考察はまた別途にするとして、哲学、欅坂でググるといくつか出てくる。
長濱ねるが週プレで語ってたりする。
つまらないですよねっていってる。確かに週プレの読者層には??ってなるかもしれないけど、おじさんには届いてます。
「他人には見せていない本当の自分」とか「自動で行動している身体」と「心の自分」ですね。心の自分はちょっと俯瞰(ふかん)で見ています。その心の自分が身体をコントロールして動かしています。なんて語っています。
でもこの感覚は、欅坂の歌詞に随所に出てるんだよなあ。アンビバレントとか、本当の自分ってなんだろうって。
欅を聞いてて尾崎っぽいなって思っちゃう40オーバーのおじさんですが、尾崎が「自分の存在がなんなのかさえわからず震えている」と叫んでいたように、欅にも通じるものがあると思っている。
一体それがなんなのか、いろんな文献や過去記事を漁って、深掘りしていきたい。
田村保乃も哲学を読むと言っている。
ひらがなけやきの影山優佳は哲学グランプリで優勝しちゃってる。
眠いのでまたにするけど、いろいろ考察したい。
ところで、SONGSにてちがSEKAI NO OWARIと出てた時の記事が深い。
てちが「大人への不信感」を語るんだけど、続けて「理由も聞かないで、あれこれ言われたり、影でこそこそ言われているのも見えている。だったらはっきり言ってほしいし、一緒に話し合えたらいいなと思っています。」と述べてる。
自分はそれって世代の問題なのかなっていつも思ってて、
「てちがまだ10代だからそう感じてるだけなんだよ、大人になっても、大人から大人が同じことされるんだぜ!」と教えてあげたい。それはもう大人への反抗というか、そういやつらへの反抗なんだ。世代じゃない。人としてどうかの問題なんだよ、大人でも人としてしっかりしてる人は、子供の意見も聞くのよ。
欅坂の歌詞が心に響くのは、世代による価値観の違いを歌っているように見えているが、実は大人たちが普段悩み直面していることをそのまんま投影しているからだ、と思うのです。
深いわ。
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